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(※暴力表現有)
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重たい身体がゆらり、と揺れる。ズキズキとどこもかしこも痛む、最早本当に痛いのかどうかも分からない。感覚が、麻痺していく様な気がした。
殴られた衝撃でまた地面に叩き付けられ、息が詰まる。さっさと終わらないかなあ、なんて悠長な事を考えている間に、また顔面を蹴りつけられた。こんな風に暴力を振るわれてから、もう何時間経ってるだろうか。
(…やっぱ、ノコノコ来なきゃ良かったかな)
咳き込みながら掠れる意識の中でぼんやりとそんな事を思う。
ちょっと期待したのだが、やっぱり話し合いで何とかなる相手じゃあ無かった様だ。否、話し合いをする時間さえ与えられなかったのだが。
痛いのは嫌いなんだけど。
宮村は口の中で、そう小さく呟いた。
未だあちこちを容赦なく攻撃してくるガタイの良い男達。その向こうで何か指示をする訳でも無く、ただこちらを見てくる―――東條玲紀。
彼にちらと視線を送って、やっぱりバレるよなと小さく溜め息をつく。新聞の記事にこっそり書いた名前は幾ら影が薄かろうが、バレる時にはバレるのだ。実際生徒会長にも恐らく見付かったと思う。
声を出すのも億劫で、ただ無抵抗に殴り蹴られ続ける。時々物凄い激痛が走り顔を歪める事はあるが、それ以外では宮村はただ耐えるだけだった。
「こいつさぁ、何か反応薄くね?リンチしててもあんま面白くねぇな」
つまらなさそうに舌打ちをしながらも倒れ伏す宮村をガンッ、と足で強めに蹴りつける男。一瞬息が詰まり、内蔵が歪んだ様な感覚に思わずげほ、と咳き込んだ。面白くないなら止めれば良いのに、なんて事を思うが余計な火種になるので口には出さない。
―――痛い、な。
ジクジクと痛む身体の節々。起き上がる力さえ無く、ただ床に無様に転がったままの状態。喧嘩なんてやった事は無いから、抵抗するのは無駄だ。危なくなったら逃げれば良いや、なんてのんきに思って来てしまったが、話も何も無く部屋に足を踏み入れた瞬間から掴みかかられたのだからそんな暇さえ無かった。
耐えてれば、終わる。それだけだ。それで『彼』の気が治まるのなら、それで良いと思った。
「……痛いですか?」
不意に静かな声が部屋に響き、攻撃が止んだ。うっすらと目を開けて、視線だけそちらに向ける。
ぼやけた視界に映る、東條の姿。ぼやけても綺麗なんだなあなんて意味の無い事を考えつつ、相手の次の言葉を待つ。彼にとって自分はゴミ以下の存在だろうから、会話をしたい訳では無いんだろう。僻みではなく、ただの事実だ。答えるまでもなく、痛いのは明白であるし。
実際東條は宮村の返事など聞かず、再び口を開いた。
「…貴方が余計な事をしたせいで、私の立場はあっという間に悪くなりましたよ。それで、満足ですか?自分の力を示せて?今までの私に対する仕打ちですか。…調べさせて貰いましたよ、宮村陽介君。新聞委員長様とは、これまた大物ですね」
「………、」
「喋らないで結構ですよ、貴方の話など聞きたくもありませんし。中立を守るだのと大層な事を仰っている様ですが、笑わせますね。貴方はただ波風を立てない様にしているだけでしょう?都合の良い時に甘い方へ擦り寄っていく、蝙蝠の様な。…貴方のしている事は、ただの保身なんですよ」
