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自身の腕を掴む片割れの声にはっとして、空翔はそちらをゆっくりと振り返った。ゆらゆら揺れる視界に映ったのは、眉根を寄せて顔を歪ませた、海翔の姿。唇を噛む彼の目にもじわりと涙が浮かんでいるのを見て、空翔は瞳を見開いた。

…――何で、泣いてるの。

予想だにしなかった片割れの表情に、思わず心の中で呟く。だが次いで、彼は唐突に理解した。
海翔は全部、知っていたのだ。
自分が何に苦しみ、何を考えていたのか、全てを。だから彼は何も言う事なく、自分のやる事についてきてくれたのではないかと。
一気に胸が詰まる感覚を覚え、彼と目線を合わせる。ずっと一緒にいた、自分と同じ顔である筈の弟が、知らない誰かの様に見えた。



「……そら、と、」



ごめんね、と。
震える唇にか細い声で謝ってから、海翔は俯く。こうなってしまったのは全て自分のせいだと、血が滲む程に口端を噛み締めて。
――空翔が自分の存在の為に辛い目にあっている事を、彼は確かに理解していた。だがどうする事も出来ずに、海翔はただ彼の側にいる事しか出来なかった。力を抜いてテストを受けようかと思った事もあるが、きっとそれは気付かれる。どちらにしたって空翔が傷付く事に、変わりはない。
兄が望む事ならばと、特に何も思っていなかった相手に対しても辛辣になれた。兄が邪魔だと思うのなら、誰だって消してみせると協力をした。海翔に複雑な感情を抱きながらなお、一緒に笑ってくれていた兄の事が、大切で。間違った事をしていると分かっていても、海翔は空翔がそうした様に、彼と共にいる事を選んだ。……本当はきっと、止めるべきだったけれど。

海翔は一人で居る時、何回も呟いたのだ。


だって、双子なんだよ――…と。


双子じゃなかったら良かった、なんて事は思わせたくない。思いたくない。酷い事をしている、という罪悪感が無い訳では無かったが、何よりも兄の事が大事だったのだ。自分の存在が彼の重荷になっているのなら、その分の償いをしたかった。例えそのやり方が、間違っていようと。




俯き唇を噛み締める海翔は謝罪の言葉を吐き出した後は何も言わなかったが、空翔はようやく、ようやく――…本当に、理解を、した。
ずっと一人だと思っていたが、いつもただ一人、側に居てくれた人が居たこと。近すぎて気付かなかったが、ありのままの、本当の自分を受け入れてくれる人間が居たこと。

鼻がつん、として、目の奥が熱くなった。

勝手な我が侭に付き合わせて、彼にまでもこんな意味の無い、最低な事をやらせてしまった。弟は何時だって空翔の事を考えてくれていた筈なのに、自分はいつも自分の事しか考えていなかった。

腕を力無く掴む彼の手の平にそっと自身の手を乗せ、空翔はしゃくりあげながらごめんね、と呟いた。一度止まっていた涙が再び、溢れ出す。本当に言いたかった別の言葉は嗚咽に混じり意味を為さなかったが、ちゃんと伝わった。海翔は目の端を真っ赤にさせながらも、笑ってくれた。


――双子に生まれてきて、良かった。
そう心底思えた自分が嬉しくて、空翔はまた、泣き笑いの様な表情を浮かべた。



どうしようもない苛立ちや嫉妬、胸の内を占める惨めさはきっと、消えはしない。それでもきっと、自分達は――個々の存在である事を誇りに思いながら、結局は一緒にいるのが良いのだと、それが幸せなのだと、双子はただ、己の片割れの手を握った。






***





「……俺は全く展開についていけてないんだけど……」
「安心しろ、俺もだ」

双子の良く分からないが、何だか通じ合ったらしい場面を見ながら南は思わず困惑からの声を上げた。それに同意する形で恭夜も頷き、座り込みながら涙目になってしまっている瞳を一生懸命にごしごしと擦っている萱嶋兄弟を見詰める。
ただとりあえず、先程の空翔の口から溢れ出した辛い思いは何となく薄れた様な気がして、恭夜は思わず苦笑にも似た笑みを浮かべた。自分の分からないところで、色々とあったらしい。


…何も知らなかったな、と一人呟く。知る必要も無いと思っていたし、面倒だった。だがきっと、それでは駄目だったのだ。理解して欲しいと思うのなら、自分も彼等を理解しようと努めるべきだった。あの時彼らと決別すると決めた時からきっと、自分は間違っていたのだ。
そう考えつつ目を細めながら、再び双子に目をやる。今まで見た事の無い彼等の表情に思わず、口端が上がった。

「……兄弟ってのは、良いもんだな」

口に突いて出た恭夜の言葉に南は目を丸くさせた後、呆れた様な笑みを見せた。その反応に訝しげな視線を送れば、上から押し付けられる様に髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。
「…そんなボロボロになっても、そーいう事言えるお前、好きだぜ」
「………あ?」
何の話だ、とますます眉間に皺を寄せる恭夜。そんな彼に再び笑い、南は一人心の中で、仕方がないから仕返しは止めておくかと呟いた。実はどうやってあの双子を少し懲らしめてやろうかと考えていたのだが、どうやら恭夜にとってそれは不必要なものらしい。何だかんだ言っても、やはり彼が一番甘い。




