人生は選択だ。

今俺がすべき事はどれか、
@鬼嶋を捕獲する・A母親を黙らせる・Bとりあえずここから逃げる。どれだ。全部不可能な気がしてならない、この言う事をてんで聞かない二人の自由人を制御する事は俺には無理なんじゃないか…もうBにするか。さっさと逃げるか。
なんて感じに現実逃避をしかけた自分を必死で押さえ込み、俺はとりあえず馬鹿二人の方に向き直る事にした。
鬼嶋が自分から名前を言うことは無いに決まっている。なら、俺が言うしかない。言わなきゃ母さんは納得しないだろう…面倒な人間だ。
溜め息混じりに愉快犯――もとい母さんに近付き、小声で俺は奴に耳打ちをした。


「…母さん、名前は聞くなって言ったろ。鬼嶋遥だよ、アイツ自分の名前嫌いなんだからあんま刺激すん、」
「気に入らないわね!」


一ミリも俺と目を合わさずにそう突然言い放ち俺の言葉を遮った母親に、思わずは?と間抜けな声を出してしまった。未だ母さんと対峙する形で立っている鬼嶋も、いきなり大きな声を出した彼女に目を瞬かせている。
そんな俺達の事など一切気にせず、何故か母さんは俺を睨み付ける様にキッと一瞥すると、そのまま踵を返してカツカツと家の中に入っていった。ただそれだけなのに様になるのは流石、といったところか。

残された俺と鬼嶋は唖然としながらもゆっくりと顔を見合わせ、―――何とも言えない気持ちで荷物を背負って、家の中に入った。




「これを見なさい!」

バッバーン。
そんな感じのド派手な効果音が似合いそうな勢いで、母さんは俺達がリビングに入ってきた瞬間、何かを机の上に叩き付けた。
何なんだ本当に、と意味の分からない自分の母親に少々げんなりしながらも机の上を見やる。鬼嶋もゆるく首を傾げつつ俺の後ろからひょっこりと顔を出して、そこを覗き込んだ。
そこに、あったのは。



「………写真………?」



独り言の様な言葉がもれ、それに母さんはそうよ!と何故だか偉そうに答えて仁王立ちをする。机の上に置かれていたのは、空を映した写真だった。

―――淡い水色と濃い藍色、微かに入り交じる橙色とが織り交ぜられた、綺麗な空。深みのある、それでいて澄んだ光景。言葉や絵では表す事が出来ないだろうその美しさに、思わず少しばかり見入ってしまう。

と、その時横からゆっくりと手が伸びてきて、机に置かれていた写真をおもむろに手にとった。そのままじっとそれを興味深げに見つめる鬼嶋に目を瞬かせ、気に入ったのか、と声を掛けようとするが母親に先を越される。


「それはね、私が撮ったのよ。とっても綺麗でしょう?……題名はね、『遥か』ってつけたのよ」
「…、………はる…か?」
「えぇ、そう。遥か遠くまで続く空を思って、その題名をつけたの。撮った時は本当に感動してね、パパにも何度も見せて…良い題名だって言ってくれたわ。鬼嶋君、分かるかしら。名前って言うのはね、大事なものにしかつけないの。一生懸命考えてつけるものなのよ」
「……」


―――その言葉に、鬼嶋の眉間に僅かに皺が寄った。怒っていると言うよりは、気まずく思っている様な感じだ。初めて見る、表情。
彼が自身の名前を嫌う理由を深く聞いた事は無いが、まあアレだ。女っぽいから、とかそんな理由だと思う。確信は持てないがな。
今まで彼に名前の事で説教をする奴なんて居なかったのか、鬼嶋はたじたじとしつつ母さんを見ている。…あの鬼嶋を黙らせるとは、自分の母親ながらやるな、母さん。

なんて事を俺が思っているなんて知らず、母さんは口元に微笑を浮かべ、鬼嶋を見つめながら口を開いた。



「鬼嶋君、貴方が嫌いだというその名前はね、貴方を大事に思う人がつけた名前よ。嫌いだから名乗らない、呼ばれたくない、なんて寂しい事を言わないで頂戴。貴方の大事な人がつけたその大事な名前を、貴方の好きな人に呼ばせてあげてね」



私が言いたいのはそれだけよ、と言いながら、母さんはにっこりと笑う。気に入らない事があるとはっきり言う彼女らしい口調で。
中々に良いことを言うじゃねぇか、と一瞬思ったが確か俺の名前の由来はどっかの母さんが尊敬する写真家の名前を一文字貰って後は適当、と言われた気が…。…彼女の考えている事は、よく分からねぇ。

