―――出てってくれ。

そう原田から告げられた俺が何も言わず保健室から退室し、ぼんやりと廊下を歩いていた時、その先に見知った顔が眉尻を下げて立っているのがふと視界に映った。目が合うとやはり、情けないがホッとする。
歩くスピードはそのままに彼の傍まで来ると、何時もの様に優しい手付きで頭をぽんぽん、と軽く叩かれた。何だか思わず泣きたい様な気になったが、寸でのところで引っ込める。俺が、泣いてる場合じゃない。


「……どっか、行くか」


風の当たれる所が良いな。
そう言ってふわりと笑う南にしばし沈黙して、ゆっくりと頷く。兎に角ここには居たくなかった。背を向けて歩き出す彼の後ろを窓の向こうを見詰めながらついていく。日が落ちていく様を目を細めて眺め、静かに目を伏せた。






「…頭、か」
「あぁ…。打撲や骨折だけなら、まだ良かったんだろうけどな。打ち所が悪かったらしい…今は待つしか無いんだと」

屋上。
四谷からの情報をぽつぽつ話す南の隣に腰掛け、背中を壁に預けながら、俺は深い溜め息を吐き出した。恐らく故意的に頭を狙った訳では無いのだろう―――そんなものは言い訳にすら、ならないのだが。
この学校は言うまでもなく特殊だ。今までにもリンチで死にかけた、もしくは自殺に追い込まれた生徒は何人かいる。刑事裁判沙汰になっても良い筈のそれらの事件を、ことごとく潰してきたのはこの学校に関わる上層部の奴らだ。
私立宝城学園という肩書きは社会にとって非常に大きな効果をもたらす、喉から手が出る程欲しいもの。そんな学園の評判を落とさない為に、上はどんな汚い手も使う。きっと今回も、幾ら俺達が訴えても宮村の件が世間に明るみに出る事は無いだろう。しかも相手はあの東條財閥の御曹司、更に言うなれば彼がやったという証拠すら無いのだ。宮村が証言してくれれば良いが、…それも難しい。

「…警察を動かすのは無理、…だろうな」
「………あぁ」

同じ事を考えていたんだろう、南の呟く声に俺は静かに頷く。彼の実家が動いてくれれば何とかなる気もしないでも無いが、それは多大な迷惑と損失を南の父親の会社にかけるという事だ。そんな事は、したくない。
だが警察が動かなくても、東條をこのままにしておく事は出来ない。


(どうしろって、言うんだ)


「…生徒会顧問には言ったのか?と言うより、会った事ねぇんだけどな、その先生」
「生徒会顧問は58歳の腰痛持ちのジジイで今療養中。代理も立てずに軽井沢に飛びやがった。…そもそも、教師はこの学校じゃあ当てにならねぇよ」

忘れ去っていた顧問の存在を思い返し苦々しく返した言葉に、南はそうだよな、と溜め息混じりに言った。
親の権威が直に生きるこの学園では、教師は生徒のただの言いなりだった。その点で言えば、四谷はまだマシな人間なのかも知れない。変態だが。

東條の処罰を決めるのは、恐らく俺になるだろう。理事長に話をしに行く手もあるが実りある会話が出来そうな気もしない。
表向きは美形なインテリ人間だが、中身は何て言ったってただのオカマでイケメンにしか興味が無いのだ。迫られた時の事を思わず思い出し、げんなりとする。

…いや、そんな事はどうでもいい。今は東條の問題だ。原田と前田は何かしら行動を起こすだろうが、一つ考えられる簡単な方法は『リコール』。退学に追い込むのは極めて難しいだろうと思う、東條財閥の力は並みではない。


(……リコール……か、)


自分で考えた案を頭の中で反芻し、ふう、と短い溜め息をつく。
今学園の中に、東條の味方は恐らくほとんど居ない。ファンは居るだろうがそんなものは役に立たないのだ。リコールを叩き付ければ、直ぐに可決されるだろう。それで良い。

―――それで良い、筈なのに。




(何を、迷ってる)




「……恭夜?」

俯いた俺にどうした、と訝しげな声をかけてくる南にちらと目線を送り、力無く首を振った。どうにも自分の頭の中さえよくコントロールが出来ねぇ。こんな事ではダメだと言うのに。
考えを整理する様に、俺は独り言の様な小さな声でぽつりぽつりと言葉を発した。

「…東條のやった事は、許されない事だ。どんな理由があるにしろ、無いにしろ、アイツは処罰を受けなきゃならねぇ立場にある。リコールだろうが退学だろうが何でも、黙って受け入れろって言いてぇが……、…何だろうな、ただそれだけで良いのか、とも思う。こんな時宮村なら、違う事言うんじゃねぇか…ってな」

分からない。どうしたら、良いのか。
優しさと甘さが違う事は分かる。ここで東條を許すと言う事は、恐らくただの甘さに繋がると言う事も。間違いを犯したならばそれ相応の責任をとる、小学生でも分かる事だ。
―――だがそれと、相反する思いがある。
切り捨てる事・見捨てる事は簡単だ。だからこそ俺は、東條なんぞさっさとリコールしちまえば良いなんて、思いたくは無いんだろう。自業自得だと言われてしまえば返す言葉は無い。全ての人間を救いたいだなんて、神様気取りの事を言うつもりもない。



ただ、思うのは。

これから先も、俺達の人生は続いて行くと言う事。



リコールするのはそう、簡単だ。だがそれで、誰が、何を得られるだろう。

東條が反省をするのか。
被害者達は完全に吹っ切れるのか。




―――本当にそれで、良いのか?




「……いや……やっぱり、甘ぇって言われそうだな……」
「…そうだな、紫雲当たりが顔しかめて言いそうだ。あんな事をしたんだ、処罰はされるべきだろうってのは俺も同意見だけど……恭夜、」

不意に名前を呼ばれ、ちらと横目で南を見やると、彼は口端を上げて笑い同じ様に隣に座り込んだ。必然的に、目線が同じ高さに来る。
目を合わせたまま、南は何時も優しげな口調で、言った。



「…俺はな、お前のどうしても最後に甘くなっちまうトコ、嫌いじゃない。その甘さに救われる人間も多い筈だ。……お前のやりたいようにやれ、なんて無責任な事は言わねぇさ。俺も考える、…だから、一人で悩むな」


そう言って笑う南に、俺は一度目を瞬かせた後、同じ様に笑った。
こいつは何時だって、全ての荷物を俺に持たせたりはしない。いつの間にか隣で歩きながら、半分持って笑ってる様な奴。南の言う『一緒に』という言葉が、俺にどれだけ勇気をくれるか、こいつは分かっちゃいないんだろう。


かけがえのない、支えだった。




「…サンキュ、南」
「どーいたしまして」





―――…あぁ、まだ、頑張れる。


見上げた向こうの、夕陽になりつつある太陽を目を細めて眺めながら、俺はそう一人頷いた。





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