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スローモーションの様に崩れ落ちていく恭夜が床に倒れる寸前に、鬼嶋の手が彼を支えた。その事に少しだけ安心しながらも、割れる人混みの道をくぐり抜けて南は急いで二人に走り寄る。後ろから黒井が周りの状況を確認しながら、足早について来ていた。
ぐったりと鬼嶋に体を預け、目を閉じる恭夜の顔は蒼白で、浅い呼吸を繰り返している。その姿を見た瞬間息が詰まる様な感覚がし、震える足を無理矢理動かしてその横に膝をついて、南は必死で彼の名を呼んだ。

「恭夜!?恭夜…ッ、っおい!!恭夜…恭夜ッ!」
「落ち着け鹿川、…気絶しているだけだ。保健室に連れて行くのが良い」

取り乱した状態の南を落ち着かせようと黒井が側に腰を下ろし、恭夜を覗き込みながらそう言った。顔を歪める南に大丈夫だ、と再び宥める様に言えば、数秒の間の後、ゆっくりと頷く。自分が狼狽えても仕様の無い事だと言い聞かせ、息を吐いてもう一度恭夜を見やった。
何があったのかは分からない。だがやはり、行かせなければ良かったと南は後悔に襲われ口端を血が出そうな位に噛み締めた。倒れる寸前の彼の顔が思い出される。あんな顔を見たのは、初めてだった。



黒井に保健室へ連れて行けと言われた鬼嶋は一つ頷いてから恭夜の体を軽々と抱き上げて立ち上がり、自分達を呆然として見詰める邪魔な人混みを鋭い眼差しで睨み付けた。途端、悲鳴が上がり左右に人が割れて道が開く。そこをさっさと歩いていく鬼嶋の後ろ姿を無言で見詰めた後、南はゆらりと顔を動かした。
視線の先に捉えたのは、堅い顔をした東條に萱嶋兄弟、篠山。それと転校生の立花…長谷川、真壁。胸の内で激しい怒りが瞬時に沸き上がる。地を這う様な低い声を、南はゆっくりと彼等に向けて発した。


「……恭夜に、何をした……?」


その凄まじい気迫に押され、東條達は息を飲んで思わず一歩後ずさった。鹿川南は、温厚な人物として知られている。その彼がここまで怒りを露にしたのは、初めての事だった。
静まり返る食堂。誰も何も喋れず、動けず、張り詰めた空気が流れる。数秒の後、このままでは埒が開かないと判断したのか黒井が南より一歩前に足を踏み出し、よく通る声を食堂に響き渡らせた。


「ここにいる、全員に問おう。今さっきこの場で何があったか、説明出来る者は?」


黒井の言葉に一瞬の間を空け呪縛が解かれたかの様に反応したのは、東條だった。堅い表情のままゆっくりと口を開く。敢えて鋭い眼差しでこちらを睨み付けてくる南を見ない様に視線を反らしながら、彼は息を吐いて言った。
「……別に、我々は食事をしていただけです。会長が倒れたからと言って、何故責められる様な言われを受けなければならないんですか?」
その言葉を受けて、萱嶋空翔がはっと気付いた様に、慌てて頷いて同意を示す。
「そ…そうだよ、何で僕達が事情を聞かれなきゃいけないワケ?大体会長が倒れたのだって、噂通りずっとセフレと」



「―――っいい加減にしろッ!!!!」



空気が割れたかと思う程の一喝に、萱嶋等は肩をびくりと震わせた。
…シン、と再び食堂に静寂が訪れる。怒鳴った人物が誰かなど、分かりきった事だった。

純粋な憤りのみが宿った目付きで彼等を睨み付ける南の、固く握り締められた手は震えていた。唇を噛み締めその場に立ち尽くすその姿は、殴り掛かりそうになる自分を必死で抑えている様にも見える。余りの彼等の言い草に、腸が煮え繰り返る様な思いだった。

