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……しん、と。

先程まで多少なりとも会話をする声のあった廊下が、静まり返った。

唖然とした様な視線が自分に刺さるのを感じたが、恭夜は気にする事なく――否、気にする余裕が無かっただけなのだが――ただ深く、頭を下げた。
謝罪の言葉を伝えたい相手が、止まったかどうかすら分からない。それでも顔を上げないまま、恭夜は悪かった、そう再び言った。


昔の自分が言った言葉を、今更覆す事は出来ない。あの時の恭夜は恭夜なりに考えての言葉だっただろうから、後悔する事にも意味は無い。それでも自分が、東條を傷付けていたならば。

謝るしか無かった。
それしか、出来なかった。




「悪かった……ッ」




何度も、何度も。
同じ言葉を、絞り出す様に言った。伝わらないのなら、許されないのなら、それは仕方がない。取り返しのつかない事もあるだろう。それは昔の自分が悪いのだ。



それでも、意味が無くても、謝らなければきっと一生、後悔する。



「――本当に、わるか…ッぐ、!?」
「ッちょっと来なさい!!!」

ぐい、といきなり襟を引っ張られる感覚がし、何だと思う前に後ろにそのままぐいぐいと引き摺られた。見れば何だか物凄く怒りオーラを出している東條の姿。
締められて息が出来ねぇ、なんて咄嗟に思い浮かんだがとりあえずずかずかと歩いていく彼に、変な歩き方のままよろよろついていく。
途中、ぽかーんとした生徒達の顔が見えてようやっと、恭夜は自分がかなり恥ずかしい事をしたと自覚した。廊下で謝罪する生徒会長なんて前代未聞だ。




引き摺られ始めてから数分後、体勢がかなりきつくなってきた頃に、ようやく東條は1つの無人教室に恭夜を突き飛ばす様に押し込めた。ガラガラピシャン、と勢いよく扉が閉められる。
解放されて痛みに喉を抑えつつ、頭にハテナマークを飛ばしながらも恭夜は東條を見やった。顔を見たのは、久し振りな様な気がする。
何故だかかなり怒っている様子の東條に何か話すべきか、と思いながら恭夜はゆっくりと口を開いた―――が。



「っ貴方は一体何をしているんです!!生徒会長がみっともない真似をして恥ずかしいと思わないんですかっ、威厳を忘れないで下さいよ!!貴方今学園で何て呼ばれてるか知ってます!?『ハプニング大賞』ですよ、天下の生徒会長がバラエティ狙ってどうすんですか!!!」



「………は、?」

いきなり怒鳴られて、恭夜は唖然とした。言われた言葉が咄嗟に理解出来ず、首を90度に曲げそうになる。何に怒っているのかよく分からない。
とりあえず引っ掛かったところだけ反論しようと、噛み付きそうな勢いの東條に向かって何とか口を開いた。

「……い、や…別に狙っては…っつーか俺にハプニングが多いのはお前等のせいだろうが!」
「えぇ、えぇ、私のせいですよ!!全部私が悪いんですよ、知ってますとも!!だから貴方が謝るのが気に食わないんです、何を謝ってるんですか!そんな事されたく無いんですよ、貴方は何も間違ってないでしょう、止めて下さいよ本当に!!!」

止めて下さいよって何なんだ、と思いながらも余りの言い様にムッとして言い返そうとしたが、相手の表情にぎくりとして恭夜は思わず止まった。
今にも泣き出しそうな程に顔を歪めて、東條はそこに立っていた。拳を握り締めながら、小さく、吐き捨てる。




「……私が、惨めになるだけです……ッ」




そう言った後、東條は唇を噛み締めて俯いた。何時でも真っ直ぐに自分を見据えてくる男の目を見たくなくて、一度小さくふるりと瞬きをする。

「……東條?」

訝しむ様な恭夜の声が聞こえた。
彼は彼の正しいと思った事を、今までずっとその通りに行なって来たのだろう。
それが誰かにとっての正義で無くとも、自分がそう信じていればそれで良いという事を、本当は東條だって知っていた。それでも認める事は出来なかった。

