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ひゅんっ、と拳が風を切る音が、直ぐ頭上で聞こえた。

今まで一切の攻撃を避けて来なかった鬼嶋の急な動きに一瞬狼狽え、千羽の足が拳を繰り出したその体制のまま僅かに止まる。その隙を見逃さず、鬼嶋は屈んだその瞬間に右足で地を思いきり蹴った。軽く後ろに跳ぶ様な動作で千羽と距離を取った後、小さく息を吐く。


「鬼嶋!」


再び声が聞こえた。
ゆらりとそちらを向けば、先程は確認出来なかったがそれだと分かった、生徒会長の姿。
名前呼びだったり名字呼びだったり忙しいな、と思う前に物凄い怒りの形相を浮かべながらズカズカと近付いてくる彼に、鬼嶋は目を瞬かせた。周りで狼狽える蛇琵出のメンバーもその気迫に圧倒され動けない。
鬼嶋の前まで一直線にやってきた恭夜は目を吊り上げながら、怒り心頭といった様子のまま口を開いた。


「テメェ鬼嶋、何で避けねぇんだ馬鹿なのか!?バカスコ殴られやがって、怪我してんじゃねぇ!見てるこっちが痛いわこのど阿呆!!」
「………」


鬼嶋はまた一つ、瞬きをした。
未だ怒鳴る勢いで説教をする恭夜に首をゆるりと動かしながら小さく痛くねぇ、と呟けば、「痛いんだよ!」と何故かまた鬼の形相で怒られる。本人が痛くないと言ってるのに痛いと言い切る相手が物珍しくて、鬼嶋は不可解そうに首を傾げた。

そう言えばあの日、窓が割れて自身が傷付いた時も彼は、怒っていた。

そんな事をふと思い出して鬼嶋は、目の前でギャンギャンと騒ぐ相手をじっと見詰めた。怒られるのははっきり言って好きでは無かったが、何故だか心地が良い。そう思う自分も不思議で、鬼嶋はますます首を捻った。

「聞いてンのか鬼嶋!?無駄に喧嘩強ぇくせにどうして避けないのかって俺は聞いてんだよ分かるかこんのダアホ!!優しさがいきなり発動したんならそりゃガンジー的な意味で非暴力万歳という事になるけど正直避けられるなら避けろと俺は言いたい!余計な怪我作っても何も良いことねぇだろマゾ野郎は除くけ、」
「会長」
「ど……、…何だよ」

マシンガントークをぶっぱなす相手を静かに呼べば、不機嫌げに鬼嶋の顔を一瞥したものの、割とあっさりぶっきらぼうながらも言葉が返ってくる。
機嫌の悪い彼を何とかしようと両手でわしゃわしゃと恭夜の頭を触ってから鬼嶋は、小さく言った。



「…痛ぇ」
「………。……当たり前だろ」



軽く見開かれた目が、次いで呆れの様な色を滲ませる。帰ったら消毒してやる、とどこか疲れた様に言う彼に、鬼嶋はコクリと頷いた。本当は余り痛くなかったのだが、口に出してみれば少し痛みを感じた様な気がした。
その感覚に微妙に満足しながら恭夜の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、その手を払い落とされていた鬼嶋はまだ、知らない。
―――怒られているのではなく、心配されているからこそ、心地が良いのだと言う事を。



と、その時。
ダンッ、と床が鈍く揺れる音が奥から聞こえた。
驚いてそちらを見やれば、千羽が息を切らしながらも恭夜と鬼嶋を睨み付けている。先程の音は察するに彼が、苛立ちから地を蹴った為だろう。
眉根を寄せて千羽を見る恭夜に相手は舌打ちをして、口を開いた。


「テメェ…何でここにいるんじゃ、邪魔すんじゃねぇ…!」
「…あぁ?誰だか知らねぇけど随分な物言いだな、ここまでやってまだ満足してねぇのか?粘着質な男はモテねぇぜ」
「うっ…るせぇわ!!風間はどうしたァ風間は!!!」


鼻を鳴らして小馬鹿にした様に言う恭夜に千羽はギリ、と歯を噛み締めてそう怒鳴った。鬼嶋がその言葉に風間、と小さく呟いたがそのまま静かに考える様に黙る。
千羽の怒声に顔をしかめつつも答えようと恭夜が口を開こうとしたその時、―――不意に聞き慣れた声が、それを遮った。



