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「………会長、」

静かに短く、名を呼ぶ声が部屋の中に落ちる。正確に言うならば名前では無いが、それを呼んだ張本人―――鬼嶋にとっては最早、目の前で布団にくるまる相手の名前は『会長』であった。
が、呼ばれた当の恭夜はと言えば鬼嶋の低い声にしばしの間を空けた後、不機嫌げに唸る様な声を出しただけだった。そんな反応など生まれてこの方された事の無い鬼嶋は、ただ恭夜の寝るベッドの傍で所在無げに立ち尽くすばかりである。
反応どころかこの状況さえ初体験、と言うヤツだ。

恭夜は自他共に認める、低血圧だ。
自分から目を覚ます時はそれはもう清々しい程に潔く起きるが、他人に起こされた時の動かなさは筋金入りである。舌打ちはするわ物凄い形相で睨み付けてくるわ挙句の果ては足技まで出るわ。幼なじみの南でさえ、滅多な事では彼の睡眠を邪魔しようとはしない。
そんな彼を起こせと、鬼嶋はのそのそ入っていったリビングのソファで寛いでいた恭夜の母親から、にっこりとした笑顔付きで言われた。何も思わず頷いてしまったが、これは中々に難しい依頼である。

どうするかとボーッと考えつつ頬をつねったりしてみるが、矢張全く効果は得られそうに無い。しかしこのままでは朝飯にありつけない訳で、お腹を空かせた鬼嶋は若干むすっとしながらもふ、と何かに気が付いた様に顔を上げた。

―――その、刹那。



バリィイィンッ!!!



派手な音と、瞬間的に散乱したガラスの破片。突然の事態に考えるより先に咄嗟に手を伸ばして寝ている恭夜を庇った鬼嶋の腕に、それは容赦無く突き刺さった。バリンバリン、小さな無数の破片が次々に床へ机へと叩き付けられる。その中に小さな小石が転がっていったのを鬼嶋は、目の端に確かに捉えた。

唐突に響いた激しい音に流石の恭夜も飛び起き、部屋の有り様を目にした瞬間仰天した様に「はぁ!!??」と叫んだ。睡眠を邪魔された事への苛立ちもあったのか、普段の数倍の迫力であった。
その視線が腕から垂れる血をぱちくりと眺める鬼嶋を捉え、次いで自身の机の前にあった窓ガラスが、派手に割れているのを見付ける。
意味の分からない状況に、再び唖然としながらも恭夜は「…はぁあぁ!?」と声を絞り出した。最悪の目覚めだ。心臓が未だにドクドクと煩かった、目覚ましにしては刺激的過ぎる。
死んだ、と一瞬本気で思ったと、恭夜は冗談抜きで考えた。
ついでにお気に入りの本に破片が突き刺さっているのを、彼は見ないふりをした。見たらキレそうだったからである。
朝から頭痛がするってのはどういう事なんだと心中で吐き出しつつ、とにもかくにも状況を把握しようと、恭夜は床に目線をやっている鬼嶋の方に顔を向けた。


「…何で、窓が…割れたんだ、おい」
「………俺じゃない」


自身の質問に呟く様に返した後、窓に近付き外を覗き込む鬼嶋の背中に恭夜は顔をしかめ、次いで大きな溜め息をついた。真面目な顔で外をじっと見つめる彼の襟首をぐい、と掴み、部屋の外へと歩き出す。
振り返った鬼嶋が不満げな顔をしているのを横目に見て、呆れ顔を隠さずに言った。

「…別にお前がやったとは思ってねぇよ。怪我してんだろ、手当だバカが。血ダラダラ流しながら動き回ってんじゃねー。見てるこっちが痛いわ」
「……痛くねぇ」
「痛いっつってんだろこのど阿呆、黙ってついてこい。くそ、何なんだよ胸糞悪ィ…近所の悪がきか?」

ぶつくさ良いながら彼の服から手を離し、自身の髪の毛をガシガシと掻き上げて、階段を下りていく恭夜。
その後ろ姿に瞳を瞬かせつつもとりあえずはついていこうとし、その前に鬼嶋は一度部屋の中を振り返った。


無惨に割れた窓ガラス。
パタパタと風に翻るカーテンのその向こうから、微かにバイクが去っていく様な音が、聞こえてきた気がした。




****




「あ、ちょっと恭夜、なんなのさっきの音。まさかアンタ起きたく無いからって暴れたんじゃないでしょうね」
「…俺じゃねぇよ、それより救急箱。鬼嶋が怪我した」
「あらやだホント?どこにしまってあったかしら、ちょっと待ちなさい」

