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***



前だけを見詰めて歩を進める後輩の銀髪を追いながら、恭夜は疲れた様に小さく息を吐いた。あの千羽とやらがこれで諦めてくれれば良いが、そう簡単に行かない気がしないでもない。
だがとりあえずは一件落着と言う事で大丈夫だろうと、恭夜は面倒そうに髪の毛を掻き上げた。全く夏休みまでこんな目に合わなきゃならないというのはどういう事なのか。疫病神でもついてるんじゃないだろうか、全く。

夕方近いこの時間帯、街から少し離れた二人が通るこの裏道は人通りが少ない。
ぐぅぐぅと盛大に腹を鳴らしながら歩いていた鬼嶋はぶつぶつと愚痴を呟きつつ後ろからついてくる恭夜にちらと視線を移し、ふと何かに気が付いた様に立ち止まりその顔を凝視した。
いきなり止まった彼に思わずぱちくりとし、恭夜も小首を傾げながらも足を止める。何だ、と短く聞けば一瞬の間の後、ぼそりと呟かれた。


「……怪我、」
「…あ?……あぁ、これか。殴られたんだよ、三倍返しにしてやった。ざまあみろってんだ」
「………、……悪い」


恭夜は瞳を数度瞬かせた。
申し訳無さそうな顔は一切していないが、それでも鬼嶋は思った事しか口に出す事はしない。恐らく自分がいなければ恭夜が巻き込まれる事は無かったと、彼なりに考えたからだろう。
罪悪感を持てる様にまでなったのか、と妙にしみじみ彼の成長具合に感動しつつ、恭夜は口端を上げて微かに笑った。切れた部分がピリッと痛んだが、そんな事はどうでも良かった。

「だから三倍返しにしたって言っただろうが。こんなんどうって事ねぇよ、馬鹿にすんな。それよりお前、さっきは何で避けもしなけりゃあやり返しもしなかった?」

話題をさりげなく反らす様にして先程の彼の行動を問えば、鬼嶋は数秒間黙りこんだ後、ゆっくりと口を開いた。


「…変わると、思ったから」
「あ?何が」
「…アイツ等が…殴っても殴っても、…いや、殴れば殴るほど…また喧嘩吹っ掛けてくるから。…だから、変えようとして…けど、変わらなかったな」


――俺はやっぱり、アンタみたいにはなれねぇ。
そう最後は独り言の様に小さな声でぼそりと呟き、鬼嶋はそのまま黙ってしまった。表情は変わらない様に見えるが、微かに眉間に皺が寄っている。そんな彼を目の前に、恭夜は再び瞳を瞬かせた。

(…変わらなかった?)

何が。
心の中で問う。
鬼嶋の口振りからして千羽の事であるのだろうが、ならばそんな事は気にする必要は無いと恭夜は思う。他人を変える事が意図して出来る様になるだなんて、恐ろしい話だ。特に、あの頑固そうな人間に対しては。

それよりも、だ。
大事な事はきっと、変えられなかった事では無い。




「……変わっただろ?ちゃんと、…お前が」




静かに、だがはっきりと恭夜が言った言葉に、鬼嶋は俯き加減だった目線を僅かに上げた。目に映った常には殆ど見られない柔らかい笑みに、少しの間の後、ゆるく首を傾げる。

「…そうか?」
「あぁ。お前だけじゃねぇ、風間もきっとな。劇的に変わる必要なんざねぇし、変わらなくて良いところもある。ただお前が、『今のままじゃ駄目だ』って、そう考えただけでも一歩進んでんだと思うぜ」
「……そうか」

フーン、と納得したんだかしてないんだかよく分からない反応ながらも、鬼嶋は小さく分かったと言うように頷いた。それを見て恭夜も、まあ細かい事はともかくとして彼の眉間の皺がなくなったから良いかと、頷き返す。
と、その時不意にまたぐぅう、と鬼嶋の腹が鳴り出した。思わずそれに笑って、恭夜達はまた歩き出す。
面倒な後輩を持つと大変だ、と口には出さないでも、しっかりと心の中では呟いて。気分は既に父親の様なそれである。否、母親といった方がしっくりくるかも知れないが。


