理屈の底を叩く雨



腕組みをしたまま、強い瞳でこちらを見つめてくる苗木を睨みつける。コロシアイ学園生活の頃から何一つとして変わらない、希望を絶やさない力強い目。

ずっと傍で見てきたその瞳が、ただの一瞬も揺らがないことには少し安心感を覚えてしまう。その目を向けられては、どんな言い訳も無意味に思えてしまう。これで先刻の言葉が聞き間違いであればと、思わずにはいられなかった。聞き間違いであれば、どんなに良かったか。

「本気で言ってんのか?それ。」
「本気だよ。冗談でこんなこと言うわけない。」

スーツに身を包み、少しだけ垢抜けた表情を携える苗木は秋原の言葉にそう返した。一切の迷いのない、ほぼ即答に近い返事だった。

やはり聞き間違いではなかったかと、秋原は眉間によったシワを伸ばすように指先を押し当てる。

「お前のお人好しもここまでくると最早芸術だよな。アイツらが……絶望の残党が今まで何をやらかしてきたかなんて、語り聞かせなくても分かってんだろ?」
「……わかってるよ。許されることじゃないし、許しちゃいけないことだと思う。いくら元希望ヶ峰の生徒だからって……だけど。」

苗木は悲しそうに目を伏せる。輝きはそのままに、少しだけ哀れみの色を宿して。

「あの人達だって、ボク達と同じ――普通の高校生だった時期もあったはずなんだ。皆と学校で笑いあって、時には喧嘩なんかもして……そうやって何でもない日々を過ごしてた頃だって、あったはずなんだよ。」
「だからわざわざご丁寧に生け捕りにして、更生させようって?随分理想的なご回答だな。」

苦しげな苗木に、秋原は皮肉たっぷりに嗤う。希望と理想論は、違う。いくら彼らが絶望に染まったのが“超高校級の絶望”の所為だったとして、やってきた事が全て帳消しになるわけではない。可能なかぎり全力で、かつ迅速に倒すべきなのだ。

けれど、苗木は。

「それは違うよ。」

と、口を開く。

「更生じゃない。彼らを、あるべき姿に戻すだけだ。昔の、絶望になる前の彼らに。」
「――そんなことして、何になるんだよ。」
「何にもならないかもしれない。もしかしたら、失敗するかもしれない。……だけど、1%でも望みがあるなら、それにかけてみたいんだ。ボクは信じたいんだ、彼らの希望を。」
「……答えになってねえよ。」

ああ、と秋原はため息をつく。薄々感じていたことだが、こうして未来機関に所属するようになってからはひしひしと感じるようになっていた。

――苗木誠の希望というのは、時に議論を交わすのもバカバカしくなってしまうほどに強く、眩しい。

希望ヶ峰学園元第77期生、そして超高校級の絶望の残党である十数名を、倒すのではなく昔の状態に戻す。そんな、今も絶望の残党とドンパチやっている未来機関の面々が聞いたら卒倒しそうな案を、本気で実現させようとしている。

呆れた顔をする秋原に、苗木は複雑そうな苦笑いを浮かべる。

「……秋原クンも、良いって言ってくれると思ったんだけどな。」
「バカ。俺は霧切や十神とは違うんだよ。」

彼らの名前を出した途端、苗木が「うっ」と図星を突かれたような声を上げる。

あの2人、現実主義かつ合理主義なところが強いくせに、苗木の希望論には滅法弱いところがある。朝日奈と葉隠も同様だろう、腐川――は、まだ正規の機関員ではない上に十神至上主義者だから分からないが。今まで他のメンバーに「やめた方がいい」と言われなかったからこそ、秋原の反対に困惑しているのだろう。

