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――鬼嶋が倉庫の中に入った瞬間、複数の人間が同時に躍り掛かってきた。

咄嗟に横っ飛びに避けたが、直ぐ様前方から鉄棒を振り上げた男が雄叫びを上げながら駆けてくるのが目に映り、鬼嶋は再び避け―――る事はせず、迫りくるそれを片手で受け止める。
ガァンッ、腕の筋肉に痺れる様な衝撃が走ったが、彼が表情を崩す事は無かった。
ギロリ、鋭い眼差しで鉄棒を握る相手を睨み付ければ、ヒッと小さく情けない声を出した後、慌てて手を離す。腰が引けてしまった様子の彼に興味が無くなった鬼嶋は、緩慢な動作で鉄棒を放り投げた。そのまま真っ直ぐに、前を見やる。
カラン、鉄棒が床に落ちた音が、倉庫中に反響した。

待ち構えていた様にそこに立っていた男の燃える様な赤い髪には、鬼嶋も見覚えがあった。

忌々しそうに顔を歪めて、こちらを睨み付けてくる男。蛇琵出のリーダーである、千羽明里。その人一人をそれだけで殺してしまいそうな視線に射抜かれても、鬼嶋は無表情のまま彼を見返すだけだった。
静けさに支配された倉庫の中――ゆっくりと、千羽の唇が開かれた。


「……久し振りじゃなァ、鬼嶋。待っとったぜェ?お前にやられた事、倍にして返すのをよォ……!」
「………」


地を這う様な低い声。
千羽の怒りに満ちた表情をつまらなさそうに眺める鬼嶋の様子がさも余裕であるかの様に見えたのか、相手方のチームの雰囲気が更に険悪になった。
鬼嶋からしてみれば普段通りに話を聞いているのに過ぎないのだが、恐らく言っても聞かない連中である。

その時カラカラと、何かを引き摺る様な音が聞こえた。
徐々に大きくなってくる音にふ、とそちらへ視線を移せば、各々好きな長さの棒を持った蛇琵出のメンバー達が、こちらを睨み付けながらジリジリと近寄って来ているのが見えた。多勢に無勢。丸腰に鉄棒。そうまでして勝ちたいのかと、今ここに恭夜がいれば説教が10個20個は飛んでくるに違いない。
そうまでして勝ちたいのだ。
苦渋を舐めさせられてきたこの相手を倒すには、ここまで用意しなければ決して勝てないであろう事を、蛇琵出のメンバー達は理解していたのである。

そんな状況に立たされてなお顔色一つ変えない鬼嶋を、千羽は苛立たしげに睨み付ける。が、何かを思い出したのかニヤリと口元を歪めて、千羽は再び口を開いた。


「鬼嶋よォ、お前本当に単細胞じゃなァ。一人でノコノコ来て、今まで忠犬みてーに引っ付いてたご主人様はほったらかしか?………今頃、どうなってるかのォ?」


ぴくり。
鬼嶋の肩が、微かに動いた。
眉間に少しだけ皺を寄せて、千羽の顔を真正面から見据える。何も言わないがその反応に若干満足した千羽は、鼻で笑った。
あの生徒会長になついている、と風間から聞いた時はあの鬼嶋がかと半信半疑だったが、どうやらあながち嘘でも無いようだった。呼び出しにも応じた事だし、この分なら彼を脅しの材料にして鬼嶋を伸せる。
そう考えていた千羽に反して、鬼嶋は実は全く、別の事を考えていた。


鬼嶋は確かに単細胞であるが、頭が回らない訳では無い。
例え今恭夜が蛇琵出のメンバーに捕まっていたとしても、千羽をここで倒してしまえば終わりである。蛇琵出というチームが仲間を大事にしている事、何よりリーダーである千羽が慕われている事を、鬼嶋は知っていた。
恭夜は鬼嶋にとって枷にはならない。
だがそれでも鬼嶋は、どうするべきかを考えていた。


数日前の事を思い出す。
それなりに気に入っている、あの生徒会長が言った言葉。どこか楽しそうだった笑顔を。



『何かを自分の手で変えるってのは、面白いぜ』



(………、……)

―――退屈だった。
今までの人生、ずっとだ。
喧嘩だらけの毎日。別段好きでも無いがその方法しか知らなかった鬼嶋が、殴って蹴って、誰かを踏みにじって、そうして得たものは畏怖と憎悪の眼差しだけだった。
何一つ執着する事も無く、何一つ輝くものなど見付からず。それが他の人間と比べて酷く色褪せた人生だという事に、鬼嶋は薄々勘づいていた。そんな人生をどこかで変えたいと、思っていた事にも。


殴る事しか知らない。だがそれだけでは、何も変わらなかった。

――ならやり方を、変えるしか無い。

鬼嶋は生まれて初めて、そう考えた。
変えたい。自分の手で、何かを。あの生徒会長の様にとは言わないが、それでも試してみるのは悪くないと、そう思った。



だから、鬼嶋は。
怒号を上げて拳を振りかざし、地を蹴った千羽を前に――自らの握った掌から力を、抜いた。









…それから何十分、いや何時間経っただろうか。
体に走る衝撃に痛い、と思う事は無いが、そろそろ立っているのも疲れると流石の鬼嶋でも思う位に、彼は殴られ続けていた。そうは言っても常人ならば既に気絶していても可笑しくは無い程の攻撃の筈である。あらゆる箇所に打撲傷を作り、頬からは血が流れ出ていながらなお表情を変えずに立っている鬼嶋は、矢張常人では有り得なかった。
何の反撃もしていないと言うのに、地に座り込んでゼエハアと肩で息をしているメンバーもいる。殴っても殴っても倒れない鬼嶋に、彼等は今まで抱いていたものとはまた違う恐怖を感じていた。


そんな中、千羽も苦しげに短く息を吐き出しながら、きつく歯を食い縛る。
思惑通りに一方的な喧嘩をしている筈なのに、殴れば殴るほどまた、自分が惨めになるようだった。


(……っんで、倒れねェんじゃ…この化物が……ッ!!)


悔しい。
悔しい悔しい。
また、勝てない事が。また、負けてしまう事が。またあの、気持ちを味わう羽目になる事が。


「―――ッ…!」


殴りすぎて最早血だらけの拳を、千羽は再び握った。止める訳にはいかなかった。蛇琵出のリーダーとしての、プライドにかけて。

「……まだ、やんのか」

ぽつり、若干掠れた声で鬼嶋が呟く。気が済むまでと待っていたが、千羽は限界を越えてまで自分を殴ろうとしている様だった。ここまで憎まれていたのかと、鬼嶋は初めて人の感情に気が付いた。

千羽は、答えなかった。
代わりに低く唸って、また身を屈めて走り出した。鋭く風を切る、固く握られた拳が見える。このままいけば恐らく、顔面に直撃するだろう。
倒れるかも知れない、と鬼嶋の脳裏に今まで思った事の無い言葉が過った。だがそれも良いかも知れないと考え、ただ迫る千羽の姿をじっと見詰める。

当たる、と誰もが思った、その時だった。





「…ッの……遥ぁ!!!!」





まるで叱る様に、苛立ちを含んだ鬼嶋を呼ぶ声が、倉庫中に響いた。こんな風に彼の名を呼べる人間など、この世に一人しかいない。誰もがギョッとした。
目を見開いた鬼嶋の耳に、次いで飛び込んできた言葉。

その言葉に、何度殴られても避けようとしなかった彼の身体が、遂に―――動いた。




「……ッ伏せろ!!!!」





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