鬼嶋がのっそりと階下へと下りていくと、恭夜と花代のそんな会話とパタパタスリッパが床を擦る音が耳に届いてきた。リビングに入れば恭夜が眉間に皺を寄せながら、ニュースの流れるテレビを何となしに見ているのが目に映る。
鬼嶋に気が付いた恭夜はこちらに顔を向けると、不機嫌な表情のままこっちに来い、と顎で示した。どうやらあんな音で起こされたのが本当にご立腹らしい。何時もより刺々しい言い方だ。
常人からすれば唐突に家の窓ガラスを割られたのだから普通腹を立てる前にもっと慌てるのでは無いかと思うだろうが、生憎と言うか幸運な事にと言うべきか、恭夜はもう生半可な事じゃあ動揺しなくなる程の濃い時間を、学園で送っていたのである。

姿の見えなかった犯人への呪いの様な文句をぶつぶつ呟きつつ、恭夜は鬼嶋の腕から流れる血を乱暴に拭き取り、消毒液を思いきり振り掛けた。
救急箱を取りに行っていた花代がそれを見て、思わず呆れた様な声を出す。

「…アンタもうちょっと丁寧に見てあげなさいよ、やだわー手当てもろくに出来ないなんて恥ずかしい。鬼嶋君見せなさい、包帯巻いてあげるわ」
「手当てする機会なんてそうそうねぇんだから仕方ないだろ…ガラス入ってねぇか、鬼嶋。痛いとこは」
「………ねぇ」

ゆっくりと首を横に振る鬼嶋に恭夜は一瞬の間を空けて、軽く頷いた。痛覚があるのだろうかと疑ってしまうのも無理は無いほど、彼は無表情だった。
そんな鬼嶋の腕にお世辞にも上手とは言えない手つきで包帯を巻き付けながら、花代が口を開く。
「に、してもどうしたのよ本当。窓ガラスが急に割れるなんて事あるの?」
「知らねぇって…またイタズラじゃねぇの。三件先のクソガキとか」
「……石、」
「…あ?」
「……石が…部屋の中に」
鬼嶋の言葉に恭夜は一層不愉快げな顔をして、盛大に舌打ちをした。
誰だか知らないが随分と幼稚な事をしてくれる。腹が立って仕方がないが、今ここで怒り狂ってもどうにもならない事だ。
前からここらの近所の悪がきは庭に侵入して花を引っこ抜いたりピンポンダッシュをしたりと悪さをしている。今回は少し、おいたが過ぎるように思えたが恭夜は考えるのが面倒になった。如何せん昨日は夜遅くまで勉強していたから眠いのだ。
くそうぜぇな、と心中で呟くもとりあえず苛々するのは止めよう、と恭夜は息を吐き出しながら顔を上げた。と、普段とは少し違う、何かを考えている様な神妙な顔つきをした鬼嶋の顔が目に映る。
珍しい、と思いながらも恭夜は訝しげな顔をし。首を傾げて彼を見やった。

「…どうした?鬼嶋。痛ぇのか、やっぱ」
「…、……何でもねぇ」

首を再び横に振る鬼嶋は、何時もの彼に見えた。花代が包帯を巻き終わった瞬間に朝飯、とお腹をぐぅぅと鳴らしながら言う。
一瞬にして気の抜けた恭夜は思わず苦笑いを浮かべて、とりあえずは飯を食べるかと台所に足を踏み出した。








―――そんな御堂島家の様子を、双眼鏡で覗く影が、三つ。


「……挨拶代わりにしちゃあ、やり過ぎな気もするけどなァ…つか、あっちの反応うっす。全然うろたえてねェ。千羽さん不満なんじゃねェっスか」
「千羽さん容量広いからだぁいじょーぶ!つーかあれ、鬼嶋怪我したし?あの鬼嶋が!千羽さんも喜ぶっしょ、なぁトモ!」
「テル、それ言うなら心広い。容量って電気機器になるから」

後ろの通常運転であるテルトモ漫才を聞き流しつつ、風間は双眼鏡から目を離した。リビングの様子は肉眼でも分かる。が、恭夜の部屋はここから斜め先にある為に、別の蛇琵出のメンバーが石を中に投げ込んだ時の様子は、余りよく分からなかった。
だが確かに宣戦布告とでも言える様な役目は果たした筈である。鬼嶋は単細胞ではあるが、こういう事にはよく気が付く。




(……怪我で、喜ぶ、ねェ)




心中でそう呟き、風間は眉間に微かに皺を寄せて歪んだ笑みを、その口元に浮かべた。

―――くそったれだ。

何かに向かってそう、毒吐きながら。






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