「なんてこった」

これは俗にいう、いじめってやつか。移動教室から帰ってくると私の机がそれはもう酷いことになっていた。渇いた笑いが零れる。ぶちまけられた生ゴミ。びりびりに破かれたノート。机には真っ赤なペンで書かれた『死ね田中』の文字。………

田中って誰だああああああ

脳内で10秒ほど叫んでから気付いた。隣の席の加奈子ちゃんが目を見開いて、小さな肩を震わせながら私の机を見ていることに。そういえば、加奈子ちゃんの苗字は田中。そして彼女は私の隣の席。そうか、そういうわけか。

いじめは計画的に。なんて、ふざけている場合じゃない。明らかにとばっちりを被ったわけだが、私が感じるのは勿論加奈子ちゃんへの怒りではない。

目を離している間に加奈子ちゃんの大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていた。教室にいる誰もが、私たちを見ていた。ここはすごく平和なクラスだ。どうしたらいいか分からないんだろう。見捨てられているわけじゃないのは、わかる。私は加奈子ちゃんを抱きしめた。

「私は、加奈子ちゃんのこと大好きだよ」

「ふ、うぅっ…ごめ、私の代わりに、うっ…」

「ノート捨ててもいい?後でコピーあげるから」

いつの間にか友人が集まって、私の机を片付けてくれていた。頷いて、思わず緩む顔に気付いた。この中に加奈子ちゃんを嫌ってる人なんていないはずだ。

絶対見つけて、頭から生ゴミかぶせてやんよ。私と加奈子ちゃんに土下座させてやんよ。ノートは100円ショップの使ってたけどCampusのめちゃくちゃ高いやつ買わせてやんよ。

加奈子ちゃんの柔らかい髪を撫でながら、私の復讐計画はメラメラと燃え上がっていた。それに気付いているのかは分からないが、周りの友人も優しく加奈子ちゃんを慰めた。こんな状況で思うのもあれだけど、すごくいいクラ――

「ちょ、何この教室、臭いんだけど」

「ミスターKYが光臨した」

「は?ていうか、何してんの君」

勢いよく開けられたドアに、皆の時間が止まった。何故ならそこに立っていたのはどんな善人にも容赦なく制裁を下すヤンキー、雲雀くんだったからだ。雲雀くんは私が加奈子ちゃんを抱きしめているのを怪訝そうに見つめた後、生ゴミと落書きで悲惨な状態の机に目をやった。

「ワォ、すごいね。君田中って名前だっけ」

「うん、そう」

「ち、違います!これは私と間違われて…」

加奈子ちゃんは私から離れて震える声で雲雀くんに言った。雲雀くんは興味なさそうに彼女を見下ろした。やっぱり雲雀くんって怖いんだろうか。私の目に映るのは甘いものと小動物が好きなただの不器用な少年なんだけど。

「どうでもいいけど委員会の時間だから。この子もらってくよ」

「えっ、待ってよ!机の掃除が…」

「俺達でやっとくからいいよ!」

「お前は委員会頑張れよな!」

皆は笑顔で送り出してくれたが、その言葉の裏には明らかに『早く雲雀さん連れてってくれ!』という思いが込められていた。掃除を皆に任せるのは申し訳ないと思いつつ、このまま雲雀くんをここに居させる方が可哀相だと思った。雲雀くんは委員会に遅刻した私を怒っているわけだし。

「加奈子ちゃん、泣かないで」

「ふ、うっ…う、ん」

「また明日ね」

一方的な約束を取り付けて、私は雲雀くんに引っ張られながら教室を出た。繋がれた手に時めきが生まれないのは握り方が強すぎるからだと思う。少し教室から離れてから、雲雀くんが口を開いた。

「で、あれはどういうことな訳?」

「どういうことって」

「何で君が彼女の代わりにいじめられてるのかって話」

「あぁ、うんとね…」

簡潔に纏めて話した。ついでに私が犯人を見つけたらどんな制裁を加えてやろうか考えているかも全て。いつもの雲雀くんならここで「ふうん、いいんじゃない。僕の並盛でいじめなんていい度胸だ。僕も一緒に制裁してあげるよ」くらいは言ってくれるのだが、今日は機嫌が悪いらしい。ふうん、とだけ言ってその先は続かなかった。

