真冬のジョウトの空を飛んで移動するのは自殺行為だったと痛感する。同じく寒そうに震えるフライゴンの首に捕まる力を強めると一鳴きして速度が上がった。それにより顔面に受ける風の勢いが増す。嫌がらせではなく、直ぐにエンジュに着きたいのだろう。ごめんフライゴン、次は電車で来ることにする。きっと今ならバナナで釘が打てるだろう。"ふぶき"をくらうポケモンはこういう気持ちなのだろうか。自分で体感してしまうと今度からバトルでふぶきを使うのが憚られてしまう。
「おぉ…」
背の高い塔が見えて思わず感嘆の声が漏れた。雪の積もったエンジュシティの美しさを言葉で表現するのは無理だ。秋はエンジュの季節と言われているが、冬のエンジュも捨てたものじゃない。塔に降り積もった雪は趣深く、すずねのこみちの枯木から感じる淋しさも冬ならではだ。
フライゴンはゆっくりと下降していき、やっと大地に足をつけることができた。長旅だった。フライゴンの頭に積もった雪を掃ってあげると、自分の手が冷えて動かなくなっていることに気付いた。これはフライゴンも私も早く温まらないとエンジュの亡霊の仲間になってしまう。
「そろそろ来ると思ってたよ」
「わああああっ!!」
身体を縮こませて身震いしていたフライゴンをボールに戻した瞬間、気配もなく肩が叩かれた。あまりにも不意打ちだったので飛び上がって振り向くと、おかしそうな笑いを隠そうともしない男が立っていた。振り向くまでもなくこんなことをする人間は限られているけど。
「驚かすのやめてってば!」
「ごめんごめん。相変わらず元気そうでよかったよ」
「今は風邪引きそうだよ。早くマツバの家行きたい」
「うん、そうしようか」
マツバの家はエンジュ一大きくて古い、なんというかいかにもな家だ。時折マツバが何もない場所に向かって優しく話しだしたりするから余計に怖い。隣でふよふよと浮かぶゴーストに同意を求めようにもキョトンとするだけで私の気持ちは分かってくれない。大体こいつも幽霊の仲間のようなものである。
冬のマツバ邸で最高なのは何といってもこたつだ。コタツのためならイッシュから毎日飛んできても構わない。凍っていた指先足先がじんわりと解けていく感覚にうっとりと浸る。真剣に我が家にもコタツの設置を検討しよう。お茶を煎れてきたマツバもコタツに座る。
「やっぱり作るなら掘ごたつだね」
「僕に言わせれば掘ごたつ以外はこたつじゃないよ」
「流石こたつニストさま」
暖かい煎茶と煎餅を食べていると何故ここに来たのか忘れてしまいそうになる。段々身体が暖かくなって眠くなってきた。
「ねむい…」
「寝たら?起こしてあげるよ」
甘い言葉と眠気に抗う気力はない。渡すものだけ渡してぐっすり寝てしまおう。鞄から封筒を取り出す。質感のよい、やたら高そうな真っ白な封筒だ。
「はい」
寝転がりながら渡すというのも行儀はよくないがマツバも咎めないので別にいいだろう。
「いつもありがとう」
「いいの、あんな兄の数少ない貴重な友人だからね」
手紙を読んだマツバは苦笑いしながらそれをまた封筒に戻した。内容は聞かなくても想像できる。差出人がミナキというだけで、内容はスイクンへの思いの丈とスイクンストーカー記録の報告だろう。兄は友人が少ない。というかマツバ以外の友人を見たことがない。そんな手紙でも渡してしまえば私の仕事は終わりだ。これで今からはマツバの家に遊びにきたただの友人だ。眠りに落ちる直前に肩に暖かい何かがかけられた。
バキ、 と自分の骨が軋む音で起きた。こたつの悪いところは寝た後に身体が痛くなるところだろうか。捩って寝ていたのか腰が痛い。
窓から射し込む光が橙色に変わっているのに気付き、どれだけ寝ていたのかを理解する。上半身を起こしてみるが、マツバの姿が見えない。修行でも行ったのだろうか。彼の修行は夜がメインだから、私が寝てる間にいなくなることもよくある。
「夕飯でも作っておこうかな…」
言っちゃ悪いが、マツバの家に一人でいるのはなかなか気味が悪い。部屋中の明かりをつけても恐怖心が拭えない。気を紛らわせるために台所にいく。一人暮らしの男にしては食材も揃っていて、マツバらしい。