ようやっと泣き止んだ様子の二人がおずおず、といった様子でこちらに目を向けてくるのに気が付いて、恭夜は顔を少しだけ上げた。目線が合えば少しだけ肩を揺らし、目を泳がせる彼等。数秒の間の後、微妙に距離がある為にそれは本当に小さく聞こえたが―――ごめんなさい、という謝罪の声が重なりあって聞こえた。
その言葉に恭夜は何も返さず、ただ双子を見詰める。それをどうとったかは分からないが彼等は目線を伏せて俯き、肩をすぼめた。…だが次いで、海翔が意を決した様に顔を上げて、口を開く。


「……いくら…謝っても、許して貰えないとは、思うから……退学でも、何でもするよ。…会長には、ほんとに…酷い事、いっぱいして……で、でも、お願いだから…空翔の事は、責めないで………」


再び泣きそうに顔を歪ませる海翔と、その言葉に驚いた様に目を見開く空翔を見て、恭夜は思わず目を瞬かせた。――次いでゆっくりと溜め息をつき、彼等がまた何か余計な事を言う前に頭を押さえながら馬鹿じゃねぇの、と口を開く。退学なんぞ出したらまた仕事が増える。冗談では無かった。
「…あのな、勘違いしてもらっちゃ困るが、俺の要望は最初から最後まで一貫して一つなんだよ。そこを分かってんのか?」
「「…………へ、」」
何?という様に訝しげな顔を見せる双子に眉間に皺を寄せ、片眉を上げる。たった一つしか無いだろうが、と心中で毒を吐きながらも恭夜は、溜め息混じりに言った。


「――頼むから、仕事をしろ。それだけ約束してくれりゃ、後はどうでもいい」


一瞬の間の後、双子は唖然とした様な顔になった。その表情のまま自分をまじまじと見る双子に鼻を鳴らして、恭夜は後、と付け加える様に言う。
「…お前等がした事の重大さをちゃんと噛み締めろ。色んな奴に迷惑かけたんだ、体育祭が終わったら全員に頭下げに行け。テメェらの下らねぇちっさいプライドは捨てろ、…二度とこんな馬鹿げた事は止めろよ」
「「…ぅ……はい」」
少しばかり語気の強いその言葉にしょぼん、と二人して肩を落としながら、双子はそれでももう一度、ごめんなさい、と今度ははっきりとした口調で言った。ちらと翼を見ながら、君にも、と付け加える。いきなり話しかけられた翼は驚いた様に目を瞬かせながら、はァ、と間の抜けた返事を返していたが。
どうやらちゃんと反省はしている様子の彼等にふ、と微笑み、それで全部チャラだと、恭夜が言おうとした矢先。



「まーさかそんな生易しい事で全部水に流しましょう、だなんて甘ーい、甘すぎる事は言わないよねぇ、恭夜?」



―――本物の、大魔王が。
腕を組み、それはもう爽やかな笑顔を浮かべながら――口を、挟んできた。それまで多少緩まっていた空気が瞬間的に凍った事に恭夜は思わず口元をひきつらせ、声を発した人物、…紫雲の方へと、目線をやる。
彼は全くそんな事じゃあ気がおさまりません、という様な笑顔のまま一歩、足を踏み出した。途端、双子が青ざめた様な顔でビクン!と体を震わせる。ただならぬ雰囲気の紫雲に身の危険を感じたのか、だが自分達に逃げる資格は無いととりあえずその場に踏み止まり、二人で体を縮こませた。

そんな萱嶋等を目を細めて見詰めて、紫雲は笑顔を保ったまま彼等に近付いていく。おい、と後ろから南の少し焦りが混じった止める声が聞こえたが、彼は完全無視を決め込んだ。
自分は恭夜や南の様に優しくは無い。幾ら反省しようと、幾ら何らかのの理由があろうと、落とし前はそれなりにつけて貰わなきゃね、と紫雲は一人心の中で呟いた。そして恭夜がやらないのなら、それは会長親衛隊隊長である自分の仕事だ。


すぐ近くまで来てから、彼は足元で座り込みながら顔を青ざめさせている双子を見下ろした。怯えながらも覚悟はある様子の二人に、そこだけは買ってあげようかなと思いつつ、にっこりと笑う。
綺麗な半弧を描く唇がゆっくりと開き、双子は思わずごくりと、喉を鳴らした。



「―――大丈夫、ご自慢の顔は狙わないであげるよ。恭夜と翼への慰謝料代わりだから、……文句なんて、言わないでしょ?」







…数分後。

双子の決意ある返事を聞いた紫雲が心置き無く『落とし前』をつけたのを目撃した恭夜と南と翼は、散々自分達を悩ましてきた萱嶋兄弟ではあったが、彼等に心の底から同情をした。





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