「おい鬼嶋、帰ったら手洗えよ」
「あぁ…、……名前は」
「あ?……あー、もう慣れねぇから、特別な時にしか呼ばねぇ事にする。許せ」
「……さっき呼んだだろ」
「あれはお前がいっくら鬼嶋って呼んでも反応しねぇから、最終的に仕方なく叫んだだけだ」
「…一日一回」
「………善処する」


意外としつこい相手に引きつり顔ながらもとりあえずは頷いた恭夜。
慣れないと言われた鬼嶋は少々つまらなさそうな顔をしつつもその返事になら良い、と呟いて、また前を見て歩き出す。
そんな彼を見て、恭夜は本当に面倒な奴だと1人肩を竦めて、笑った。





****



――――その頃。
私立宝城学園の中にある職員室の更に奥、『生徒相談室』と書かれた札が下げられている部屋のソファに、南は座っていた。
その前には学年主任である教師が、真面目な顔で何かの書類とおぼしき紙に文字を書きこんでいる。手は動かしたまま、それにしても、と彼は穏やかな声で呟いた。

「もう少しで卒業だと言うのに…あちらさんもせっかちな事だね」
「あぁいや、でもまぁ、あっちにも都合がありますから。有り難いって、思ってますよ」
「そうかな、まぁ試験を受ければ卒業資格はもらえる。鹿川君の事だから大丈夫だとは思うけどね、よし出来た」

万年筆をカタリと横に置き、書き終わった書類を南に見せる。これで良いかな?と聞く教師に、彼は一通り目を通した後で頷いた。

「よし、じゃあ書類関係は校長に回しておくよ。僕が心配なのは君が居なくなった後のF組だなあ」
「はは、そんなに心配しないでも。アイツ等馬鹿な事が好きなだけで根は良い奴等ばっかりですよ。それに俺、今でもあんまり顔出さないですし。あんま変わりませんって」
「君が思う以上に君の影響は大きいと思うけどね、まあ鹿川君が言うならそうか。……しかし、留学とは…大変だね、まだ18歳なのに……」

しみじみと教師が呟いた言葉に南は眉尻を下げて笑い、留学だけなら何歳でも行けますよと軽い口調で答えた。


11月。
文化祭が終わってからしばらく経つ頃に、南は外国――フィンランドに発つ予定だった。父親の弟であり、フィンランドに子会社を持つ叔父が勉強をしに来ないかと、誘ってきた為だった。
高校を卒業して直ぐに会社の業務に慣れる事などは出来やしない。今までも父親から送られてくる会社の情報や基礎的な管理などの勉強はしてきたが、そんな事で足りる筈も無い。社会に出る事の厳しさを、閉鎖的な空間で育った南は分かっていないと自分でも思うのだ。
本当に父親の会社を継ぎたいと思うのなら、本腰を入れて勉強する必要があった。無論日本の大学に通うという選択肢も有りはしたが、南は結局、外国で新たな見聞を広めた方がきっと役に立つと、そう決めたのだ。
フィンランドで1年、その後アメリカに移り大学に入る。それを決意したのは、つい1週間程前の事。
父親以外には、誰にも言っていない話だ。――勿論それは、幼なじみである恭夜も例外では無く。


ふ、と目線を窓に移せば、山の向こうに夕陽が静まりかけていた。それを見て南は再び視線を元に戻し、ゆっくりと口を開く。

「…そろそろ遅いんで帰ります。今まで色々、我が侭ばかり聞いて頂いて、有り難うございました、先生」
「いやだな、まだ通うのに挨拶は早いよ。さ、気を付けて帰って。文化祭は是非、楽しんでね」

にっこりと笑う教師に頭を下げて、南は扉を開き部屋から出た。
廊下に出て、沈んでいく太陽を窓越しに見つめる。早く帰らなければ真っ暗になるなと、ぼんやり思いながらも歩むスピードは変わらない。
―――書類は書いた。散々悩んだ。でも、決めた。後戻りはしない。
後はその日を、待つだけだ。




(……恭夜には、)




―――最後まで、言わない。

1人ぽつりと呟く。最初から、決めていた事だった。言えば恐らく、気持ちが揺らぐから。
俺も変わらなきゃいけないんだと、微かに紡がれた言葉が誰もいない廊下にただ、消えていった。




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