間違っていると分かってなお、進んでしまった自分が、居たから。



偉そうな事を沢山言っても、何かと理屈づけても、それが何の意味も持たない事をずっと知っていた。笹川穂積の事も立花の事も、ただの言い訳に過ぎない。自分の行動の理由を、誰よりもよく知っているのは東條だった。


守りたかったのは笹川では無い。立花でも無い。
何時だって、東條は。






(自分を、守りたかっただけで、)






かけがえのない友人が欲しかった。何の才能も無いつまらない人間である自分を、一番大事だと言ってくれる友人が。そしてそれは笹川だと、ずっと信じていた。
でも自分は、彼を助けられなかったのだ。たった一言に動揺して、『かけがえのない唯一の』友人である筈の彼を。
恭夜を憎んだのは、ただの八つ当たりに過ぎない。それでも憎まずにはいられなかった。そうしなければ、助けられなかった自分を責め続けるしか無かったのだ。


(本当は友達なんかじゃなかったのか、一人で居たくないから一緒に居ただけだったのか、そんなに大事じゃ無かったのか、自分を認めてくれるなら誰でも良かったんじゃないのか、)


違う、一人で何度も否定した。否定する度にそれは事実になっていく様な気がした。
自分が弱い事は知っている。
自身の中で好きなところと嫌いなところどちらが多いかと聞かれれば、嫌いなところの方が圧倒的に多い。けれ、ど。
―――それでも、自分が一番大事で。



否定されたのが悔しくて、本当は尊敬していた恭夜に認められたくて、でも純粋に頑張る事は挫折を知りすぎた東條にとっては恐ろしくて、歪んだ方法で逆に彼を否定する事で自分を救おうとした。
宮村を暴行したのも自分から味方を奪っていったその憎悪からで、感情のままに動いた結果だった。
今だって後悔している、あそこまでやるつもりは無かったと大声で弁解したい。
だがそれは宮村が死なないかという心配では無くて、自らが殺人者になりたくないが為のものだ。





何時だって、守りたいのは自分の事なのだ。





「……ぁなたが…何時も、羨ましかったですよ……ッ、…真っ直ぐ、に……いつも、真っ直ぐで――…っ」

つぅ、と涙が零れた様な気がした。
泣く権利は無いと分かっても、出てくるものは出てしまう。沸き上がってくる咽びを何とか抑えながら、東條は俯き顔を片手で覆った。

真っ直ぐに生きたかった。
だがそれをするには、自分は臆病すぎた。
汚い人間である事を一番よく知っていたのは東條で、それでもそんな東條を自分すら否定したら、本当に不必要な人間の様に思えた。

(……ッどうして、私は、)

いつも間違った事しか出来ないのか。自分を犠牲にする事が出来ずに、自分だけを守って、いつも後悔する事になるのか。






弱い。弱い。弱い。






どうしてその弱さを、ここまで曲げてきてしまったのだろう。救われたい一心で、間違いばかりを繰り返して、取り返しのつかないところまで来てしまった。




「……もう、私には、」


救われる価値などは、無い。

掠れた声で呟いた言葉。その事を一番よく知っているのも、東條だった。犯した罪は酷く重い。自身の保身も、ここまでくれば最早意味は為さなかった。




「…退学…なんて、生ぬるいですね…私は警察に、行きます。本人が行けば…幾らこの学園でも、揉み消しはしないでしょう」
「―――ちょっと、待て」
「……何ですか、まだ何か言うつもりですか…まさかこの状況でも、許すなんて甘い事を、言うつもりじゃないでしょう、」
「ちょっと待てと言ってんだ、東條玲紀」




厳しい声が東條の言葉を遮った。怒りにも似たその声色に思わず目線を上げると、酷く苛々した様な顔が目に映る。
恭夜はチッ、と何故だか一回舌打ちをすると、ずんずんと足音荒く東條に近付いた。何だか嫌な予感がして一歩だけジリ、と足を下げるが、距離は直ぐに縮まる。


彼の右手がゆらり、揺れるのを目の端で捉えた瞬間、





パッシィィイィィン!!





小気味の良い平手打ちの音が、教室に響き渡った。





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