メロスは走った。

有名な書籍の一節がぼんやりと硬直した頭にふわふわと浮かぶ。いや、でも今目の前でこちらに向かってくるあの男性の走りっぷりは、かのメロスでも歯が立たないんじゃないか。速い。…と、言うか怖ぇ。なんて下らない事を考えている場合では無く。



…何だ、アレは。



呆然としながらも余りの異様さに思わずそう発しようとした言葉は、その問題の人物による超ド級な叫び声によって、掻き消された。


「かああいっくんんんんそおおおらっくうううううんんんんっ!!!!」


興奮してんのか知らねぇがよく聞き取れない。鼻息の荒らさにドン引いてしまった俺はきっと悪くないだろう。
だがしかしよくもまあ炎天下であそこまで全力で駆けていると言うのに、あんな大きな声を出せるもんだ。
逆に感心してしまう、と呑気に思っている間におっさんは弾丸並みの勢いで俺達のところまで来て、おいとか口を挟む暇さえなくそのまま、



「息子よ―――ッ!!!!」



……海翔と空翔に、それはもう容赦なく抱き付いた。
走ったそのスピードのまま二人に突撃したもんだからちっこい双子が耐えられる筈もなく、そのまま三人で吹っ飛んで行く。
ドンガラガッシャン、なんてどこの漫画だと突っ込みたくなる様な騒音が向こう側から聞こえてきて、俺は妙な頭痛がするのを感じた。
…今確実に、あの二人の事を息子と言っていた。親か。親なのか。アレが。…どうしてこう、親子揃って大人しく出来ないのか。遺伝子のせいだと言うんだったら仕方がないが。
とにもかくにも潰された萱嶋等の様子を見に行かなければならないと腰を上げかけ、未だ篠山の手がそこをがっちり掴んでいるのに気が付いて溜め息が出た。そんな俺の様子にも気付かず、奴が口を開く。


「……ね、会長会長。さっきの人、チョビヒゲだったの、見た?俺本物なんて初めて見たよ〜日本にもいるんだねぇ、すごー」


頼むからおめーは黙ってろ。





***




「ごめんっごめんね空くん辛い思いをさせたね!!私は考え無しで…謝っても謝りきれない!!でも一つ言いたいのはね、私は空くんも海くんも同じ位に大好きだという事なんだよ!それだけはこれから先、何があっても変わらない!!」
「ぉ…お父さん、よく分かんないけどちょっと苦し……っ」
「ウワアアアア!!!!そうだろう苦しかっただろう!!!!ごめんよ不甲斐ない父さんで…ッ何と詫びれば良いのか、おぉ神よ!!この私の気持ちを息子達にありのまま伝えられる言葉を与えたまえ!!」
「…………」


何だアレは。

先程呟けなかった言葉を、俺は今度は小さく声に出して言う。高価であるに違いないスーツが泥で汚れているのも構わず、双子を全力で抱きしめながらおいおい泣いている男性。その腕力に耐えきれず、空翔は真っ青だ。
篠山を退かせてこちらを見に来たは良いものの、全く間に入れそうにないこの状況。入りたくもないけれど。
どうするべきか一瞬考えたが、もう面倒なのでとりあえずは横に立って事の成り行きを見守る事にした。
と、やっとこさ父親の腕の中から抜け出した海翔が、息苦しさから少々涙目になりつつも声を発する。

「…お父さん!泣いてちゃ分かんないよ、空翔にちゃんと説明してあげて。…空翔、僕が全部お父さんに話したんだ、その…今までの事、全部」
「え?」

海翔の言葉に一瞬呆けた様な顔をして、えぐえぐと大の大人らしからぬ泣き方で嗚咽を上げている男性を空翔は見上げた。愛する息子の何か言葉を求める様な視線に男性も鼻をすすり、空翔と向き合う。
そうして数秒後、涙声ではあるが、先程とは違いちゃんと言葉を選ぶ様に、彼は声を発した。

「か…海くんをね、社長にするって私が言ってから…空くんがずっと、悩んでたって…傷付いてたって聞いてね、私はなんて馬鹿だったんだろうって…海くんと空くんの気持ちに、気が付かなくて…っ…違うんだよ空くん、私が次期社長に海くんを選んだのは、どっちが頭が良いとか、そんな事を気にした訳じゃ無いんだ」
「……へ、……え?」

パチパチと瞬きをする空翔。文字通りぽかんと、ぐずぐず鼻をすすりながらも喋り続ける自分の父親を見上げている。そんな彼に男性は、赤い目のまま大きく頷いた。

「本当だよ。……その、ね。うちはお菓子の会社だけど、空くんは甘いものが嫌いじゃないか。…だから、社長になんか、なりたくないんじゃ無いかって…海くんは甘いものも好きだから、こうした方が良いんじゃないかって、思っただけなんだ。言わなかった私が悪かった、良い案だと勝手に満足してて…っ」

そこまで言うと、男性は再びおいおいと声を発して泣き出した。なんて泣き虫な大人なんだ、と思わないでも無いが何だかそれを突っ込む様な空気じゃない。

どうやら次期社長に兄である空翔では無く海翔を選んだ事によって、空翔が自分の頭が足りないせいだと悩んでいたらしい。そりゃ落ち込むわな。大筋は分かった。矢張金持ちは金持ちの問題で面倒だ。
と、それまで呆けた様に黙って話を聞いていた空翔が、小さく口を開くのが見えた。

「……と、……に?」
「ん……?」

小さな声に気が付いた男性が、目をしばたたかせながらも空翔の顔をゆっくりと見やる。そんな父親に、声を震わせながらも空翔は、顔をくしゃくしゃにさせて聞いた。




「…っほ、ほんと…に…っ、ぼ…僕の事…呆れたり、してない…っ?」




じんわりと空翔の目の端に涙が浮かぶのを俺が見た瞬間、彼の父親が思いっきりその体を抱き締めた。当たり前じゃないかと、掠れた声で、その耳元で何度も言う。
他人の家族の抱擁シーン。なんてこっ恥ずかしいんだ、と思いつつ目を逸らしたその先に、篠山が隣で笑いながらも何だか羨ましげに見ているのに気が付いて、俺は口をつぐんだ。


「そ…空くんも海くんも、私の大事な息子だ。呆れたりなんかしない、大好きだよ、二人共…ッ」
「ぉ…とう、さ…っご、ごめ、なさ…っ」

うわああんと、終いには親子揃って泣き出したその姿を横から見ていたら、彼等の側に立っていた海翔が眉尻を下げながら笑っているのが目の端に映った。
どうすれば良いのか分からないこの状況だったが、篠山が良かったねぇ〜とのんきに呟いているからとりあえずは良かったんだと思っておく事にする。

未だおんおんと泣き続ける萱嶋親子を眺めつつ、俺は思わず苦笑いの様な笑みを浮かべた。



どうやら騒々しいところだけでなく、泣き虫なところも、遺伝子のせいらしい。






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