部屋の前まで何とか辿り着いた恭夜は短くは、と息を吐き、そこの―――保健室の扉に、手をかけた。ガラガラと妙に煩く聞こえる音を立てながら開いていく。
中を少し覗いてみれば、誰も居ない様子だった。地獄に仏かと安心した様に息をつき、中へと足を踏み入れる。
静かな室内にどくんどくん、と自身の鼓動の音と呼吸だけが響く。少し考えてから、とりあえず中から鍵を掛ける事に決めた。カチャリ、と音をたてたのを確認して、振り返る。

一番奥にあるベッドまで足を引き摺りながら近付き、周りのカーテンを閉めて極力身体に刺激を与えない様に寝転んだ。揺らぐ視界に目をきつく瞑れば、先程襲われた恐怖が戻ってきて情けないが知らず知らずのうちに身を震わせる。紫雲から少しだけ喧嘩の仕方を教えて貰っておいて良かったと、心底思った。

「――…っは、…ぅ…」

熱い。流れる汗が伝っていくその感触にさえピクリと反応する身体に舌打ちをして、恭夜はそっと下に視線をやった。
…自分で処理しようとした事自体は、ある。性欲が溜まるのは健全な男子である証拠だし、それが普通な事も知っている。だがいつも自慰をしようと頑張ってみても、どうにも駄目なのだ。今まで相手に困った事は無いし(大半は男相手だったが)、どうしても虚しさが勝る。つまり、最後まで自分の手でやった事は無かった。
しかもここは保健室。学校。こんな所で、自分で抜ける筈も無い。
(……我慢、してりゃ……薬も抜ける、だろ、)
そう自分に言い聞かせ無理矢理寝てしまおうと目を瞑っても、這い上がってくる熱に我慢出来ずもぞもぞと動いてしまう。素肌がシーツにずり、と擦れた瞬間には思わず「ヒッ、」と小さな悲鳴が上がった。
何とか逃げてきたにも関わらず、状況が最悪な事は変わらない。迂闊だった自分を殺したくなるが、最早後の祭りだ。東條に言われた「後悔」を早速してしまった事に対する悔しさから、恭夜は唇を噛み締めた。



そして、悪い事は立て続けに起こるものなのだ。



ガタン、保健室の扉が派手な音を鳴らしたのが聞こえ、心臓が飛び出るかと言う位に驚き肩が跳ねた。一瞬の間の後、再びガチャガチャと開けようとしている外の人物に、鼓動がどくどくと鳴り響く。
頼むから、そのまま帰ってくれ。
そう必死で願いながら身を固くして耳をすましていれば、不意に音が止んだ。…数秒待ったが、何の反応も無い。
諦めてくれたのかと顔を少し、上げた時だった。

――カチャリ。

鍵を開ける微かな音に、恭夜は死にたくなった。いっそこのままそこの窓から身投げでもしようかと思ったが、生憎ここは1階だ。何の意味もない。と言うより、そこまで動く力もない。
ガラガラと扉を開ける音と共に聞こえてきた予想した通りの人物の声に、恭夜は思わず頭を押さえた。

「なんやねんなもー、鍵なんか掛けた覚えあらへんのやけど…びっくりするわぁほんま、…お?」

腹の立つエセ関西弁。この部屋の主。何でこのタイミングで帰ってきたんだと、理不尽だが思わずにはいられない罵倒が頭に浮かんだ。
彼が不自然にカーテンが閉められたこのベッドに気付かない筈はない。実際訝しく思っているんだろう、無言でこちらに近付いてくる足音に、恭夜は息を吐いて目を瞑った。
かくなるうえは、―――寝たフリ。

シャッ、と小さな音をたてカーテンが開けられ、次いで驚いた様な恭ちゃんや、と呟く声が聞こえた。完璧に熟睡しているつもりで、無視を決め込む。

「なんや、ホンマに休みに来てくれたんか………って、んな都合良いことあるわけないやろが。恭ちゃん、起きとるやろ。どないしたんや」
「…………」

作戦は速攻でバレた。何でだ畜生、と一人心の中で悪態をつく。
ゆっくりと顔を動かして睨み付ける様にそちらを見やれば、四谷は一度目を瞬かせた後、訝しげな顔をした。いっそ何時もの様に阿呆みたいな事でも言ってくれれば良いが、彼は妙に真剣な顔でこちらを見詰めてくる。
数秒の間の後、四谷は白衣のポケットに手を突っ込みハンカチを取り出しながら、ようやく口を開いた。
「…恭ちゃん、熱あるんか。ちょっとこっち向き、凄い汗やで?拭かんと治らんよ」
「……っ、ちが…さわ、んなッ」
「別に変な事したりせーへんって、」
「やめ、ッァ!」
逃げようと身を捩る恭夜の腕を掴み、何も知らない四谷がハンカチで彼の首筋を擦った瞬間短い矯声が上がった。へ、と目をぱちくりとさせる四谷にしまった、と言うように慌てて口を押さえる彼の顔は酷く赤く、呼吸は荒い。
(………まさか、)
この学園の状態を理解していた四谷はすぐに「その事」に思い当たり、顔が一気に険しくなった。問い詰める様な口調で彼は恭夜に聞く。

「恭ちゃん、自分……薬、盛られたんか」
「……っ、…ちが、う…!」
「何が違うのん、ほんなら何でここ、こんなにさせとるんや。意地ばっか張っても良いことないよって」
「う、…っせ…ッは、」

四谷は思わず溜め息をついた。
こんな状態でも頑固なところは全く変わらない。プライドの高さは自身を安売りしないという点で良い事かも知れないが、こういう時には弱さを見せても良いと思う。曲がりなりにも自分も教師なのだから、相談などをされてみたいじゃないか。そう思ってから彼から相談を受ける日など一生来ないであろうなと考え直す。

(……とりあえず、)

四谷はちらりと横目で恭夜を見た。この状況を何とかしない事には、自分も彼も何かと不味い。浅い呼吸を繰り返しながらぐったりとベッドに横たわっている恭夜のその様は、そんな気がない人間でもその気にさせられる程の色気を放っていた。まあ四谷はバリバリその気のある人間なのだが。
一つ息を吐くと、四谷は彼のズボンに前触れなく手を掛けた。殆ど朦朧とした意識の中でもそれは分かったらしく、恭夜がギョッとした様に身を引く。何しやがる、といつもより弱々しい声だが睨みをきかせた言葉に、四谷は真顔で答えた。



「何って、このままじゃあ辛いやろ。安心しい、突っ込んだりせぇへん。……抜いたるわ」






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