泣いたっていいよ

まるで悪夢を見ているかのようだった。
薄暗い部屋の中で、十助はおそらくこの世で一番嫌っているであろう斎藤飛騨守という男に押し倒され、半ば強引に両脚を開かれた。昨晩のことである。
みずからが仕える竹中半兵衛とその主君で、飛騨守の直属のあるじでもある斎藤龍興との和解を取次ぐためと誘われ、しかたなく彼の屋敷を訪れた。
今思えば、その行動がそもそもの間違いだった。

飛騨守は和解と偽って十助を屋敷に呼び、一室に閉じ込めて衣服を剥ぎ取ると、思うがままに十助の体をまさぐった。飛騨守に抱かれるのは、なにも昨晩がはじめてではない。一度目は飛騨守に借りていた小袖を返したときであった。そのときも突然、手籠めにされた。

今回も十助は終始、恐怖感で震えていた。なにしろ、この男のものは大きい。経験に乏しい十助の体にはどうしても、いれるまでに苦労する。簡単には入らないからこそ、飛騨守にはそれなりの腕前が求められる。それにくわえて、体内に入ったときの快感がたまらないのだと飛騨守はいう。飛騨守はすでに十助の体に夢中なのである。最近では人目も忍ばず、明るいうちでも十助を抱きにくる。

人々はおそらく不審に思っているだろう。
半兵衛と龍興は主従でありながら、非常に不仲なのである。その龍興の側近がこのように半兵衛の家臣に夢中になっているのだから、それも無理はない。
いくら隠れて体を重ねているとはいえ、このままでは半兵衛や龍興に知られるのは時間の問題である。しかし、そんなことを少しも考えない飛騨守という男は、今も裸のまま十助の隣で気持ちよさそうに寝息をたてている。

「……最悪だ」

よからぬことをしているとはわかっている。
だが、そうは思っていてもこの男に体を求められ、拒むこともできず体内に幾度も精を放たせてしまった。男同士ゆえに、孕むことはないとはいえ十助はこわかった。こんなところを半兵衛さまに見られたら、とおもうと背筋が凍るような思いがした。

逃げよう。逃げなければ。十助は腹をきめた。今日こそはこの男のもとから逃げて金輪際、関係をたたねばならぬ。
華奢な体には、行為のあとも痛みが残っているが十助は出せるかぎりの力をふりしぼり、布団を抜け出そうとした。しかし、腰から下が動かない。いやな予感がした。掌でそっと触れてみると案の定、そこは飛騨守に抱かれていた。

「どこ行くの」

耳元で囁く声が聞こえた。狸寝入りだったか、と十助はおもった。

「庭へ。外の空気が吸いたいのです」
「こんなに早くに?」
「はい」
「だめ。もうすこし、ここにいてよ」

飛騨守は腕に力をいれ、十助を離すまいと強く抱きしめた。二人の体は密着し、十助の臀部に飛騨守の下腹があたる。昨晩、あれだけ精を放ったにもかかわらず、それは早朝からまるで閨事の最中のような硬さを保っている。

「……ひっ」
「そんな声出されると、ちょっとかなしいなあ。おれと十助どのはあんなに睦み合った仲なのにさ」

すりすりと擦り付けられ、もう一回と耳元で囁かれた。この男は興奮している。おのれの華奢な体に。背中にひどい寒気がする。ふと体を見ると、襦袢も下帯もつけていない。昨晩のいとなみのあと、そのまま眠りについてしまったらしい。
今、飛騨守がその気になれば、後ろから突かれてしまう。あのようなものを、また最奥まで挿入られるのかと思うと体の震えがとまらない。

「こんなに震えちゃって。かわいいね」

いつの間にか、飛騨守は片手を十助の胸の位置に移していた。十助の平たい胸についた小さな突起を、指先で摘んで弄る。それとほぼ同時に項へ唇を落とした。吸われた部分に赤いあざができ、それが十助の不安をさらにあおる。

