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今日は一段と痛かった。痣ができている下腹部と血が滲んだ二の腕を慣れた手つきで処置する。消毒の臭いにももう慣れた。傷口に染みる痛みはまだ少し抵抗があるけど、化膿なんてしたらそれこそ大変だから仕方ない。放課後の数学準備室なんて誰も訪れない。だからここに自前の救急セットを持ち込んで自分で傷や痣の手当てをする。保健室になんて、行けない。理由なんて言えたもんじゃない。がらがら、という扉が開く音と共に薄い光が射し込む。ここに来る人物なんて私の他には1人しかいないので、わざわざ顔を上げることはせずに話しかける。

「あんた部活は?」
「追試だったから、これから遅れて」
「相変わらずだねー切原は」

消毒を終えた二の腕に大きめの絆創膏を貼りながらははは、と空笑いする。そこで初めて彼を見ると、不機嫌そうに眉を寄せていた。私がこうして手当てを自分でしていると、切原はいつもそんな面持ちで私の傍にいる。

「みょうじ、またかよ」
「うん、まただよ」
「なんで仁王先輩に言わねーの?」
「言う必要ないから」

彼の顔には一言、納得いかない、と書いてあった。彼の思っていることがすぐ顔に出るところは、中学生の頃から変わらない。先輩とは似ても似つかない。

「みょうじが仁王先輩と付き合ってるからそんなことされんだろ?」
「そーそー女の僻みってやつ。やだよねほんと」
「……お前だって、言い返しもしねぇし。やり返しもしねぇ」
「私意味のないことはしない主義なの」

嘘。本当は私だって言い返すなりやり返すなり、してやりたい。黙りっぱなしなんて性に合わない。切原だってそれを分かってて言ってるんだ。意味のない投げ掛けは、少しの希望を孕んでいる。それに気付いているけれど受け取ることはできない。簡単に言えば、仁王先輩は切原よりも、他のぜんぶの人よりも、私にとってかけがえのない存在だから。

「……お前さ、先輩と、別れろよ」
「……は?」

目に力が入る。それなのに目の前の切原の姿はぼやけて見える。脳みそが沸騰しているかのよう。熱い。思考回路がブツリ、鈍い音を立てて切れた気がした。切原何言ってるの。全く笑えないよ。全く、笑えない。

「だってこんなの、おかしいだろ!」
「あんたみたいな部外者にとやかく言われる筋合いない」

今の私の目は、たぶんイっちゃってる人のそれであろう。眼球ぽろって出てもおかしくない。切原はぐっと押し黙る。何か言いたそうだったが、言わせない。

「私たちには私たちの付き合い方がある。世間一般を押し付けないで」
「……でも」
「でもとかだってとか、いらない」

わかってる、わかってる。切原が私のためを思って言ってくれてるって。仁王先輩に振り向いてもらうためにしてきたたくさんの努力を、いちばん近くで応援して、勇気づけてくれたのは切原だったから。すごくいい奴。だから切原には何でも隠さず話せるよ。でも、ごめん。これだけは話が別なんだ。

「あの人じゃなきゃ、私はしあわせって思えないから。あの人がいるから私は今生きてるの」




「その浮かない顔はうちのなまえちゃんが原因かのう」

名前を出したとたん着替えていた動きが止まった。分かりやすすぎてつまらん。部室には俺と赤也の二人だけ。ま、図ってやったことじゃけど。赤也を倣って制服へと着替え始める。ゆっくりと、赤也がこちらを向くのが横目で分かった。

「……どういう意味っすか」
「そのままじゃ、なまえが赤也に困ったことでも言ったんじゃろ?」
「……まさか」
「知っとるよ、全部」

後輩はかっと目を見開き、少しの間を置いては?とただ1つ声を出した。驚き、おののき、頭が真っ白というようなその顔といったら傑作だった。いつまでたっても初だと思う。人間、根っこの部分はそう簡単に変わらないかの。「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」小刻みに震えた赤也の手が俺の肩にそれぞれ触れる。人間訳がわからないときは不思議と笑ってしまうものだ。赤也はまさにそれだった。

「じゃあなんで、なんで知らんぷりなんて…」
「俺が出る幕なん?なまえは俺に何も言ってこない。それが答えじゃ」

思わず笑いを溢してしまいそうになった。なんとか口角を上げるだけにとどめて、最後のとっておきを吐露する。

「大丈夫じゃ、死ぬなんてことはない」

怒り。顔を見なくたって伝わってくる程、それは殺気となって俺の肌の細胞を微かに震わす。みるみるうちに目が充血していく。赤也がなまえに純粋な好意を寄せているのは知っている。ちょっと言い過ぎたかの。しかし、本心じゃ。

「おかしいだろ…。それでもあいつの彼氏なのかよ!あいつの体に増えてく傷を見て何も思わねぇのかよ!」
「お前は誰じゃ?」

切原赤也じゃろ。静かな俺の声にぎりぎりと肩に短い爪を立てる赤也はだからなんだって言うんだよと食ってかかる。先輩相手に威勢いい。普段はしっかり敬語だって使うのに。赤也は思ったことをそのまま言ったり顔に出したりして、それがまた直情的で、いいところであり悪いところでもある。俺は嫌いじゃない。本心を何重もの言葉で隠して人を欺くような俺と、正反対の赤也。思いが交わることなど起こり得ない。俺の考えなんて、赤也に理解されることは一生ない。

「なまえがすきなんは俺じゃ。仁王雅治じゃ」

赤也は俺から目を逸らさない。煮えたぎるマグマを連想した。融かされてしまう前に会話を終えなければならない。

「言われたんじゃなか?あんたには関係ない」

言った途端、再び赤也の動きが止まった。瞳から怒りの色が引く。うつろなそれがゆらゆら揺れて、俺を捕らえる。色のない瞳は無情さなんて感じさせない。おれは。一つだけ呟いて、脱力して頭を垂れる。その際肩に置かれていた手も離れ、俺は着替えを再開する。お前が悪いんじゃない、だからと言って俺やなまえが悪いわけでもない。誰のものさしでも計れやしないのだ。
沈黙を突き通す後輩をおいて部室を出る。いつもより遅い時間になってしまったが、それでもなまえが待っているという確信があった。校門をくぐると笑顔でお疲れ様と言うなまえが、やっぱりいた。今日は腹をやられたらしい。部活を終えた俺の顔を見ると、彼女は暴行を受けた箇所をさすったり押さえたりする。安心から来る無意識の動作だと思う。そんな彼女を愛くるしいと感じる俺は、赤也が言うとおりおかしいのだろうか。まあ、おかしくてもいいけれど。

「なまえ、すきじゃ」
「…うん、私も、すき」

頬を真っ赤にして恥ずかしがるなまえを、俺は確かに愛している。大切かと問われればもちろんだと大きく首肯する。愛し方なんて、人それぞれ違っていいと教えたのはなまえの痛いくらいの愛だ。俺に媚びへつらう勘違いも甚だしい女子たちの暴行に耐えて、迷惑をかけまいと必死に口を塞いでいる健気な彼女が愛しい。海の色を正確に答えるよりも難しいようにみえて、実は底に何が沈んでいるか分からないそれを綺麗と言うくらい簡単で純粋な感情を、俺は彼女に向けている。


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