使命 初めから、どうも悪い予感がした。 一人で村重どのを説得をしに行きますと言い出した時点で、半兵衛はなにかが起こると悟った。 それを感じて当初は、私もついていきたいとは言ったが官兵衛は断った。 理由は半兵衛が労咳という不治の病で、すでに末期であり、余命いくばくもないということを気遣っての返答だった。そして案の定、彼は有岡城に幽閉された。 「官兵衛が、裏切った」 そんな噂を信じたのか、信長は惑わされ長浜にあった人質を殺せと命じた。人質は官兵衛の子、松寿丸であった。 信長に謁見した秀吉は、なんとか誤解を解こうと話したが彼は聞く耳を持たなかった。 それを秀吉から聞いた半兵衛が、 「では、私が引き受けましょう」 と言って自らの城である菩提山城に帰ったのである。 それから数日が過ぎた。 松寿丸を近習の者に預けると自室にこもり、考え事をした。引き受けましょうとは言ったものの、これからどうするかなんて半兵衛は考えてもいなかった。ただ長浜にいては、いずれ確実に松寿丸は殺される。それを避けるためにはやむを得なかった。 気がつけば外は暗くなっていた。どうやら、うたた寝をしたらしい。背中に妙な暖かさを感じて振り返ると、羽織が一枚かけてあった。 「誰だろう」 辺りを見渡しても、それらしき人物は見当たらない。しかし、しばらくすると物陰からひょこりと子供が現れた。松寿丸であった。 「半兵衛さん」 「松寿くん、ここへ来てはいけないと」 「わかっておりました。けれど、あのままではお身体がさらに悪くなってしまいそうでしたので」 羽織を持ってきてくれたのは松寿丸だった。しかし、どこから持ってきたのかはわからない。大きさからして彼のものではないようだ。 「これは……?」 「父上のものです」 松寿丸いわく、それは人質として長浜へ行く際に父から渡されたものだという。 「どうして、これを私に」 「半兵衛さんはご病気をしてらっしゃるし父上がいなくてつらいだろうなと思いまして」 今まさに命の危機が迫っているというのに、松寿丸は暗い顔一つ見せず、機転を利かせて羽織を持ってきてくれた。そんなところが愛しい男によく似ていた。 「父上は必ず帰ってきて下さいます。半兵衛さんのために」 「そうだね。ならば、松寿くん。まだ私には、果たさなくてはいけない使命があるみたいだ」 「使命……ですか?」 「そう。松寿くんを、命懸けで守りぬくという使命」 信長でも、秀吉でもなく、おそらくは天から与えられたものだと半兵衛は思っている。不治の病に冒された身でできる残りわずかな仕事であった。 「もう外へ行きなされ。ここにいては、君にもこの病がうつってしまう」 半兵衛は松寿丸に部屋から出るよう言い聞かせた。部屋を出る前に彼は背をむけたまま、 「毎日、会いにきますからね。半兵衛さんのご病気が治るまで」 とだけ言い残して静かに退室した。 翌日から松寿丸は言った通りに毎日、半兵衛のもとを訪れた。最初は病がうつることを心配していたが、頑強なのか幸いにも彼に感染することはなかった。それでも半兵衛は極力、離れて話すように言った。 「松寿くんはなぜ、毎日私のところにくるの」 「半兵衛さんを励ますためです」 「私を?」 「はい。半兵衛さんのご使命が松寿を守るというのであれば、松寿も父上が戻るまで半兵衛さんを守って励まし、勇気づけたいのです」 「ありがとう。でも、私が患ってるのは命にかかわる重い病気なんだ。だから、もう絶対ここにきてはいけないよ」 半兵衛に嫌われたとは思わなかった。けれどなぜか目からは、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちている。 「こ、これは別に嫌いとかそういう意味じゃなくて」 「知ってます」 「じゃあ、なんで泣いてるの?」 「松寿にもよく分からないのです。でも、なんだか怖くて」 松寿丸が声を上げて泣いたのを見たのは、初めてだった。 泣き崩れる小さな背中をぽんぽんと優しく叩き、胸にきゅっとその頭を押しつける。呼吸をするたびに、胸に刺すような痛みと息苦しさを覚えたが、そんなことにはもはや慣れてしまった。 今は愛しい男の血を引いた、この子供を守ろうという気持ちだけが半兵衛の生きたいという思いを強くしている。 その晩、半兵衛は密かに城を出て西へと向かったまま帰ってこなくなった。 松寿丸がふと目を覚ますと、かたわらに兜と一通の手紙が残されていた。手紙の内容はこれを形見として遺すから強く生きなさい、というようなものであった。彼はついに、命の恩人へ礼を言うことができなかった。 2009.8.23 了 |