自分を見詰める鋭い瞳。
それとは裏腹に微かに震えていた相手の声に、恭夜はハッとした。どこかで見た事のある表情だと思った。

―――…どこで。


眉間に皺を寄せる恭夜の顔を未だ目を逸らさずに見詰めながら、東條は落ち着く様に一つ息をつくと、静かな声で続ける。
煮えたぎる思いを無理やり押さえ付ける様に、その表情は崩さぬまま。


「…会長。覚えていますか、私達が高2に上がる前の話です。一つの強姦事件が起こった事を」
「……強姦事件…?」
「えぇ。この学園では珍しくありません。ただあの事件は、被害者の実家が大手企業だった。その為に加害者とされた人間は普通ならば謹慎程度で済む処分を、退学にまで落とされました」

淡々とそう話す東條の言葉を聞き、確かにそんな事件があった事を恭夜はおぼろげながらも思い出し始めた。
強姦した生徒は何人かいたが、その首謀者と言われた人間は確かに退学になった。しばらく学園でも騒がれていたが、一月と経たぬ間に口の端に上る事も無くなった様な小さな事件。

(……そう言えば、)

…あの時、確か東條は。



「退学になった生徒の名は笹川穂積。覚えていらっしゃいますか?B組の」
「……、……」
「覚えていないのならそれで結構ですよ。貴方と彼に繋がりはありませんから、…貴方にとって、笹川穂積は『どうでも良い人間』になるでしょう」

ちくり。
言葉が胸に刺さった様な気がして、恭夜は顔を歪めた。
この学園では同級生と言えど、クラスが違えば他に何かしら共通点が無ければ話をする事さえ余り無い。覚えていなくてもそれは仕方がなく、東條も嫌味で言っている訳では無い様に見えた―――けれど。

笹川穂積の事は確かに余り覚えてはいないが、東條財閥の傘下にあった中小企業の社長息子であった事と、彼が退学になり門をくぐり抜けたその時の横顔が、酷くやつれていた事は微かに思い出せる。
そう、彼の父は東條財閥に属する会社の社長だった。
そしてあの時、東條は。


「…私は助けようとしましたよ。笹川穂積は確かにあの強姦現場にはいましたが、それは他の生徒に連れて来られたからであって、本人は何の手も出していません。気の弱さがありましたから、断れなかったんでしょう。罪を擦りつけられたんですよ、彼は」
「…そう、だったのか」
「えぇ。勿論その当時の生徒会にも直接訴えに行きました、結果は変わりませんでしたが。…まぁあの頃は先代の生徒会と違ってろくな人間が居ませんでしたから、無理な話だったんでしょうね。でも私は、諦めきれなかった」

目を伏せて話す東條を見詰めながら、恭夜は自然と彼の胸ぐらを掴んでいた手の力を弱めた。
じわじわと思い出される記憶。
恭夜にはぼんやりとしか見えないその光景を、東條は恐らく片時も忘れた事が無かったのだろう。目蓋の裏にすぐ表れるそれを忘れぬ様にと、東條はずっと。


「笹川穂積の父親の会社は、東條財閥にとって有益なものでした。ですが私は、それを理由に助けたかった訳ではありません。……私と彼は、…穂積は……友人、でした。かけがえのない、親友と…呼べる様な、」


震える声。泣いているのかと恭夜は一瞬思ったが、東條は一つ息を吐くと、また冷たい視線を恭夜に向けた。
知らず知らずのうちに喉が鳴る。嫌な予感にも似たものが、何故か内側から込み上げてきた。東條と笹川穂積の関係は知らなかったが、本当に大事な人間だったという事は、今の言葉でよく分かる。


