サカサマカミサマ



腹部に重圧を感じて目を覚ました。重い瞼を持ち上げるとまず、コンクリート製の天井が目に入る。島にいた時は木を組み立てて作った家に住んでいたから、その真っ平でシンプルな天井には未だに慣れない。何度か瞬きをした後、視線を下へ、重圧を感じる腹部へと動かす。すると見慣れた銀髪が左右に揺れているのが分かった。目が合うと、ぱっとその顔を輝かせる。

「ヒロ!おはよー!」
「……おはよ、アンジー。」

布団の上からヒロに跨った体勢で、アンジーは朝の挨拶をした。面積の少ない水着姿に、寝起きのまま部屋を飛び出してきたのか髪の毛は無造作に下ろされたままだ。恐らくまだモノクマーズのアナウンスは流れていないはずだから、相当な早起きだろう。欠伸を噛み殺しながら跨っているアンジーの頬へ手を伸ばす。

アンジーは頬を撫でられると嬉しそうに目を閉じて、そのまま上半身を倒す。胸のあたりに頬を擦り付けてくる仕草に愛しさで心臓が潰れそうになるのを堪えて思わず破顔した。布団から片手を出して頭を撫でると、気持ちよさそうに笑い声を漏らす。

「今日早くない?まだ……六時、じゃん。」
「んとねー、今日は早起きするといいって、昨日神さまが言ってたから。」
「そっか。いいことあった?」
「あったよー、今日は一番最初にヒロに会えたー!」

布団の上からとはいえ、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて少し苦しい。けどそれがアンジーなりの愛情表現なのだと分かっているから、少しの苦しさくらいどうってことはなかった。他者に対し、スキンシップが特に激しいというわけではないアンジーがここまで体を寄せてくれるのは自分だけだという事実にも、ちょっとした優越感を覚える。

何度か頭を撫でてやると満足したように身体を起こし、ちゅ、と軽いリップ音を立てて唇にキスが落とされる。今日は随分とゴキゲンのようだ。ふにゃりと笑ったアンジーは、お返しとばかりにヒロの頭を撫でてくる。痛くはないが少し、くすぐったい。

「にゃははー。ヒロ、ヒロ〜。」
「ふふ、はいはい。」
「幸せだねー。このままこうしてたいねー。」
「そういうわけにもいかないだろ。ほら、髪結んであげるからそろそろ起きて。」
「……ぶーぶー。」

島で一緒に住んでいた頃は、それこそ一日中――アンジーの身体に神様が降りてきた場合は別だが――二人用のハンモックでごろごろとただ身体をくっつけあって過ごしていたこともあった。けれど、今はそんなことをしていたら周りの人間が黙ってはいないだろう。まだアンジーには難しいようなので、こうしてヒロがブレーキをかけてやらないと、本当に彼女はこの学園でやっていけなくなってしまう。

そりゃ勿論、ヒロだってアンジーとずっとこうしていたいけれど。

悲しいことに、この学園は、アンジーとヒロの二人きりの世界だったあの島とは違うのだ。

ほっぺを膨らませて不満を垂れていたアンジーも、ヒロの意思を汲み取ったのかそうではないのかは分からないが、渋々ヒロのベッドから降りる。そのまま定位置になった鏡前の椅子に腰掛けた。腰まで伸びた美しい銀髪が、ほどよく焼けた肩を滑り落ちる様は正直、男にとって目の毒だ。その細い肩や腰に食らいついてしまいたくなる衝動を自身で宥めて、ようやくヒロもベッドから降りた。手近に置いてあったブラシを手に取り、アンジーの後ろに回る。

「いつもと同じでいい?」
「ヒロの好きにしていいよー。」
「わかった。」

髪をブラシで溶かしながら、この学園に来てから、と言うか連れてこられてから毎日繰り返しているやりとりをする。島にいた頃は上で一つにくくって欲しいとか、二つに結んで先をくるくるにして欲しいとか、色んな要望を受けては毎朝四苦八苦していたのが懐かしい。最近はその要望を考えるのが億劫になったのか神様の思し召しなのか、全てお任せされている。

