神を孕む少女



がしゃん、ぱりん

耳の奥を引っ掻くような高く耳障りな音が真後ろから聞こえた。液体の音はしなかったので中身は既になかったのだろう。溜め息を吐き、身体を音の方向に向ける。溜め息が聞こえたらしく女は大きく肩を揺らした。耳を赤くしながら俯いて、割れた湯呑みの破片を集めている。ぼそぼそと声が聞こえた。耳をすましてみるとそれは謝罪の言葉だった。俺はもう一度息を吐く。「もういい」俯いていた女はその一言で勢いよく顔をあげた。予想通り、その頬には何滴もの涙ついていて顔も赤くなっていた。「女中を呼ぶから触るな。怪我でもされたら堪らん」女は破片から離れようとしない。さらには手を伸ばして集めようとするものだから近付いて手を掴んだ。しかしそれも振り払われる。また破片に手を伸ばす。「っ…!」ほれ見たことか。白い指の先からは紅い血が流れていた。「わた、私、三成に何もしてあげられない」女の声は意気消沈としており、俺まで心臓を突かれたような気持ちになった。血の流れる指を掴んでも今度は振り払われなかった。それに口づけ、そのまま口に運ぶ。女は先ほどよりも大袈裟に肩を震わせ、手を引こうとした。「動くな」その言葉で小さく震えながら固まってしまった。指から血が止まったのを確認し、薬を出して傷口に塗った。「初めからこうすればよかったんじゃ…」「聞こえんな」「…聞こえてるじゃない」薬をしまいながら考えた。この女はどうやったら自分の価値と立場を理解するのだろう。茶を用意出来なくても泣き虫で仕方がなくても壊した破片を拾おうとして怪我をしても、何が起きたって何も起きなくたってお前は俺の妻だ。しかし今更もう言いはしない。何度も何度もそれこそ口がすっぱくなる程に言った。分からず屋とはこいつのような者のことを言うんだろう。俺も周りに言われ続けてきたがこいつも負けず劣らずだ。自分に自信がなさすぎるのだ。俺の隣に立つことも嫌がる。俺の贔屓目を差し引いたとしても女は素晴らしい人間だ。まずこの俺が選んだ女が下等なわけがない。勿論容姿だけではない。常に向上しようとする心構えだったり地位に関係なく気配りをする心だったりだ。それを無意識にやってのける。それだけでも俺はこの女は充分に誇れるし、俺の隣に立てる人物だ。「三成」女が声をかけた。考えながら睨んでいたのだろうか。なんだと返すと女は本当に張っ倒したくなるようなことを口にしたのだ。「私のこと捨ててもいいんだよ」張っ倒しはしなかった。女に手をあげるなど武士の恥だ。それでも、押し倒さずにはいられなかった。「みつなり…?」女に覆いかぶさって見下ろす。不安げな声。女の頬を滴が伝った。また泣いているのか。――いや、違う。「二度と言うな、そして言わせるな。お前は俺の妻だ。俺はお前以外の女を隣に立たせる気は後にも先にもない。頼む、もう二度と、」言葉が詰まる。そこで気付いた。女の頬を伝っていたのは俺のそれだったのだ。泣く、なんて感情表現は何年ぶりか。記憶の中の幼い自分も泣いてはいない。俺の貴重な涙はまた泣きはじめた女の涙と混ざり、よく分からなくなった。「私、三成の涙なら拭ける」女は泣きながら笑った。「馬鹿め」そんなにしょっちゅう泣くものか。これが最初で最後の仕事になるだろうが、今はそれでいい。俺も同じように、女の涙を拭いた。

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