「俺ならここですよォ、千羽さん。あらら汗だく、苦戦してますねェ」
「っ!風間……ッ」



倉庫の入口。
寄りかかる様にそこに立ちながら紫の髪を靡かせ、風間は自身の名を苦々しげに呼んだ千羽に向かってにっこりと笑みを浮かべた。
よく見れば後ろには先程恭夜が急所を蹴り飛ばした男ともう一人が、ガタガタと震えて座り込んでいる。何をどう言って脅したのかと、恭夜は思わず呆れた。
そんな彼の心情など知るよしもない風間は飄々としたその姿が千羽を更に苛立たせる事は分かっているのかいないのか、口元の笑みはそのままに次いでちら、と恭夜と鬼嶋の方に目線を向ける。
その時鬼嶋と目線が交錯したが、互いに何も言わずにそのまま静かに顔を反らした。


「っ風間テメェッどういう事じゃあ!まさか裏切ったんじゃねェだろうなァ!?」
「はい?やだなァ千羽サン、教えろって言われた事には全部答えたじゃないですか。会長の事もちゃあんと呼び出しましたし、その間に千羽サン達が遥ちゃん倒せなかったからって俺の責任にされちゃあ堪りませんよォ」
「……ッんの…風間テメェ、どうなるか分かってんだろうな…!?」
「さァ?それより千羽サン、こんなとこで油売ってる暇は無いと思いますけど」


…ぴくり、千羽の肩が震えた。
一瞬の間の後に、低く唸る様な声でどういう事じゃ、と呟かれる。風間の言う事を軽く見れば後に痛い目をみるという事を、彼は分かっていた。
そんな相手の反応に風間は楽しげににこりと軽く口元を上げて、笑う。そうしてからゆっくりと、口を開いた。



「――千羽サンが今狙ってる、よし子ちゃんの事ですよ。リカちゃんと玲菜ちゃんと結実ちゃんにバレて今、元町で女同士の戦いしてます。早く行かねェとアンタ、皆からフラれる羽目になると思うけどなァ」
「……なっ、…はッ!!??」



聞いた瞬間千羽が、妙な声を上げて固まった。
端で聞いていた蛇琵出のメンバーも、おまけに恭夜も思わず口をあんぐりと開けて固まる。平然としているのは興味の無さげな鬼嶋と、情報を言った張本人である風間のみである。そりゃあそうだ、四股など早々聞かない。と思いつつ最盛期の篠山はその比じゃ無かったなと、恭夜はげんなりしながらも思い直した。

だが何と言っても浮気である。誉められた事では無い。てっきりよし子ちゃんにお熱だと思っていた蛇琵出のメンバー達がどういう事なのかと本人に突っ込む前に、千羽が蒼白な顔をして―――叫んだ。


「…っテメェ等、今日は解散だ解散!!テル、足用意しろ足ィ!!」
「っえ、えぇ!?で、でも千羽さ、」
「黙って用意しろやァァアァァ!!」
「デッ…ディーッス!!!」


いきなり命令されたテルが肩を跳ねらせて何事か反論しようとしたが、その前に千羽が物凄い勢いで怒声を浴びせかけた為、慌ててピシッと姿勢を正して敬礼をした。
バタバタと勢い良く外に駆け出していくテルの後ろ姿を見届けると、千羽は悔しそうに顔を歪めながらもギッと鬼嶋の方を思いきり睨み付ける。きょとんと目を瞬かせる鬼嶋に彼は人差し指を突き付けると、吐き捨てる様に怒鳴った。


「テメェ鬼嶋、俺ァまだテメェを許しちゃいねぇからな!!!今日のところは見逃してやるッ今度またリンチしてやるから覚悟しとけよ!!!」
「ははは千羽サン、マジやられ役の捨て台詞じゃないっスか」
「うるっせェぞ風間ァっ、テメェも首洗って待ってろ!!!」


ケラケラ笑う風間に唾を吐く勢いで悪態をついた後、千羽は全速力で倉庫から走り去って行った。ポカーンとしていた蛇琵出のメンバーもそれを見て、互いに顔を見合わせた後、慌てて口々に「千羽さぁん!」と呼びながら追いかけていく。
ぞろぞろと居なくなり始めた彼等に恭夜が唖然としたまま物も言えない、といった風に眺めているのを見て、風間が喉を鳴らして笑いながら言った。



「アレも一つのトップの形ですよォ。ちょっとお馬鹿な所もありますけど、ついていきたいって思う様な人間もいるって事です」
「……ぁ?…あぁ…そうか、そうだな…。…何つーか…」



小さく頷きながらそこまで言った後、恭夜は口をつぐんだ。斜め横を見やれば鬼嶋がつまらなさそうにくぁ、と欠伸をしているのが目に入る。
その姿を見て、恭夜は思わず深い、溜め息をついた。



「…何つーか、すげぇ…疲れた」








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