∵ロカ〔ミロカロス♂〕シリアス気味


ーー大したことじゃない。ただ少し、懐かしいような気がしたんだ。


しとしとと降り注ぐ霧雨が窓を白く染める。今日は、久しぶりに雨が降った。湿度の高い室内にうっすらと入り込んだ仄かな土の匂いに機嫌を良くした俺は、一目散にキョウの部屋へと向かう。

どんなことでもいい。自分の見たもの、感じたもの、すべてをキョウと共有したい。自然と頬が緩むのを感じながら小走りで廊下を進むと、すぐに大好きな背中が見えた。やっぱりここに居た。

ねえキョウ、雨が降ってるよ。しかもとっても細かいやつ。庭の花壇が雨粒にきらめいていて、すごく綺麗なんだよ。いつものように明るく声をかけようとして、手を伸ばし掛けて…やめた。キョウの様子が、おかしかった。

キョウは窓の外を見ていた。どこか憂いを帯びた綺麗な横顔に思わず見惚れてしまったのだけれど、部屋の電気もつけずにただじっと眺めているものだから流石に心配になって控えめに声をかけた。


「…キョウ。」

「……ああ、ロカか。」

「どうしたの?電気もつけないで。」

「ちょっとな。考え事をしていただけだよ。」


キョウがこちらを振り向いて、俺の姿を確認するとうっすら微笑んだ。そんな動作さえもいちいち様になっているものだから、俺の心臓は煩いくらいに鼓動を速くする。でも、それでも、やっぱりいつものキョウじゃない。

俺は人のココロに敏感なポケモンだから、会話だけでは見逃してしまうような僅かな波長でさえも捉えてしまう。寂しい…いや……恋しい?何が恋しいの、キョウ。言葉を通してじんわりと胸に流れ込んでくる、もやのように掴めない感情。


「大したことじゃないんだ。ただ少し、」


懐かしいような気がしたと、キョウはそう言った。何がとは、聞かなかった。その瞳はどこか儚げに揺らめいて、キョウは確かにここに居るのに、俺の目の前に居るのに、まるでこの世界のどこにもいないような不安定な存在に見えた。途端に背筋がすぅっと寒くなる。


「キョウ…?ねえ、」

「どうした。」

「キョウはずっとここに…居るよね?」

「………」

「何処かに行ったり、しないよね?」

「………」

「ねえ、キョウ。」


膨れ上がる不安を消したくて、すがるように見上げた黒の瞳は俯いたまま。伏せられた視線がまるで溶けるように部屋の暗がりに落ちていく。頷いて、何処にも行かないと、望んでいた答えをキョウが返すことはなくて。

どうして…俺の目を見てくれない。わかりたくないのに、気付きたくなんかないのに、じわじわと膨らんでいく不安に酷く視界が歪んだ。


ーーー俺を置いて行くの、キョウ。


怖くて口に出せなかった言葉の代わりにこぼれ落ちた雫が、頬を伝って静かにフローリングに丸い染みを作る。覚束ない足取りでキョウの近くに寄って、精一杯の抵抗に、震える手を押さえながらキョウの服の裾を掴んだ。


「お前は本当に、そうすぐに泣くなと何回も言ってるだろ。男がそんなんじゃ駄目だ。」


俯いた頭の上から聞こえる少し困ったような優しい声が、角ばった大きな手が、まるであやす様に俺の髪を撫でていく。キョウの本心が知りたくて、気休めの優しさなら要らないとそう、思うのに。子供染みた虚勢を張る心とは裏腹に、震える体はキョウの体温に酷く安堵する。


「キョウは、ずるい…。俺に優しくしてくれるのに、俺に何の…責任も、負わせてくれない。」


自分でも驚くほどに、俺はキョウのことを知らない。キョウの過去も、前に住んでいたという不思議な場所のことも、今だって、きっとキョウは全てを話してはくれない。

本当は気づいていた。いつだって誰よりも傍でキョウを見ていたから。失くした記憶が戻る度、俺の知らないキョウが増える度、キョウはさっきみたいな顔をしてどこか遠くを見ている。そしてそれは、きっと俺たちの知らない世界。遠い、遠い世界なのかもしれない。

温かで不確かな、あまりにも危うい存在。

そこに残してきた責任も何もかも、俺たちに押し付けてしまえばいい。俺がキョウを引き留めた、俺がキョウを離さなかった、何でもいいから。キョウがここに居てくれるなら、何だって構わない。

だから、お願いだから。


「傍に…いさせてよぉ…っ」


君の居ない世界で、
きっと俺は苦しくて息ができない。



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