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鬼嶋遥は、ぼーっとしていた。
廊下の端で立ち尽くす彼は何をするでも、何を思うでもなく、ただただぼーっとしていた。
稀に横を通り過ぎようとする生徒達が居ればこれ以上ない程にビクビクしながら抜き足差し足を心掛けているが、そんな人間達の事など鬼嶋の目には映っていなかった。

彼の頭にある事はただ一つ。
『退屈』。それだけ。

それでも彼がここに居るのは誰かを待っているからなのだが、殆ど全ての事に興味の無い鬼嶋は最早誰を待っていたのかさえ忘れていた。否、正確に言うならば、待つというその行為をしている事さえ、彼は忘れていた。
だから彼が一人の人間に話し掛けられた時、驚いて二度三度瞬きをしてから相手を見やったのだ。自分に話しかける人間なぞ皆無であろう事を、彼は分かっていた。


「…、…何だよ、その顔は。お前こんな所で何してやがる」
「………」


自分より頭一つ分低い彼をまじまじと見詰める。話し掛けてきた相手は、この前初めて会った、この学園の生徒会長であった。身長の件に関しては決して恭夜が低い訳ではなく、鬼嶋が常人より高いだけなのだが。
見下ろされるのが至極不愉快な様子の相手を見ていれば、鬼嶋はふと思い出して右手に持っていた数枚の紙を彼に差し出した。
訝しげな顔をしながらもそれを受け取る恭夜に、抑揚の無い声で委員長から、と言えば「あぁ、」と納得した様な声を出す。
そう、黒井にこの書類を会長に渡してこいと言われた鬼嶋は、先程生徒会室まで行き扉をノックしたのだが誰の返事もなく、どうするかと数秒考えた結果廊下の隅でただ待つ事にしたのだ。ようやく自分の目的を思い出した鬼嶋は一人頷く。

「悪ぃな、お前ずっと待ってたのか?今日は皆都合悪くてな…お前、風紀の仕事は良いのかよ」
「…俺は頭悪ィから、役に立たねぇ」

首を傾げてくる恭夜に正直に答えれば彼は目を瞬かせた後、へえ、と気の抜けた返事を寄越してきた。その顔に若干の疲れが見え、鬼嶋は目を細める。そう言えば黒井が彼を気にかけていたなと考えていれば、知らず知らずのうちに口に出ていたらしい。恭夜は可笑しそうにハッと鼻で笑った。
「俺より自分の事心配しろっつの。おめーの委員長サンにそう言っとけ」
「……あぁ」
「…後お前は、今回は特別に許してやるが先輩には敬語を使え。じゃ、書類サンキュ」
ヒラヒラと受け取った紙を振りつつ彼は歩いていった。その後ろ姿を数秒見詰めた後、ゆっくりと踵を返す。

退屈だ。鬼嶋は再び心の中で呟いた。

余り興味が無い為詳しい事はよく知らないが、現在生徒会長は毎日が大変そうである。『退屈』なんて世界とは無縁の場所に、彼は住んでいるんだろう。
自分と彼では何が違うのか、そんな事をぼんやりと考えながら、鬼嶋は廊下を歩き続けた。





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鬼嶋と別れた後生徒会室に戻った恭夜は、彼から貰った書類を読みながら自身の席についた。
と、机の上に微かに湯気がたっている紅茶の存在に気付き、まじまじとそれを見詰める。その下に綺麗な筆跡で「お疲れ様です」と書かれたメモを見つけ、翼が淹れてくれたものかと納得した。今日彼は課題レポートの提出期限が明日に迫っている為来れないと申し訳なさそうに言っていたが、これを淹れに少し寄ってくれていたらしい。
有り難く頂こうと紅茶に口をつけ、少し元気になった恭夜はパソコンの電源ボタンを押して再び仕事に没頭し始めた。









――――異変に気が付いたのは、それから数十分後の事だった。

(……、……熱、い?)

身体の奥底から沸き上がる様な熱。まさか風邪をひいたのかと一瞬考えたが、それとは違う感覚のものだった。妙にくらくらする頭を押さえ立ち上がろうとすれば、ぞくりと電気の様な痺れが背中に走りガタンッ、と机に手をついてしまった。
荒くなる息。やけに煩い鼓動。
今まで味わった事のない自分の身体の異変に、恭夜はようやく理解した。


―――やられた。


机の上に置かれた紅茶に目をやる。翼が淹れたものとすっかり勘違いをして半分程飲んでしまったが、これは多分、…考えたくもないが、媚薬入りだったのだ。誰がやったのかなんて考える事もない、役員の中の誰かに決まっている。
先日話した副会長の東條の顔が、脳裏に浮かんだ。

「……っくそ……ッ!」

完全に、気を抜いていた。生徒会室は自分のテリトリーだから平気だと、心の何処かで安心していたのだ。彼等が簡単にこの部屋に入る事が出来るのを、すっかり忘れて。
ギリ、と思わず唇を噛み締めくそったれ、と短く吐き捨て、恭夜は何とかここから出ようとガクガク震える足を奮い立たせた。頭の中で煩く警報が鳴り響く。ここは危険だと、全身が自身に伝えていた。
彼等が媚薬なんぞを入れただけで済ます筈がない。最悪の展開だけは、どうしても避けたかった。
扉に向かって歩き出そうと足を無理矢理前に出した、――その時。


ギィ、と微かな音をたてて、閉まっていた扉がゆっくりと開く。その向こうに見えた下卑た男達の笑いに、恭夜は頬を汗が伝うのを、感じた。




「ごきげんよう、……会長サン?」






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