鬼嶋を預かってくれ。

意味不明な言葉を吐いた張本人である黒井は俺が知る限り意味のない冗談なんざは言わない奴で、だとしたらつまり、まぁ先程の言葉は本気の頼みだという事だろう。勘弁してくれと叫びたい。
が、今まで色々と黒井には迷惑を掛けている俺である。心中の思いを押し込めつつこめかみを僅かに押さえ、深く息をついた。
…とりあえず話を聞かない訳には、いかないらしい。


「………何で……鬼嶋を、預からなきゃなんねぇんだ?」
『あぁ、実は今回鬼嶋の家の方が警察とごたついているらしいから、夏休みの間は寮に残ると言っていてな…だが鬼嶋を一人で寮に野放しには出来ないんだ。俺も今年は家の方に帰る事になっているし』
「…いやいやいや、流石にアイツも飯と風呂が出る所で生きていけないなんてこたあ無いだろ」
『無理だ。絶対に、無理だ』


警察とごたついて、の部分が若干気になったがそれよりもきっぱりと断言されて、これを鬼嶋が面と向かって言われたらどう思うかと少々複雑な気分になった。完全に人間扱いされていない気がする。…まぁ、普段の彼を見ていればそうなるのも無理のない話だけれど。
それはまぁさておき、何故絶対に無理なのかと理由を問えば。


『鬼嶋は出されたものならば何でも食べるが、そうしなければ"食べる"という行為さえ忘れる奴だ。夏休みが終わっていたら餓死していた、なんて事になったら洒落にならん。今までは俺が指示をしてきたから何とかなったものの、今回ばかりはどうしようもない』


…スラスラと返された言葉に、頭に痛みを感じた様な気がした。本当に高校2年生とは思えない。
鬼嶋はこの学校を卒業してもただの社会不適合者にしかならないんじゃないか?いや、そもそも卒業出来るんだろうか。よく今まで生きてきたな、アイツ。

「……凄まじいな鬼嶋は……あー…忙しいんだっけか、お前?」
『…あぁ…少しな。家庭教師をつけようと思っているんだ』
「家庭教師だぁ?」

思わずすっとんきょうな声が出た。万年学年1位の秀才野郎が家庭教師。これ以上何を学びたいと言うのか、甚だ疑問だ。むしろお前が家庭教師をやるべきだろ。
とそんな風に唖然としていた時、黒井が少し迷った様に間を空けた後、ぼそりと独り言の様に声を発した。





『…――羽賀大学に、行きたいんだ』





羽賀大学。

言われて直ぐに思い当たったその大学は、日本で医大の最高峰と言われているそれだった。突然の言葉に一瞬言葉を無くし、歩みが止まる。

―――確かに、あの大学に行こうと思うのならば黒井の頭脳を持ってしてでも、大変な努力をしなければ難しいに違いない。其れほどまでに羽賀大学の偏差値は高いし、試験も難問だ。
こんな金持ち大学で、そんな難関大学を選ぶ奴なんざ極稀だろう。……だが彼はそれを、やろうとしている。

宝城学園の名があれば、推薦でもそこそこの所には行ける為に大学受験をしようという人間は数少ない。エスカレーター式に行ける付属の大学もかなりの偏差値を誇っているから、そちらを選ぶ生徒も多い筈だ。
その中で医大、ましてや羽賀大学なんて高みを目指す人間がいるとは思わなかった。素直に驚き、そして―――すげぇなと、柄にも無く思った。

将来への目標を、ちゃんと自分の中に持っている事が。それに向けて頑張ろうと、しているところが。


「…医者に、なりてぇのか?」
『……そうだな、いつかはそうなりたいと思う。まだ分からないが……少なくとも今年の夏は、勉強で精一杯だろう。私事で済まないが、そういう訳なんだ。他に鬼嶋がなついている人間もいない、頼まれてくれないか』


なついている、と言われて首を曲げそうになった。鬼嶋が俺に。どこをどう見たらそう思えるのか分からないが、アイツの知り合いと言う点では黒井の次に候補に上がるのは俺なのかも知れない。風間?無しだろう。
両親の顔を思い浮かべながら、俺は小さく息をついた。適当に生きているあの二人ならば、一人預かるの位に文句は言わないだろう。まぁ、鬼嶋なんだが。普通の人間とは違うんだが。

もうどうにでもなれ、と半ばやけくその様な心境で、携帯を握り直す。
鬼嶋と夏休み中ずっと一緒にいなければならないなんて考えるだけで精神が削がれる様な気がしたが、それよりも黒井の夢を、応援したいと思った。



「―――分かった、引き受ける。…確かに返ってきたら寮が半壊だった、って事にもなりかねねぇしな、仕方ねぇか…任せろ」
『…本当か?すまない、お前も受験なのに無理を言って』
「は、俺の受験校はお前みたいに偏差値がバカ高い訳でもねぇし、この前の模試でとりあえずはA判定だったからまぁ、んな切羽詰まってねぇよ。気にすんな。――それより、この俺に頼み事をしたんだ。ちゃんとその分、勉強しろよ」
『……あぁ、そうだな』



ふ、と電話口の向こう側で、黒井が微かに笑った気配がした。つられて俺も口元を緩め、それじゃあ詳しい事は後でとひとまず電話を切る。
黒くなった携帯のディスプレイを数秒間眺めてから、俺はそれを尻ポケットに滑り込ませ、歩き始めた。



夢。
この年になってしまえば妙にむず痒く感じる様な響きを持つそれを、俺は明確には持っていない。そしてその事を恥じたり、焦ったりもしていない。そういうもんはそれぞれ、好きな時に見つければ良いと思う。
だが、実際に夢を持ち、それを叶えようとしている人間を見るのはひどく、気持ちが良かった。


(………医者、ねぇ)



数年後には、アイツも白衣を着て周りから先生、なんて呼ばれているんだろうか。
想像したその格好の似合わなさに思わず一人喉で笑いながら、俺は生徒会室に向かって、ゆっくりと歩き続けた。






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