ふたり、ひとつき

朝早くから廊下を走る音に長政は目を覚ました。長政は生来、朝に弱く寝起きが悪い。その上、大声で呼ばれているのだから、たまったもんじゃない。
つらい体を起こして注意をしにいこうとしたのだが、しばらくするとその声はぴたりとやみ、なにごともなかったかのように静かになった。

「なんなんだ」

体を起こして、ふと障子の方を見ると人影が一つうつっている。

「誰だ」
「松寿、僕だよ」
「吉助?」

人影はこくりとうなずくと、入ってもいいかと聞いてきた。
相手が幼なじみとはいえ、身支度もせずに顔を合わせることはできないので支度が終わるまでの間、待ってもらうことにした。
数分後。
身支度の終わった長政は障子を開けて重門を中に入れてやった。

「朝から元気だな。吉助は」
「うん。でも松寿は朝、苦手なんだっけ。こんな朝早くからきちゃって悪かったね」
「別にかまわないよ」

重門の調子にいまいちついていけずにいる長政だが、ひとまず部屋で彼をもてなすことにした。

「それで、今回も重利さんに黙ってきたの?」
「ううん。今回は官兵衛どのに呼ばれてきたんだ」
「父上に?」

官兵衛みずから、重門をわざわざ中津に呼ぶとは珍しい。
もともと父の考えていることは長政にもあまり理解できないが、今回の件については目的もなにもかも本当にわからない。
そこへ、たまたま官兵衛が通りかかったのだった。

「きてくれたんだね。重門君」
「お久しぶりです」
「あいかわらず、元気にしてるみたいで安心したぞ。
ところで長政、そちはなにをそんなに真剣に考えておる」
「父上が吉助をお呼びになった件についてです。なにゆえ、またこのような時期に」
「知りたいか。よかろう、教えてやる」

それは重門を長政の嫁に迎えるためだと官兵衛は言う。
その言葉に長政も重門も驚愕した。

「よ……嫁!?父上、正気でございますか」
「もちろん。今は亡き半兵衛も、この世に遺した我が子が幼なじみであるお前の嫁となることを望んでるだろうし」
「いや、絶対望んでませんって!第一、吉助もおれも男ですぞ!」

顔を紅潮させながら話す長政と下をむいてしまっている重門を見て、さすがに頃合いかと思った官兵衛は本当のことを話し始めた。

「……と、ただ言ってみたかっただけだ。気にするでない。本当は重利どのに急用ができたから、それがすむまで重門君をお前に預かってほしいと頼まれたのだ」
「吉助はもう幼子ではありませぬ。屋敷に一人でいることくらい、苦にならないでしょうに」
「そうかもしれんが、あの重利どののことだ。少しでも重門君になにかあったときは、ただごとではすまないだろうからな」

重利は官兵衛をしのぐほどの心配性で、いとこの半兵衛の生前から重門に対しては過保護なくらいであった。
それは今でも変わらないため、重門はなかなか遠出を許して貰えずにいる。
だから彼にとって遠く離れた中津で暮らす長政に会いにくることが、なにより嬉しくてしかたがないのだ。

「それじゃあ、あとは頼んだぞ長政。期間は今日からひと月だそうだ。しっかり面倒見てあげるんだよ」

父が去ったあとも長政は、にわかには信じがたかった。
まさか幼なじみとひと月も一緒に暮らすことになろうとは正直、思いもしなかったからだ。
幼いころから、親しくしてきたとはいえ長政はなんだか恥ずかしくなった。

「それにしても、さっきの父上の冗談はきつかった。おれはてっきり本気かと思ったよ」
「官兵衛どのも変わられたね。数年前まで、父上のことを引きずってたのに」
「まあな」
「今はたぶん、松寿のことでいっぱいなんだろうけどね」

重門の冗談にまたしても長政の顔は紅潮する。そして、なにを勘違いしたのか勝手に妄想を始めた。

「ち、父上はそんな、おれのことなんて」
「あれ?そんなつもりで言ったんじゃなかったんだけどなあ」

笑いながら反応を面白がる重門を、長政は初めて恐いと思えた。さすが、半兵衛さんの子だ。重門の父、半兵衛もたびたび官兵衛に冗談を言っては困らせていたと聞くから、やはり親子なのだろうと長政は改めて思った。

「時に松寿。もし、官兵衛どのの冗談が本当で僕が松寿のお嫁さんになるとしたらどうする?」
「えっ」

先ほどからのほとぼりがさめず、まだ高ぶった感情と鼓動がおさまらない長政には、まさに不意打ちとも言えよう言葉だった。

「そ、それは」
「あっ、無理して言わなくてもいいよ。松寿が僕を好きでいてくれれば、それで十分だし」

言葉にしたいのに、なぜかできない。
そんな思いが彼を徐々に駆り立て、遂には行動を起こしてしまった。
長政は重門を壁に押しつけて口を吸う。
だが、彼はそのことに特に驚きもしなければ嫌がる様子もなかった。

「なぜ、平気だ。おれなんかに唇を奪われても」
「だって、決まってるでしょ。松寿が……長政が好きだからだよ。できることなら、本当に僕がお嫁さんになりたいくらい」

そう言って長政の背中に手をまわし、今度は重門の方から迫り、一度離した唇を再度重ねる。
やはり半兵衛さんと吉助にはかなわない。
唇を重ねながら長政はつかの間のひとときを過ごしていた。

2009.6.30 了
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