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ヒュッ、と風を切る音が聞こえた。


右足から繰り出された強烈な蹴りが男の背中に直撃し、カッ、と何かが詰まった様な声を気管から発して、彼は鈍い音をたてながら崩れ落ちる。
喧嘩が強いのは、知っていた。だが余りの普段とのギャップに、そしてその凄まじい勢いに、喧嘩なんざ殆どした事の無い素人の俺はただ座り込みながら見詰める事しか出来ない。

彼の、一挙一動を。

後方から振り落とされる木の棒が脳天に当たる寸前に躱し、肘を相手の鳩尾に叩き込む。そのまま地を蹴り男達が固まっていた場所に飛び込んで行った瞬間彼の、拳打が炸裂した。骨が軋む鈍い音に、呻き声を上げて蹲る彼等。争闘の中心で周り全てを薙ぎ払う様に動くのは、確かに翼だった。
決して、圧倒的な強さという訳では無い。彼もあちらこちらに怪我を負っているが、それでも、何度殴られても立ち上がる。痛くも痒くも無い、みたいな顔をして。実際痛くない訳が無い、血だって結構出ているのに。彼が膝をつく事は、一度たりとて無かった。



それでも何人も相手をしていればやはり体力が無くなってきたのか、肩を大きく上下に揺らす翼の顔は流石に辛そうだった。
後一撃加えれば直ぐにでも倒れてしまいそうな様子だが、男達は完全にビビってしまっている。彼を取り囲んだまま、じりじりとその場で立ち尽くす奴等の腰は引けていた。多勢に無勢だと言うのに、明らかに主導権は翼が持っている。

それに痺れを切らしたのか、双子の片割れが少し離れたところから声を張り上げた。


「…っ一人相手に何やってんのっ!?情けな―――」
「…そう思うなら、アンタが来れば良いだろ」


ゆらりと体を揺らした翼の鋭い視線に射抜かれ、萱嶋は一瞬息を飲んだがしかし、逆に彼をキツく睨み返した。眉を吊り上げているその顔は、普段の可愛らしさ…男に使うのもなんだが、まぁ、それが無い。
ちなみに俺はやり取りを見ながら何とか起き上がろうとしているんだが、腹に食らった蹴りが大ダメージすぎて少しでも力を入れれば激痛が走り、全く動けない。自分の情けなさに涙が出そうだ、くそ。

そんな一人で葛藤をしている俺の事は尻目に、双子のうちのもう一人が――憤怒の形相で翼を睨めつけながら、声を低くして言った。



「……君さぁ……自分の家、潰されても良いわけ?」



瞬間、僅かに翼の顔が歪む。

その言葉が耳に飛び込んできた瞬間、俺は直ぐに合点がいった。確か翼の親父は中小企業の社長だったが、萱嶋グループの系列の会社だった筈だ。彼に逆らえないのも道理で、それを盾に翼を脅したんだろう。完璧に腐ってやがる。
そんな事を一人、心の中で盛大に悪態をついていれば。


「………れは、」


…微かな、絞り出す様な声が、聞こえた。重い顔をもたげて翼を見る。俯く彼の拳が震え、白くなる程に握り締められているのが目に入り、思わず翼、と小さく呼んでしまった。その声は掠れて、彼に届きはしなかったが。

彼はゆっくりと顔を上げた。
息を小さく吸って、眉間に深く皺を寄せて、目尻を少し赤くさせて、……苦しそうに――だが、はっきりと。

彼等に向かって、怒鳴る様に声を振り絞った。



「…っ俺は!会長の、補佐なんだ…ッこの学園の生徒会長は、恭夜先輩しか、いねぇんだ!!アンタ等の命令なんざ、聞くか!!!」



部屋中に響いたその言葉に、思わず目を見開いた。
次いで、泣きたい様な、笑いたい様な複雑な感情で胸が詰まる。家族想いの彼は、本当は家族の事が心配でならないくせに。それでも彼は、あのお人好しは、俺の為に動いてくれたのだ。



翼は本当の、馬鹿野郎だ。



―――そして。







最高の、補佐だった。







呆気にとられた様子の双子を歯を食いしばりながら睨み付ける翼に、何かを言おうと口を開きかけた、その時。


「――よく言ったな、翼」
「ヘタレのくせに、今回は頑張ったんじゃない?」

突如聞こえてきた聞き慣れすぎた声に仰天して、俺はそれが聞こえてきた方へ思い切り勢い良く、顔を上げた。瞬間、鈍い痛みが腹に走り悲痛な声が出そうになったんだが。
少々涙目になりつつも開け放してあった扉の向こうに目を向ければ、ふらと現れた二つの影。頼もしすぎるその二人の姿が目に映った瞬間、思わず息を吐く。


南と紫雲が、そこには立っていた。


――ヒーロー気取りなのか、畜生。ちょっと格好良いじゃあねぇか。
心の中でそう呟き、俺は肩の力を少しだけ抜いた。もう大丈夫だと、心底思った。
何が何だか分かっていない様な外部の男達は兎も角として、双子も驚きと怯みの入り交じった瞳を見開き、ぽかんと口を開けている。何でここが分かったんだと言う顔をした後、ハッと彼等は気が付いた様に翼に視線を移した。

「…っ…お前…!知らせて…っ!?」
「おいおい、まさか翼を卑怯者呼ばわりする気じゃねぇだろうな?お前等がそれを言ったら本気で怒るぞ」
「…何か南が言っても迫力無いんだよねぇ。まぁ僕も同感だけどさ」
「煩いぞ紫雲」
「ハイハイ。……さて、とりあえず。そこに情けなく転がってる子の、雪辱でも果たしますか?」

ちらりと俺に一度視線を送ってからにっこりと自分を呆然とした顔で見てくる男共に向かって笑う紫雲に、こんな訳の分からない状況だと言うのに彼等は赤面していた。騙されるな、あれは完全にキレている時の笑顔だ。極上の笑みを見せてから地獄に叩き落とす奴の手口は恐ろしい、大嫌いな敬語を使っているのが何よりの証拠。
南は俺の状態に今気が付いた様で、顔面蒼白になって救急車!なんて短く叫んでいた。そんな重症じゃねぇ。




部屋の中に足を一歩踏み出して、南と紫雲は安心した様に眉尻を下げて突っ立っている翼に近付いて行った。突然の乱入者に未だ呆けている馬鹿共は、止める気配すらない。
紫雲がポンポンと自らより幾らか高い翼の頭を叩き、南は良くやったと言いながら何かを彼から受け取っていた。……こちら側からじゃよく見えなかったが、恐らく、先程持っていたビデオカメラを。

それを見た双子のうちの一人が顔色を変えて、お前!と鋭い声に焦りを混じらせながら叫んだ。そんな彼に翼はゆっくりと顔を上げ、目を細める。



「…言っただろ、『もう撮ってます』って。会長じゃなくて、口汚く罵ってるアンタ等を撮ってただけだけどな」



――万事休すか。
翼の言葉を受けてそう小さく呟く南の声と、絶望に染まる双子の顔を見ながら、俺はぼんやりと思った。






…いい加減、誰かこの縛られてる状態を、何とかしてくれねぇかと。





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