「ひ、飛騨守どの。それはいやです」
「どうして?これは、おれが十助どのを愛している証だよ」
「わかっております。でも、そのようなところにあとを残されてたら」

十助は行為のあとを残されることを、ひどく嫌がっていた。にもかかわらず、飛騨守はいつも十助の首筋に赤いあざをつける。当然、十助はとても不愉快になった。

「最低ですね」

少し怒ったような口調で十助がいう。
そして、後ろからまわされた飛騨守の片腕に思いきり爪をたてた。
その痛みに、飛騨守は短く声を上げ思わず腕を離した。爪をたてられた腕には、うっすらと血がにじんでいる。一方、飛騨守から解放された十助は残ったほんの僅かな力をふりしぼって布団から抜け出した。
枕元にあった襦袢を纏い、そのまま部屋を駆け出た。退室する前に、飛騨守がなにか言っていたような気もする。だが、十助は思い出したくもなかった。
外の風は思いのほか、ひんやりしていた。
薄い襦袢と帯だけでは真冬でなくても鳥肌が立つ。寒い。十助は体を震わせながら、屋敷の門をくぐった。門をくぐるときに、妙に人の気配を感じた。まさか、とは思ったがその人物と目があった瞬間に不安は消え去った。

「半兵衛さま」

十助はあるじの名を口にした。

「こんなに遅くまで出かけてたの?」
「はい」
「その格好からすると、そなた……飛騨守どのに抱かれたね」

もはや、否定することなどできない。十助はいさぎよく首を縦に振った。

「ごめんなさい。それがし、そんなつもりじゃなかったのに」

半兵衛に抱きつき、声を震わせて十助は昨晩からのできごとをすべて話した。すべてを知った半兵衛は、叱ることなく頭をなでながら慰めた。

「こわかったね、十助。でも、もう安心して。私がついてるよ」

そのひとことが、十助の恐怖感を一掃した。
胸の奥から熱い感情がこみ上げ、やがて、それは涙となって目頭のあたりに集中した。十助はその涙があふれないよう、必死におさえた。

「どうしたの」
「なんでもないです。帰りましょう、半兵衛さま。お体が冷えてしまいまする」

生まれつき虚弱な半兵衛を気遣い、その手をとって歩き出そうとしたときだった。
半兵衛は突然、十助を壁に追いつめ左右を両手でふさいだ。逃げ場をなくした十助は以前、同じようなことを飛騨守にされたときを思い出したためか、再び体を小刻みに震わせ目を瞑った。よほどこわい思いをしたのだろう。半兵衛は十助の気持ちを察した。

「思い出させちゃったかな」
「はい。でも、大丈夫です。もう終わったことですし」

気丈にほほえむ十助を見て、半兵衛は思わず距離をぐっと近づけてしまった。そして、やわらかな唇をそっと十助の唇へ寄せたが、その瞬間に両腕で突き放された。

「ごめんなさい、ごめんなさい。それがし、半兵衛さまのことが嫌いじゃないのに。でも、こわいんです。こんな体を、半兵衛さまにさわられることが」

自分の体はすでに汚れている。
とてもじゃないが、まだ初めての交わりを済ませていない半兵衛には触れてほしくない。十助は逃げようとしたが、腕をつかまれて半兵衛のそばへ引き寄せられた。そして、抱きしめられ唇を重ねた。

「十助。私はそなたが汚れてるなんて、一度も思ったことないよ。だから、こうして唇を重ねたんだ」
「半兵衛さま」
「つらいなら、泣いたっていいよ。私はその泣き顔も愛せる」

飛騨守と半兵衛。
二人の男は同じことをしたはずなのに、十助は違うことをされたかのように思った。それから、しばらく十助はあるじの腕の中で泣いた。背中をさする半兵衛の手は、温かくて優しい。

「半兵衛さま、半兵衛さま」

好きですという言葉が喉まで出てきたが言い出せなかった。
この方に相応しいのは、それがしではない。この想いは叶わなくてよいのだ。いつの日かきっと、この方を幸せにしてくださる方が現れる。その方と半兵衛さまの行く末を見守ろう。十助は半兵衛への思いを胸の奥にしまうことにした。

2013.6.8 了
[前へ] [次へ]



- ナノ -