しかも生憎、秋原も絆されかかっている。

あの地獄のようなコロシアイ学園生活を終わらせて、江ノ島盾子を倒したという彼の功績は、どんな不可能も可能にすると思えてしまうのだ。

「希望更生プログラム……ね。そんなモンで本当に元に戻せんのかは、置いといて……もし、失敗したらどうするつもりなんだ?」
「その時は――ボクもプログラムの中に入って、何とかするよ。」
「……飛んで火にいる夏の虫って言葉、知ってるか?」
「大丈夫だよ。きっと何とかなるから。まだ失敗するって決まったわけじゃないしさ。」
「希望論っつーか、ゴリ押しだな、その考え方だと……。」

あはは、と笑う苗木に、呆れ顔をする。しかしそのゴリ押し論で幾多の修羅場をくぐり抜けてきたのだから、馬鹿にならない。“超高校級の希望”の名は伊達ではない。

組んでいた腕を解き、苗木の胸に握りしめた拳を当てる。青年と呼ぶには些か小さな、けれどとても大きな体。何を言っても彼はその計画を推し進め、是が非でも遂行するつもりなのだろう。そしてもしもの時は、本気で自らも電子の海にその身を投じるつもりなのだ。

自己犠牲が強く、それでいて犠牲になることなど微塵も考えていない。

そういう人間なのだ、苗木は。

「そんじゃ、その『もしもの時』は俺もご一緒するかな。」
「ううん、秋原クンには、“こっち”に居て欲しい。」
「何でだよ、そこは「もちろん、お願いするよ!」って言う所だろ!」
「だ、だって!皆が皆プログラムに入っちゃったら現実世界が危うい時何も出来なくなるし!」
「俺は生贄か!?」
「ち、違うって!」

特徴的なアンテナを揺らしながら苗木は慌てて弁解を図る。ぐりぐりと拳で胸を押されて少し痛そうに顔をしかめた。

不服そうな表情を浮かべる秋原に、歪めた顔にほんの少しだけ笑顔を乗せて言う。それは、懇願にも似ていた。

「待っててほしいんだよ、秋原クンには。」
「……。」
「ボクが必ず帰ってくるって、信じて待っててほしい。」
「……苗木。」

信じる事も、待つ事も、それなりに相手への信頼が深くなければ出来ない。それを、この男は分かっているのだろうか。共に危険地帯へ足を踏み入れるより、安全な場所で相手の帰りを待つことの方が、背徳感も焦燥感も責任も重みも大きいということを。

恐らく、分かっている。

分かっているからこそ、自分に頼んでくれている。

ありもしない“絶対”を、信じて待っていてくれ、と。

「俺が豆腐メンタルだったら、即断ってたぞ、ソレ。」
「う、うん……。」
「でも、まあ。」

ふ、と笑みを漏らす。きっと霧切も十神も朝日奈も葉隠も腐川も、こうやって彼に絆されて賛成を口にしたのだろう。学園から出る前も、出た後も、自分たちの中心は、彼だった。そしてきっと、これからも。

秋原は苗木の心臓あたりに当てていた拳を少し離した。それで意図を察したのか、苗木はハッとした顔をして自身も拳を作り秋原に差し出す。2人の拳が、コツンとぶつかり合った。

「分かったよ。その時は、いくらでも待っててやるっつーの。」
「……ありがとう。」
「その代わり、失敗してアイツらが絶望のままだったら、その時は容赦しねえから。それでいいな。」
「うん、いいよ。」

清々しい笑顔を見せる苗木に、秋原もつられるように笑う。互いの拳から、思いが伝わってくるようだった。結局また、この男に言いくるめられてしまう。それが悔しくもあり、喜ばしくもあった。

少しの間そうして笑みを向けあった後、拳を離し、そのまま言葉もなく別々の方向へ歩いていく。言い合う前に、「もしも」の話をする前に――まずは、各々のやるべき事を。

闇を掬い上げ、手を差し伸べ、背中を守る。

それは全て、世界が再び希望の光で包まれる日のために。希望と絶望は表裏一体、光あるところには影がある。ならば、影をも照らす光を生み出してやればいい。

苗木も秋原も、振り向く事はしなかった。前を向いて歩く2人の瞳は、強く、凛々しく、何者にも屈しないことを語っていた。

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