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(南side)


恭夜と別れた後早々に学校を早退し自室へと戻ってきた俺は、部屋に入った瞬間迷わず洗面所を目指した。
蛇口を思い切り捻り水を出す。ジャバジャバと音を立て流れ出すそれに腕をかざし、先程掴まれた感触を打ち消す様にゴシゴシと洗った。思い出した様に沸き上がってくる吐き気は無理矢理飲み込んで、ただ何度も何度も咳き込む。

気持ち、悪い。

背中からぞわりぞわりと、悪寒の様に何かが這い上がってくる。目を閉じれば先程の、立花の手が見える。怖い、怖い。気持ち悪い。
何分も何分も掛けて見えない何かを振り払う様に水で洗い流し、終わった頃には俺はすっかり疲れきっていた。
ズルズルとそこに座り込み、足の間に顔を埋める。気持ち悪さは無くなったが今度は動悸が激しくなり、浅い呼吸を繰り返して目をきつく瞑った。
洗面所の隅で縮こまりながらぼんやりと恭夜の事を思いだそうとする。アイツに触られるのは平気なのに、何故他の奴は駄目なんだろう。アイツの手は温かいと思えるのに、それ以外の人間の手は、俺にとって恐怖の対象でしか無かった。

(…こんなに、情けないのは、)

嫌だ。
微かに喉から搾り取った様な声が、静かな部屋に霞んでいった。呟いた瞬間どうしようも無い感情で胸が一杯になり、目の奥がじわり、と熱くなる。知らず知らずのうちに、嗚咽が漏れた。



他人に触られる事が、恐ろしかった。




俺の親父はアイディアの宝庫だった。あんな人の事を、天才と言うんだろうと思う。技術費用を限りなく抑え、僅かなコストで非常に役に立つ製品を次から次へと考え出し、たった一世代で莫大な財産を築き上げた。今や親父の会社は日用品から産業品、果ては介護の領域まで扱う大企業になっている。それでも全く調子に乗ったりせず、なんか稼いじゃったなあと言って笑う親父の事が、俺は大好きで。いつか親父の会社に勤めて彼の役に立ちたいと、心から思った。


――…親父はその、宝物の様なアイディアを、一冊の手帳に全てを記していた。
どこからその情報が漏れたのかは知らない。分からない。だが、その事がもし他会社に知られたならば。奴等が喉から手が出る程欲しいものだろうという事は、あの時幼かった俺でさえ分かった事だった。


中学1年の夏休み。
俺は、誘拐された。


彼等が俺を人質として要求したものは、勿論あの手帳。電話ごしに親父に向かって怒鳴る誘拐犯の言葉でそれを知った。
ショックだった。自分が何より役に立ちたいと思っていた親父の、足を引っ張っている事が。
抵抗した。
逃げ出そうと、した。
それでも中1のガキに何か出来る訳も無く、見下ろす男達はただ俺を殴って蹴って、哂って――





ポタリ、と蛇口から水が零れ落ちる音にハッとし、顔を上げた。
無意識のうちに震える手をギュッと握り、また深く息を吐く。嫌なことを、思い出した。
とにかく俺はあの日以来、他人に触られる事がトラウマになった。警察が逆探知だか何だかで場所を特定し助けられた為、あの手帳を渡す事にはならなかったが。
最初のうちは家にずっと引きこもり、学校にも行くのが怖かった。家族は勿論、恭夜の手だって何度も振り払った。それでもアイツは、一緒に居てくれたけれど。触る事が出来る様になったのは、つい最近の事だ。



初めて、彼の手に触れた時は、涙が出た。普通の人間が当たり前にしている事を、俺は出来ない。いつも周りとは少し離れたところで笑うだけだった俺の、隣に座ってくれていたのは、恭夜で。
そんな優しいアイツですら、やっと触れたと言うのにぎこちなくなるこの体が嫌で堪らなくて、それでも彼は震える俺の手をゆっくりと両手で包んで、笑った。




『ざまあみろ』



『今度からお前が馬鹿した時は、殴って止めてやるからな』







――なあ、あの時俺は本当に、お前に会えて良かったって、心から思ったんだ。


だから、誓ったんだよ。




これからはずっと俺が、何があっても、お前の傍に居る事を。




(南side/end)




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