なんとなくコロッケが食べたい。マツバが特別好きかどうかは知らないが私が食べたいのでコロッケを作ることにした。じゃがいもを潰すのに集中しているうちに怖さはなくなった。
「おっ、いい匂い」
「ふひゃあああああ!!」
首元に息を吹き掛けられ飛び上がる。首を抑えて元凶を睨む。修行用の着物に身を包んだマツバがいて、やはり修行だったのかと確信する。私を驚かせることはマツバの趣味なのかもしれないが、私の寿命は確実に彼によって縮められているだろう。
「コロッケ?」
「そうだよ…」
「ごめんってば、睨まないで」
「絶対そのうち心臓止まって死んじゃうんだから!私が!」
マフラーをしていないマツバは久しぶりに見たので、少し動揺している。はだけた着物がやたらと色っぽくて目のやり場に困るのだ。
「僕も手伝うよ。着替えてくる」
「うん」
台所から去ってくれたことにひっそりと安堵する。マツバは着るものによって大きく印象が変わる。例えば、今日あったときのだぼだぼの服にマフラーなんかはマツバのミステリアスさが存分に発揮されてかっこいいし、今みたいな着流しも。台所に再び現れたマツバは謎のパジャマ姿になっていた。本人はまだ着れるからと好んで着ているようだが私にそのセンスはわからない。
「コロッケ好きって言ったっけ」
「え、そうなの?」
「偶然なの?すごいね。君にも千里眼あるんじゃない?」「大袈裟な」
どうでもいい話をしながら作るコロッケは楽しかった。途中でゴーストとゲンガーがサラダのドレッシングにタバスコを大量に入れるという悪戯をしてマツバに怒られていた。なんとか完成したコロッケとサラダ(ドレッシングなし)を食卓に並べる。なんか――
「新婚みたいだね」
「…心読むな」
「違う、本当にそう思ったんだ。君も思ってたんだ」
ふふ、と笑うマツバに顔が熱くなる。墓穴を掘ってしまった。何も考えていなさそうに笑っているので一人で恥ずかしがるのも馬鹿らしいと熱を冷ますために両手で頬を包んだ。
さくさくのコロッケを食べながら、マツバとの新婚生活を考えてみる。結婚したらきっとこの家に住むことになるのだろう。ならまず恐怖心に慣れなくてはならない。怖くなる度に料理をしていたんじゃあっという間におデブさんだ。マツバは料理も家事も私以上にできるから分担すればいいだろう。ジムリーダーはなかなか高給取りだから両親もマツバなら反対しないだろう。いや、まて。私がマツバと結婚したらミナキはマツバの兄になるのか。それはだいぶカオスだし、そうしたらミナキには友達がいなくなる。
「凄くいいことを思い付いたんだけど言ってもいいかな」
「マツバのいいことって私にとっては悪いことなんじゃないの?」
「さあ、どうだろうね」
口の端にコロッケのカスをつけてにやりと笑う姿がやたらと面白い。少し警戒しながら頷いて続きを促す。
「僕は君の驚く姿が好きなんだよね」
「出たよ腹黒S」
「もし結婚したら君はこの家に住むことになると思うんだ。君はやたらと怖がって怯えるだろうね。だから怖くなる度に料理をするだろうけど、そんなんじゃあっという間に太っちゃうね。まあそんな君も面白いし可愛いだろうからいいんだけどね。僕は料理も家事も嫌いじゃないから二人で分担出来る。ジムリーダーは公務員だし収入も安定してるし君は気にしないだろうけど世間体もいい。今時こんな優良物件なかなかないよ?問題点を一つあげるとしたら僕がミナキの弟にならなきゃいけないってことだけど、まあ堪えられなくはないよ。ミナキには友達がいなくなるだろうけどね」
ゆっくりと、しかし私が口を挟む暇は与えずにまくしたてられた。考えていたことと全く同じことを言われてしまった。いつもなら心を覗かれたのかと怒るとこらでも、内容が内容なので動けない。
「そういうわけだから、問題は一つもないよね」「え、」
「ミナキの手紙を理由に会いに来てもらうのもそろそろ限界だと思ってね」
コロッケを挟んで言われた言葉は果たしてプロポーズなのだろうか。ね?と首を傾げられて、反射的に頷いてしまった。ゴースのように軽いノリだが、まあ。
「美味しいご飯作ってね」
「君のコロッケも好きなんだけどな」
マツバ専用の郵便業は今日で廃業のようだ。