鬼嶋は何やら考えつつしばしの間写真を見つめて黙っていたが、不意にゆっくりと頷いた。キレやすいが決して頑固では無い鬼嶋は恐らく、納得したんだろう。風間よりはよっぽど扱いやすい人間だ。
それに母さんはよし、と満足げに笑って、鬼嶋の持っていた写真を指差す。
「それ、気に入ったんならあげるわ。大事にしてね、私のお気に入りよ」
「………」
こくり、彼女の言葉に一つ小さく頷くと、鬼嶋は写真を服の内ポケットにしまった。その手付きが存外大切なものを扱うかの様に優しく、失礼だが思わず固まる。…そんな事も出来んのかお前、意外だ。
と、その後奴はぐるりとこちらに顔を向けて、俺をジッと見つめてきた。真面目な顔つきで、そのまま何かを目で訴えてくる。……悪いが、分からん。

「……何だ、きじ」
「遥」
「…………は?」

ぽかん。
鬼嶋、と呼びかけたのを途中で遮られて、思わずまじまじと奴の顔を見てしまう。この流れでその名前……妙な悪寒がするのはきっと、気のせいじゃないんだろう、な。
クソ真面目な顔でこちらを凝視してくる鬼嶋に、俺は恐る恐る、といった口調でゆっくりと声を発した。


「……お前……まさか、…俺に名前で呼べって、…言ってんのか?」
「………」


俺の問いに鬼嶋は、無言のまま事も無げに頷いた。……何でそうなるんだ……勘弁しろよ。
元凶である母さんはあらあらそういう関係だったの、とにやにやしながら事の成り行きを見守っている。うぜぇ!
どうしたもんか、と考えながらも溜め息を吐き出し、俺は鬼嶋に再び目線をやった。せっかく自分の名前を誰かに呼ばせても良いと思える様になったのに、ここで俺がスパッと断るのはいかがなものか。…何で俺なのか、理解不能だが。


「……俺が、お前を名前で、呼ぶんだな?本当に呼んで欲しいのか?鬼嶋。さっきの話聞いてたか、ちゃんと?好きな人に呼んで貰うんだぜ」
「……?……アンタは別に、好きだ」
「………そーかい」


何度も確認する俺に首を傾げて、奴はあっさりとそう言った。他意は無いだろうが、ストレートに言われると戸惑うな結構。ちょ、母さんが横でキャーキャー言ってるが、うるせぇマジで。
黒井の鬼嶋が俺になついている、と言っていた言葉を思い出す。何を訳の分からねぇ事を言ってんだとあん時は思ったが、確かにあの最強不良に名前で呼んで欲しいと言われる日がくるとはな…俺も凄い。何をしたんだ、自分。分からない。
とにもかくにも俺は折れるという事以外に、道は無いらしい。別に良いんだが、何だか……何だかな、という気分だ。複雑だ。


「…わーったよ、でも何時もだと何かこう…気まずいから、二人の時なら呼んでやる。良いな、きじ……は、遥」
「………」


こくり、満足げに頷いたのを見てホッとする。皆の前で呼べなんて言われたらどうしようかと思ったな、いや、嫌な訳じゃあ無いが騒がれるに決まっている。しかし彼を遥、と呼ぶのに大いに違和感を感じるし、後おまけに母さんの目線が突き刺さってきて居心地が悪すぎる。
さっさとこの場から離れようと、俺は調子を変えつつ鬼嶋の背中を押して、口を開いた。


「部屋、部屋行くぞ。母さん、晩飯になったら呼べよ」
「あらやだ、偉そうなのは変わらないのねアンタ。良いわよ、鬼嶋君といちゃいちゃしてなさい。のろけてくれちゃってまー、私はてっきり南君と結婚するのかと思ってたわあ」
「いちゃいちゃしてねぇしのろけてもいねぇし南とはそんなんじゃねぇし日本じゃ男同士で結婚出来ねぇし!おぞましい勘違いの連続を止めろ!!」
「はいはい、もーうっさい子ね。誰に似たのかしら全く」


ぶつぶつ言う母さんの声を背中で聞きつつも無視し、階段をさっさと上る。学園がホモ校だと知った時の母さんはそれはもう大爆笑で、俺がいつ彼氏を紹介してくるか楽しみでならないらしい。なんて悪趣味だ。
上りながら溜め息をつきつつ、前を行く鬼嶋に「あんな母親で悪いな、」と独り言の様に言う。

…と、一瞬の間の後、静かに返ってきた言葉は。






「………アンタに、似てる」






―――それから、似てねぇよ!という大きな声が家中に響くのは、5秒後の事。






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