さかなの日
2012/10/10 00:42
彼が泳いでる姿を見るのが好きだった。
さかなの様に、水のなかを滑るように泳ぐ彼が、大好きだった
水のなかで、水に、住んでいるかのように、するすると、水のなかでしか息ができないのでは、と勘ぐったことも一度や二度ではない
おれは、さかなの様な、人間の彼が大好きだったのだ。
――――
おれは、泳ぐことが好きだった。
水のなかは地上より息がしやすかった
他のやつはそんなのおかしい、とおれを笑ったが、いや、あいつだけは笑わなかったか
とにかく、おれは泳ぐことが好きだったんだ。
―――――
さかなになりたい、とあいつは言った。
さかなに、戻りたい、
あいつは、前世はきっとさかなだったんだ
泳げなくなったあいつは、とても辛そうで、いつもいつも、真っ白な部屋で、真っ白なシーツの上で苦しんでいて、
ああ、代われるものならば
おれはいつでも代わってやれるのにと
そう、と撫でた白い美しい二本に分かれた足はこれから先どう頑張っても水のなかに解き放たれることはないのだと知ったとき
おれは、ならかれをさかなにかえしてやらなきゃな、と回らない頭でそう考えた。
―――――
夜中、本来入ってこれるはずのない病院内に入ってきた"彼"は、俺に近より、少し壊れた笑顔で俺に話し掛けてきた。
「ね、おれと、逃げよ」
「こんなとこいても、きみはさかなには、なれない」
「おれが、さかなにしてあげる」
もう動くことはないと診断された俺の足をいとおしそうに撫でたソイツは、そこそこがっしりとしている男の俺の体を軽々と持ち上げて、病院を出ていった。