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朝起きたら、鬼嶋がいなかった。

もぬけの殻である布団を数秒間眺めた後、小さな欠伸を噛み殺してゆっくりと立ち上がる。どうせ下に居るだろ、そう思いながらダボダボとパジャマのズボンを引きずりながら階下へと下りていく。親父のお下がりだから、少々デカい。

寝ぼけた頭を何とか奮い立たせつつ扉を開けてリビングに入ったが、予想していた鬼嶋の姿が何処にも無い。何で居ないんだ。
代わりに居た、ソファに座りながらカメラのフィルターを嬉々として覗き込んでいる母さんの後ろ姿に、俺は声を掛けた。

「…母さん…鬼嶋は?」
「あら、おはよう恭夜、随分早いじゃない。鬼嶋君なら何処かに出掛けたわよ?アンタに『あんまり外に出るな』って」
「………はぁ?」

返ってきた思わぬ言葉に少し唖然とした後、自然と眉間に皺が寄った。何だそりゃ、意味が分からん。何で俺が外に出たらいけねぇんだ。と母さんに言っても仕方の無い事だから、首を捻るに留めるしか無い。
前々から鬼嶋がマイペースかつ常人では理解出来ない脳みそを持ち、加えて言動が意味不明なのは知っている。その鬼嶋がたった一人で出掛けたと言うのも、気になる話だった。今まで一度もそんな事は無かったと言うのに、一体全体どうしたんだ。帰って来れるんだろうか、アイツ。


何か問題を起こすのは勘弁してくれ、なんて考えながらも俺は着替え、朝食を食べて、その他諸々の支度を済ませてからどうしようかとしばし思案した後、南の所に行こうと決めた。
たかが近所、10分ほどの道のりだ。それくらいの外出ならば良いだろう。断じて鬼嶋の言う通りにしねぇと、なんて考えている訳では無い。
確かに最近何だか違和感があると、自分でも思うのだ。……何だか、見られている様な気がすると言うか。気のせいかも知れねぇが。


なんて事を考えつつ、南の家に向かったは良いものの。




「恭夜君?やだごめんなさい、みーちゃん今居ないの。学校に行くって言って、朝に出たばっかり」
「……は…学校、ですか?」
「えぇ、理由は知らないんだけど…忘れ物でもしたんじゃないかな」

チャイムを鳴らした後、ガチャリと扉を開けて出てきた南の母親――千代子さんの申し訳無さそうな言葉に思わず瞳を瞬かせた後、俺はそうですか、と短く言って小さく頭を下げた。
いつもいるから、無駄足になるとは思わなかったな…今度からはちゃんと連絡してから行くか。面倒だけれども、そういや最近忙しそうだったからな。
また一緒にご飯食べましょうね、という彼女のふわふわした声を背中で聞きながら、来た道を妙に重い足取りで戻っていく。
仕方ねぇな、と呟きつつも腑に落ちない事ばかりで、思わず眉間に皺が寄った。

何で今、学校に戻る必要がある?
今まで彼が、休みの期間に学校に何かを取りに帰った事なんて一回も無かった。そんなに大事なもん忘れたのか。そこまで大事なもんって何だ。いやそもそも、本当に忘れ物をしたから戻ったのか?

考えても答えの出ない苛立ちと、加えて鬼嶋の訳の分からない言葉を思い出して、俺は盛大に舌打ちをしてしまった。不明瞭な事があると不安になる。らしくもないが、やはりどこか嫌な予感がするのだ。それが南の事なのか、鬼嶋の事なのかは分からないけれど。

…南も南で、学校に行くなら俺に何か一言言ってくれりゃあ良いものを。

そんな事を一瞬でも考えて、彼にそんな事をしなきゃならねぇ義務なんざ無いと、馬鹿げた自分の思考に心底呆れた。暑さのせいで気分が悪くなっているに違いない。

が、何時までも非生産的に苛々としている訳にも行かなかった。
仕方がないから家に帰って大人しく勉強でもしてるかと、思った瞬間。



―――ピリリリ、



シンプルな着信を知らせる音と共に、尻ポケットに入っていた携帯がブルルル、と震えた。
予想外の振動にぴくりと小さく反応をしてから、数秒の後にストラップを引っ張ってそこから携帯を取り出す。
ディスプレイに映し出された番号に見覚えは無く、眉間に皺を寄せて少し躊躇したもののとりあえずと、俺は通話ボタンをゆっくりと押した。


「…もしもし」
『ア、会長ですかァ?俺っスよ俺、風間です。お久しぶりっスねェ』
「……は、…風間?」


電話口の向こうからはっきりと聞こえてきた声と口調、そしてその名前に、俺はしばし固まった。全く予想していなかった相手からの電話。何故、こいつが。
呆けた様な俺の声が面白かったのか、風間はケラケラと笑いながらいきなりすいませんねェ、と全く悪びれた様子も無く、そう言った。
全くだ、と言うか何で俺の電話番号を知って…いや、こいつに関してその疑問は必要ねぇな。
プライバシーの侵害だと少々顔をしかめたまま、俺は溜め息混じりに電話越しの相手へと口を開く。


「……何の用だ、風間。何かあったのか」
『いえいえ、そんな大した事じゃあねェんスけど。…ね、会長、』
「あ?」


一瞬、途切れた言葉。
次いで、聞こえてきた内容は。



『―――デート、しませんか?』



……。
……………?


「…、……はぁ…?」


聞こえてきたうすら寒い言葉に、俺は再び固まってしまった。先ほどよりも呆れた声が出る。何だいきなり、デートってのは。馬鹿なのかこいつ。冗談でも気持ち悪ぃぞ。
なんて心中で毒吐きつつも未だによく理解の出来ていない俺の様子も気にせず、風間はぺらぺらと話し続けた。

『そうっスねェ、じゃあ30分後にビビアルの隣のルーヴァっつー喫茶店で。東谷公園の近くのヤツ、知ってるでしょ?待ってますよォ』
「あ!?てめぇ何勝手に決めて…ッ、っつーか俺は今日外に出ねぇんだよ、無理」
『…あァ、遥ちゃんに言われたんスかァ?大丈夫っスよ、そんな心配せんでも。…アンタは、ね』
「―――は、?」

意味深な彼の言い方に引っ掛かり、思わず聞き返す。が、風間は含み笑いをしながらそんじゃあ待ってますんで、と言って俺が何かを言う前にさっさと電話を切った。
何て奴だ、人の都合を完全無視するとは最低な。俺だってそんなに事はしねぇ、…多分。
すっぽかしてやろう、と腹を立てながらも帰路につこうとし、だがしばし考える。

彼の一言が、ひどく気になった。





『遥ちゃんに言われたんスかァ?』





(―――何で、それを)


…知っているんだ。



「……やっぱり、面倒事かよ……」


チッ、と小さく吐き捨てる様な舌打ちをする。鬼嶋が今ここにいない事に、風間も関係しているのか。
俺の嫌な予感は占い師並みだと一人呟いてから、仕方がないと俺は足を家の方向ではなく、街の方へと向けて踏み出した。





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