これ以上、我慢出来るか。

南はそう心の中で吐き捨てると、食堂中を睨み付けた。彼を傷付ける者は誰であろうと自分の敵だ。形容し難い怒りが、心の中で暴れている。溢れ出しそうな思いで胸ははち切れんばかりにいっぱいだった。

「……れが、…ッ誰がこの学校を、お前達を支えてると思ってる……!ッ誰が!!テメェ等が暢気に毎日生きてる中、この学校の為に働いてると思ってる!?そこに居る役員共か!!毎日毎日転校生にベッタリ張り付いて、ただ文句しか言えないそいつらか!?ふざけるのもいい加減にしろ!!!何がセフレだ…ッ、本当にそう主張するのなら、この2ヶ月の間にあいつと寝た奴を引っ張り出してきてみろ!!……あいつが、恭夜が、どれだけ忙しくて、どれだけ辛い目にあってんのか…っ、少しでも、考えた事はねぇのかよ!!!」

――凄烈な、叫びだった。
ずっと溜め込んできていた全てが、次から次へと吐き出された。止めようとさえ、思わなかった。

彼の痛みを、少しでもいい。
理解して欲しかった。

全てをぶちまけた南は激昂からの荒い息を抑え、自身を鎮ませようと目を瞑って額に手をやった。……深い、溜め息をつく。
彼の痛罵を浴びた人間の内誰一人として、何も言わなかった。何も、言えなかった。言えるはずもない。固く張り詰めた空気が流れ、…数分後、役目への責任感からか黒井が静かに、再び問うた。


「………もう一度聞く。何があったのか、説明出来る者はいるか。…聞く必要がある理由は、もう分かっている筈だ」


その言葉に誰もが顔を歪ませ、口ごもった。…ただ一人を、除いて。
「…誰も言わないんなら俺、言いますけど。えーと、食事しに来た生徒会長に立花が一緒に食べないかって誘って、会長が断ったのを見た副会長達が会長に最低だの調子に乗るなだのと言ってきて…あー、そんで帰ろうとした会長が気分悪くなったっぽくて、倒れちゃったんスよ。うん、そんな感じ?」
「っ、な……っ!?」
「!…お前…」
皆が呆気にとられているうちにつらつらと状況を喋り終え、満足げな表情をした人間に東條は眉根を寄せ振り返り、南は目を見張った。直ぐには思い出せなかったが、確か名前は――宮村陽介。
「「ちょっと、何なのその説明?僕らが悪いみたいに聞こえるんだけど」」
「その通りですね、…今のは納得がいきません」
萱嶋兄弟と東條に睨み付けられ、宮村は瞳を瞬かせた。そんなつもりは一切無い、自分は見た通りの事を伝えただけだ。もしそう彼らが思うのなら、それは。

「…あんた達がそう感じてるから、そう思うだけじゃねースか?どっか違うなら直してクダサイよ、俺は見たまんま言っただけなんで」

一貫してゆるゆると首を傾げながらそう言う宮村に東條達は眉間に深く皺を刻み言い返そうとしたが、口ごもる。確かに、彼の説明に『間違い』はなかったのだ。
それでも相手を睨み付け、双子の弟の海翔が、冷ややかな声を発した。

「…出しゃばらないでよ、君は私怨でそんな証言してるだけでしょ?平凡のくせに、話に入り込ま――」
「はいは〜い。俺、俺もその平凡君の言った通りだと思うよ〜」
「………っ!!」

緊迫した雰囲気の中突如として発せられた声に東條は思わず目を剥き、即座に振り返った。南と黒井も驚いてその人物を見、宮村はちらと横目で確認した後、そうっスよねーと頷く。それを見て、最強のダラダラコンビが成立してしまったと、こんな状況だが南はぼんやり頭の隅で思ってしまった。


――書記の、篠山葉月。彼は海翔の言葉を遮った後宮村の横までゆっくり移動すると、へらりといつものように、どこか抜けている笑顔を浮かべた。




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