応接室に着いてからも雲雀くんの機嫌は治らない。遅刻したこと関してなら、さっき謝った。これ以上を求められてもどうしようもない。機嫌を取ろうと紅茶と一緒にナ・ミモリーヌのクッキーも添えてみたが手をつけてくれない。空気が重い。なんだよもうこのやろう。

私は毎日委員会と称して放課後に応接室に行くが、大した仕事はしているわけじゃない。仕事をしている雲雀くんにお茶を煎れたり会話したりするだけなのだ。だから雲雀くんがお茶を飲まなかったり会話をしてくれないなら、私はここですることがない。つまり、暇。

「怒ってるの?」

無視。

「恭弥くーん」

彼は時々子供っぽい。いや、基本子供っぽい。だからこそ雲雀くんはただの乱暴者じゃないと思える。名前で呼んだだけで反応してくれるなんて、可愛いじゃないか。

「…君は、淫乱だよね」

「……………はぁ?」

い、ん、ら、ん。言われた意味が分からなくて、言葉をかみ砕いてなんとか理解しようと試みる。イラン、インライン、イライラ、卵白。最終的に携帯の辞書に『インラン』と打ち込んで意味を調べた。

「情欲におぼれて、みだらなこと…」

「というより、浮気者だよ」

雲雀くんの日本語と私の日本語が食い違ってる気がする。

「言いたいことが分からないんだけど…」

私は情欲におぼれてみだらになった覚えはないし、浮気者でもない。雲雀くんが怒っている原因が分かっても言われた言葉には心当たりがないから、何もできない。

「君は誰にでも簡単に抱き着くんだね」

ここまで言わないと分からないのか。呆れて馬鹿にしたように言われ、私はやっと一つの可能性に気付いた。だけど、いや、まさか。

それはないよね雲雀くん?

「じょ、女子ですけど…」

「そうだね」

確定だ。雲雀くんは私が加奈子ちゃんを抱きしめていたことに怒っていたらしい。…というより、嫉妬か。嫉妬してくれたのは嬉しい。素直に愛を感じてもいいんだと思う。が、初めての嫉妬が女子に対してってところが分かりづらい。私は同性愛者ではないし、友達とならじゃれあって抱き着きあったりする。それを淫乱だの浮気者だの言われるとは思わなかった。

雲雀くんの嫉妬の沸点の低さに驚きつつ、機嫌の悪さが可愛い理由から来ていることに和んだ。途端に雲雀くんが可愛く見えてくる。そっと近寄り、後ろから雲雀くんを抱きしめる。

「分かった、もう抱きしめるのは雲雀くんだけにするね」

「君生ゴミ臭い」

「ひでえ」

く、臭いって。傷付いて離れようとしたら手を掴まれて動けなかった。

「いいよ、別に。でも他の奴には迷惑だろうから抱き着かないほうがいいんじゃない」

雲雀くんは私の手を巻き付けたまま、仕事を再開した。ここで自分からは抱きしめてくれないところが雲雀くんなんだよね。少し寂しく感じつつも、これは彼の精一杯の甘えだろう。さっきまでのピリピリした空気はもうない。雲雀くんはナ・ミモリーヌのクッキーをかじり、残り半分を私にくれた。



次の日、学校に行くと私の机は以前使っていたよりも綺麗なものに変わっていた。その上にはCampusのノートが五冊。破かれたのは一冊だったから、寧ろ得してしまった。加奈子ちゃんも学校に来てくれていたから一安心だ。雲雀くんに机とノートのお礼を言うと、キスでいいよ、なんてお前どこのフランス人ですかという甘い返しをされた。昨日のことがきっかけになったのか、雲雀くんはデレやすくなった。

照れ屋の私にそんなことができるはずもなく、さりげなく話題を逸らす。

「今日から犯人探そうと思うんだ!風紀委員にも協力してもらって…」

「あぁ、そんなの並盛に置いておくわけないだろ。昨日のうちに処分しておいたよ」

「き、昨日!?」

昨日といえば、遅くまで学校に残って仕事をした後、私を家まで送ってくれた。あの後に犯人を見つけてさらに制裁する暇なんてあるのか。

「草壁がね」

納得だ。



怒らせてはいけないもの、お母さん、雷様、雲雀くん


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