「…私はね、何も出来ないんですよ。何の力もない…貴方の様には振る舞えない。私にあるものと言えば、家柄位でしょう。私自身に、力は無い。でも私は、穂積を助けたかったんです……どうしても…ッ」
「………とう、じょう」
「…覚えていますか、会長。私が父に電話をしようとしていた時…貴方と会って、ある事を言われたんですよ。……貴方にとっては、何気ない一言だったのかも知れません…でも、私に…私にとっては、胸を抉られる様な言葉だったんです………ッ!」


東條の目の色が、冷たい怒りから憎悪へと変わった。
あの日、あの時から彼の言葉が耳から離れない。物心ついた時からじわじわと侵食する様に自身の内側を巣食っていたそのモノが、彼の言葉で何かを壊した。

才能など何もない。不相応な身分。
努力など腐る程した。それでも、どうにもならなかった。
傑出したところなど何も無い自分が昔からどれだけ嫌いだったか、上辺しか見ない周りに分かる筈も無く。恵まれていると羨ましがられて、ただただ期待をされる毎日。
お金など無ければ良かったと思った。平凡な家庭に生まれていれば、才能の無さなどごく普通に受け入れられる。
贅沢な悩みだと自分を何度も叱咤したが、苦しくて苦しくて仕方がなかった事は、紛れも無い事実で。

―――それでも。
あの時、笹川穂積が、自分の親友が学園から追い出されると聞いた時、その金の力を使ってまでも、彼を助けたいと思ったのだ。



だが。
あの言葉に、東條の想いは砕かれた。

ちらと自分を見た、あの冷めた瞳に。







『…お前って、』




『つまらねぇ人間だな』









「―――……ッ…」

息が詰まった。
一瞬目眩がしたが恭夜は何とか気持ち悪さを振り払い、東條を見る。覚えていた。否、思い出した。…確かに自分は、その言葉を、彼に吐いた。
俯き気味に再びぽつぽつと話し始める東條の姿を見やる。彼の固く握りしめられた拳は、白くなり震えていた。


「…貴方は、正しかった。何時でも、貴方は。お金を使って物事を解決する事は、貴方の道義に反していたでしょう。…私は、彼を助けられませんでした。その事を貴方のせいだと、言うつもりはありません。穂積の事は私の弱さが原因です。…でも、」


そう一度途切れさせると、東條は恭夜を、真っ向から睨み付けた。
自分とは正反対の人間。一般家庭で育った事は既に調べてある。
何時でも前を見据えて自分の誇りを貫き通す彼の事が、羨ましくもあり尊敬もしていた。凄い人だと、憧れてもいた。


彼の様に、なりたいと思っていた、のに。




「――貴方が何故…あの時、私にあの言葉を言ったか…分かりますか?汚い手を使うなと、言ってくれようとしたのでしょう。でもそれだけではない…っ貴方にとって、笹川穂積がどうでも良い人間だったからです!!退学しようが何だろうが、居ても居なくても関係の無い人間だからですよ!!」


彼の激しい怒声に、頬を鋭く張られた様な気分になった。何も言い返せず、ただ恭夜は黙り込む。否定は出来なかった。そうかもしれないと、一瞬でも思った自分は既に負けていた。

(……違う、問題は、そこじゃない)

必死で落ち着こうと息を吐く。この話は宮村の件に関して関係無いと、そんな話をしに来た訳ではないと、口を開こうとした。どんな理由があっても、関係の無い人間を巻き込み暴行する訳にはならない。


だが、唐突に気が付いた。
東條は今の話を、決して自分を擁護しようとして話した訳では無い事。
ただ知らしめただけだ。最早東條と和解する事は、殆ど不可能に近い事を。何故なら彼は、恭夜を―――



「…私は、貴方を許さない。私と穂積の存在を否定した貴方を。……出ていって下さい……話す事は、もうありません。私は私の、大事なものがある。貴方が切り捨てた様に、私も私の大事なもの以外は、」




「どうでも良いんです」





冷たく告げられた言葉に、恭夜はただ黙って―――そうして静かに、その部屋から立ち去った。


唇を血が滲む程に、噛み締めたまま。






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