主は言いました、髪型はヒロに全部任せなさい、と。

そんな感じかもしれない。

元々見た目にそこまで気を使うタイプでないことは承知しているので、もしかしたら気まぐれでまたリクエストが増える日も来るかもしれない。

寝癖一つない真っ直ぐな髪を少しだけウェーブさせて大きく二つに分け、鎖骨のあたりで緩く結ぶ。時間にして五分もかからないこの髪型は、幼い頃からアンジーが気に入っているヘアスタイルだ。さすがに高校生になったらこの髪型は幼すぎるから嫌だと言われると思っていたけれど、成長しても別段そんなことはなかった。今もこうしていつも通りに結われるのを、大人しく待ってくれている。ヒロも、昔のまま変わらないでいる素のアンジーが好きだった。

「はい。できたよ。」
「ありがとー!」

具合を確かめるように両手で結われた髪を撫でて、振り向いたアンジーはにっこりと笑う。その笑顔を向けられるだけで、今日も一日頑張ろうという気持ちになれるのだ。この笑顔を知らない他の世の男連中は本当に気の毒だと思う。ここ日本にはスマイルゼロ円なんて言葉があるらしいが、全くもってその通り、アンジーがヒロに向けてくれるのは無償の愛だ。こんなに幸せでいいのだろうか。

「ヒロ、顔がにやにやしてるよー。」
「お互い様。……はい、コート。朝飯済ませたら、神さまにお祈りしないとな。」
「うん。他のみんなも、お祈りに誘ってみよー。」

昨日の夜ヒロの部屋に置きっぱなしにしていったコートを羽織り、アンジーはぐぐっと背伸びをする。コートの内ポケット入っている彫刻刀なんかが、カチャカチャと擦れ合うような音がした。

島では老若男女関係なしに大勢でお祈りを捧げるのが当たり前だったから、最近は二人だけで捧げるしかない現状がアンジーは少し寂しいらしい。本人にそんな自覚はないようだけれど。あまり自分から何かに誘ったりすることのない彼女が神さまへのお祈りだけは頻繁に人に声をかけているのが何よりの証拠だった。

この国の人の多くは無信教なんてよく言われているが、いつも見守ってくれる神さまが傍にいないなんて、ヒロには耐えられる気がしない。

「今日は一人くらい、一緒にお祈りする人がいればいいな。」
「うん。でもでもー、もしいなくても、ヒロが一緒だったらアンジーはそれでもいいかもー。」

なんて、そんな可愛いことを言いながらアンジーはヒロの手を柔く握る。まだ寝起きのせいで体温が高いのか、いつもよりその手のひらは熱かった。熱を逃がすように全体で握り返してやると、アンジーはますます笑みを深くする。ほんのりと桃に染まった頬は、島で育てていた熟した果実のようだ。あれが食べられないのも、この学園生活への不満の一つでもある。もぎたてにそのままかぶりつくのが好きで、幼い頃はアンジーと二人で近くの畑に繰り出していたものだ。

「アンジーね、島に帰れないのはちょっと寂しいけど、神さまとヒロが一緒だから大丈夫なんだよー。」
「そっか。……うん、俺も。俺もアンジーと神さまが一緒だから、大丈夫だよ。」
「いいねー、おそろいだねー!」
「神ってる?」
「神ってるー!」

蕩けたままの顔でそんなことを言ってくれる彼女が死ぬほど愛おしくて、たまらず額にキスを落とした。嬉しそうにキャッキャとはしゃいだ声を上げるアンジーの手をまた、強く握る。

記憶がどうだとか帰りたければ殺し合えだとか――訳の分からないことだらけの学園生活でも、目の前にアンジーがいて、笑いかけてくれるのだから何も恐れることはない。アンジーが言うのだから、神さまもずっと見守ってくれている。このまま何事もなく時はすぎ、なんやかんやで二人揃って島に帰れるに決まっている。

全ては神のみぞ知る、神さまの言いつけ通りに。

アンジーとヒロはしっかりと手を繋いだまま、束の間の愛の巣を後にした。

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