◎予備知識
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくる岸辺露伴のスタンド(能力)はヘブンズドアといい、相手を本にし情報を読み取ったり、本に命令を書き込み従わせることができる。
昔読んでいた漫画に、女性の手に性的興奮を覚える男がいた。全く気持ちを理解することは出来なかったが、今、ほんの少し彼を理解した気がする。それは喜ぶべきことなのか、変態への一歩を踏み出してしまったことを歎くべきなのか。答えはどこにもない。
「ヘブンズドアー!」
手の平を突き出してそう叫ぶと、眠そうに、けだるそうに、ジローは少しだけ頭を動かして私を見た。とろんとした目とふわふわの金髪は、動物的な可愛さを持っている。ジローは羊のようだ。
「ジョジョだ」
「うん」
どんなに眠くても反応を返してくれるところがさすがジョジョオタクのジローだ。残念ながら私には露伴先生のような能力はないので、ジローの顔が本になることはなかった。
「何するの?」
「えっ」
「俺にヘブンズドアして、何するのー」
「うぅんと、ジ、ジローの好きな…」
ジローの好きな人が知りたいです。
そんな可愛いことが私の口から出るわけがないので、口ごもってもにょもにょと尻すぼみになってしまった。言いごもっているうちにジローは再び夢の世界に旅立っていった。
前にジローと向日と何のスタンドが欲しいか話したことがある。向日はエアロスミスがいいって言ってた気がする。ジローは…なんだっけ。私はヘブンズドアが欲しかった。書きたいんじゃなくて、見てみたい。ジローの好きな人は、だれなのか。だけど、もしそこに隣のクラスの青葉さんや学年のマドンナである雅ちゃんの名前があったらどうしよう。私は書き換えてしまうのだろうか。その葛藤に打ち勝てるのだろうか。負けてしまう気がする。そう思うと見たくないような、気もする。
「もしね」
眠ったと思っていたジローが口を開いた。私の膝に頭を置いたジローは目を閉じたままだ。
「俺がヘブンズドアが使えたら」
「うん」
「校長に月曜の一時間目は自習って書くよー」
ジローらしい使い方に思わず笑ってしまった。それに満足げな笑みを浮かべて、夢を並べるように使い方を話し始めた。
「跡部は指ぱっちんが苦手」
「がっくんは納豆が嫌い」
「忍足は標準語」
「宍戸はフラメンコが趣味」
え、えげつない。
流石ジロー。
ジローだけにはヘブンズドアを与えてはいけない。だけど楽しそうなジローを見ているのは私も幸せで、申し訳ないが跡部たちには犠牲になってもらうしかないと思った。
ジローは羊だ。この前ジローを猫みたいと言った女の子がいたけど、私は断然羊だと思う。彼女はこのふわふわの髪に触れたことがないのだろう。髪が潰れないように軽く撫でると気持ち良さそうに頭を押し付けてくる。そのかわいさったら、そこら辺の女子なんて目じゃない。漫画の男は女性の手を集めるのが趣味だった。その気持ちは分からないが、ジローの髪だったら集めたいかもしれない。それでふわふわの中で眠るのだ。自分でも末期だと思う。これは気持ち悪い。
長太郎を猫背に、日吉を干し椎茸に。
私が悶々としている間にもジローのもしもヘブンズドアがあったら、の話は続いていた。日吉が大変なことになっているのはスルーして、私がなんて書かれるのか緊張しながらジローの言葉を待った。
「君にはね」
来た。胸毛が生えるとか、ジロー専用枕になるとか。真っ白に見えてほぼ真っ黒なジローだ。何を言い出すかわからない。
「運命の人を俺って書いてあげるね」
思わず、撫でていた手が止まった。今、彼はなんて。黒さもえげつなさもない。その言葉は真っ直ぐ私に刺さって、一瞬の後に泣きそうになった。その意味を、私は履き違えていないだろうか。
「まぁ元から書いてあると思うけどね」
きっと受け取り方は間違っていない。欠伸を噛み殺しながら言われて、私は思わずジローの頭を抱えた。ジローが目を閉じていてくれてよかった。今の私は大変な顔をしているはずだ。好きな人に好きになってもらうのは、凄い確率なんだって、漫画で読んだことがある。私は確率を越えてしまった。泣いた。
「ジロー」
「んー」
「だいすき」
「俺もだよー」
知りたかったことは本を見なくても分かった。跡部は指ぱっちんが苦手で、向日は納豆が嫌い、忍足は標準語、宍戸はフラメンコが趣味、鳳は猫背、日吉は干し椎茸。
私は、ジローの恋人。
露伴先生、やっぱりヘブンズドアはいらないです。