冷たい視線で宮村を見下ろしたまま、東條はゆっくりと倒れている彼の前まで近付いて行く。足下から何の反論をする訳でも無く、ただじっとこちらを見る彼の目は、別に怯えてなどいなかった。それが気にくわず、東條は眉間に皺を寄せ、そのまま腰を下ろす。彼の首に静かに腕を伸ばすと、躊躇なく―――キツく、握り締めた。
「ッ、ぅ……っぐ、!」
「苛々しますよ…貴方の存在が。楓にも余計な事を言いましたね?彼は私の事を見てくれたのに、貴方のせいで楓は変わってしまった。…本当に、邪魔なんですよ…ッ」
ギリギリと。
締め上げる手の力が増して、宮村は顔を歪めた。息が止まる。呼吸が出来ない。苦、しい。
(………っゃ、べ……ッ)
本当に死ぬかも――そんな事が頭を過った時、ようやくその力は緩められ手は離れていった。激しく噎せ込む宮村を憎悪の入り交じった瞳で見下ろし、東條は小さく、君が悪いんですよ、と呟く。
「私の邪魔をする人間はいりません。偽善者が最もらしい論を取り繕って振る舞うなんて、ヘドが出る。貴方は―――」
「……ぁん、たは……さ、」
苦しそうに息をする宮村から掠れた声が絞り出され、東條は片眉を上げる。
肩を上下させる相手に目線をやると、ボロボロの体であるのに髪の隙間から見える目は、強い光を帯びて東條を見据えていた。
「…なに、を…偽善だって、言うんスか…。…確かに…ッは、……俺、は…めんどくせーの、嫌いだから…余計な波風、立たせたくないよ……でも、会長を助けたいって思ったのは、ほんとだ…っ…、…偽善って何?ドコから偽善で、ドコから偽善じゃ、ねーの?……誰かを助けたいって…思う事は、偽善なんスか……ッ?」
「……は、」
「……なぁ、アンタ…さ…、…アンタが、考えてるより……世界は、腐ってないと思うよ……」
荒れる呼吸に、ひゅーひゅーと喉が鳴る。
宮村は別に怒ってはいなかった。偽善だと思われるのなら、それでもいい。だがもし東條が、人に手を差し伸べる事を全て偽善だと見なすのなら。
(…そんなのは、悲しすぎんじゃねーの…)
東條の視線は歪んでいる。世界の全てを、その歪んだ視線で見ている。綺麗事など一つも無いのだと、だからこそ綺麗なものに憧れ、また激しく嫌悪する。
立花楓と、御堂島恭夜。
正論を口にする点で彼等は似ていると思う。
ただ違うのは、立花は孤独な人間に自らが近寄っていくが、恭夜の周りには自然と人が集まる点だ。恭夜は自らで東條の、内を覗こうとはしなかった。
人によって、して欲しい事として欲しくない事は違う。ただ今回は、東條にとってして欲しい事を、立花がしただけだ。
―――ただ、それだけだ。
「…戯言は、それだけですか」
「ッ!!ぃっ、ぐ……ぁ……ッ」
……宮村の言葉は、東條には届かなかった。
肩を容赦なく踏みつけられ、痛みに歯を食い縛る。ちらと見えた東條の表情には、何の感情も有りはしなかった。
「…もう、良いです。貴方の言うことは私には理解が出来ない。しようとも思いません。……消えて下さい」
ゆらり。
東條の体が揺れ、踏みつけていた足が離れていった。そのまま最早興味が無いとでも言う様に後ろを向いて、東條は離れていく。代わりにまた、男達がのそりとその姿を見せ、東條の背中は見えなくなった。
徐々に暗くなっていく視界。
自分を嘲笑う男達の声を聞きながら、宮村は思った。
(……俺じゃ、無理、だよな)
東條にとって自分は、至極どうでも良い人間だから。
だが―――生徒会長、なら。立花と似ていて、それでいて全く違う、彼ならば。
(……あの人、助けてやってよ……)
ガツンッ!!!
衝撃が頭に走った、その瞬間。
宮村はその意識を手放した。
―――最後に、滲む視界を睨み付ける様に見て、ごめんなと小さく、謝りながら。