きみの瞳は海の色

ふらふらと屋敷に帰ってきたのは深夜のこと。
普段はどんなに遅くとも夕餉までには帰る官兵衛が、珍しくこんな時間になるとは思わず、出迎えた半兵衛は思わず目を丸くした。

「どうしたの」
「ごめん。それがし、ちょっとぉ」

真面目な彼にしては、少し呂律の回らない口調で半兵衛の顔を見るやいなや、官兵衛はその薄い胸に倒れ込む。彼が好んで着る藤色の小袖からは鼻をつくようなにおい。ああ、これは間違いない。半兵衛は確信した。

「官兵衛、飲んだね」
「なんのことぉ?」
「とぼけても無駄だよ」

半兵衛はため息をひとつつく。思えば日が暮れるころ、黙ってひとりで出かけていったのはこのためだったのであろう。しかし、官兵衛は自他共に認める下戸だ。自らの意思で飲みの場に赴くとは考えにくい。となると、断りづらい相手から誘われたに違いない。しかも、官兵衛が下戸であることを知っている人物だ。それがふたりの主だということを、半兵衛が察するまでに時間はかからなかった。

「秀吉さまもひどいお方だな」
「ふへへ、でも美味しかったよぉ。はんべえにも飲ませたいくらい」
「もう……反省してよ。自力で帰ってこれたのが不思議なくらいなのに」
「はあい」

少し呆れつつも、官兵衛が無事で良かったと半兵衛はひと安心した。屋敷は町の中にあるとはいえ、夜更けにひとり。それも酒に酔った武士が歩いているとなれば。

「悪い人に襲われたらどうすんのさ」
「ひっく……らぁいじょーぶ、だよぉ」

ほんのりと赤ら顔で、舌足らずな恋人は可愛い。いや、可愛いからこそ余計に心配になる。素面の姿が真面目だから尚更だ。このような姿は主にすら見せられまいと半兵衛は思った。今後は気をつけるようにと注意を促し、褥の準備をしなければと動こうとしたときだった。

「はんべえ」

官兵衛の両腕がゆっくりと半兵衛の頬に伸びる。やがてふたつの掌が、そっと顔を包み込むように触れた。身体が火照っているのか、それはいつもより温かい。その上、蕩けたような双眸でじっと見つめられ、だんだんと半兵衛は恥ずかしさに目線を逸らしたくなった。

「……きれいだな」
「えっ」
「はんべえの目、とてもきれいだなって。播磨の海を思い出すようだ」
「は、ええ……?」

その後も官兵衛は一頻り半兵衛を口説いたあと、再び胸の中に凭れ掛かると突然、睡魔に襲われたのかすうすうと寝息をたて始めた。これまでに見たことない恋人の様子。その姿に戸惑いながらも、すこしの酒でこんなにも甘える姿が見られるのならば、それも悪くはないとさえ思えてきた。

2024.6.23 了
[前へ] [次へ]



- ナノ -