いつか

夜半になるとときどき、ふと思い出すことがある。
それはもう、何年も前のことなのにまるでいま見たばかりのような鮮明な記憶だった。
あの日も今宵のように、月が明るい夜だった。

その日、利安は用事があって陽の高いうちから夜遅くまで主君である官兵衛の屋敷にいた。ようやく用事を済ませて帰ることを官兵衛に伝えるため、その居室にむかい部屋の前で声をかけた。だが、返事はない。遅い時間だから、既におやすみになられているだろうか。そう思い、襖にそっと耳を押し当てる。だが、よく聴こえない。もう一度、声をかけるがやはり返事はなかった。

そこで、少しためらったが襖をわずかに開けてみた。灯りはついている。襖の隙間から室内をそっと窺うと、主君が何者かの上になっている。下にいるのは、おそらく主君が愛してやまぬ恋仲の男であろう。その口から発せられる声は、普段の姿からは想像もつかないほどに艶めかしい。

二人がなにをしているのかは、利安の目からははっきりとは見えない。だが、おおかた想像はできている。相思相愛の恋人同士なら当たり前のことなのだろう。それは異性でも同性でも変わらない。しかし、利安はすこしくやしかった。
官兵衛さまにもっとも愛されているのは、紛れもなくこのおれだと思っていた。けれど、官兵衛さまはおれよりも竹中どののことを愛していた。結局、すべておれの思いこみにすぎなかった。利安は半兵衛をうらやましく思いながら、二人に気づかれぬうちに、その場を去った。
それ以来、月の美しい夜になるといつもあのとき見た光景が脳裏をよぎる。

「にいさま、にいさま」

ふと、呼びかけられて我にかえる。義兄弟の契りを結んだ母里太兵衛の声であった。

「どうしたのですか。ぼーっとして」
「いや、なんでもない」
「本当にそうですかね。ここのところ、にいさまはあまり元気がないように見受けられますが」

熱でもあるのでは、といって太兵衛が顔を近づける。二人の額がぴたりとくっついた。

「や、やめろ。熱などない」

思わず太兵衛を突き放してしまった。
本当は、そのようなつもりなどなかったのに。利安はこわかった。この義弟を愛しているがゆえに、その気にさせられたら、押し倒してしまうのではないかということが。万が一、彼が拒まなければ間違いなくおれは義理とはいえ弟を抱いてしまうことになる。おそらく竹中どのからの誘いを拒めなかったであろう、あの日の主君のように。

「今宵はもう寝る。万助、そなたもはやく帰れ」

太兵衛に背をむけて床に就こうとすると、後ろからぎゅっと抱きつかれた。脈があがり、胸の奥が苦しくなった。

「わたしは知っておりますよ。にいさまがわたしにいだく思いも。わたしのことを思って、それを抑えていることも」
「そ、そのようなこと、」
「隠しても無駄です。にいさまは顔に出やすいのですから」

太兵衛はにこり、と笑った。

「にいさま、もう我慢しなくていいのですよ。わたしも同じ気持ちですので」

利安の背中から離れると今度は目の前に座り、くちづけをねだる。ねだられるがままに、その愛らしい桜色の唇に、この日はじめてくちづけをした。やわらかなこの感触を、あるじと彼の愛したひとも味わったのだろうか。

抱き寄せて、さらに奥深くまで味わうとそっと唇をはなした。目を開けたときには、愛しい義弟が顔をじっと見つめていた。その瞳は妙に色っぽく感じた。利安は両腕で、強く太兵衛の体を強く抱きしめる。

「ふふ、どうしたのですか?にいさま」
「万助。おれはそなたが好きだ。しかし、おれはこういうことにはまだ不器用だから、そなたに気持ちをきちんと伝えられぬこともある。こんなおれでも、変わらずに好いてくれるか」
「はい。これからも、ずっと」

太兵衛と向かい合った状態で、利安は褥の上に横になった。両腕で抱きしめた義弟は、ほんのりと頬を赤く染めながらもその体に身をぴたりと寄せた。

「にいさま。抱いてくだされ」

利安は耳を疑った。
抱いてくだされとはつまり、体を求めているのである。利安が太兵衛を愛する以上に、太兵衛は利安を愛していた。その証拠に、みずから抱かれることを望んでいる。

「ま、待て。万助、そなた正気か」
「はい。正気でございます。わたしはこの体を、早くにいさまに捧げたい」
「気持ちはわかる。おれも万助を愛しているし、抱きたいと思うことも少なくない。しかし、まだそのときではない」
「なにゆえ」
「今のおれは未熟者だ。どんなにそなたを愛していても、床の上でそなたを満足させられるほどの自信がない。うまくいかず、傷つけてしまうかもしれぬ。もう少しだけ、待ってくれぬか」

悪気はないのだとはわかっていた。
だが、それでも、義兄の言葉に太兵衛はすこし表情を曇らせた。

「ごめんね。だけど、約束するよ。いつか、おれが今より立派になったとき、そなたの気持ちにこたえてやるから。それまで、我慢できるか」

なだめるように、優しい口調で言い聞かせる。
いつか、という漠然とした未来の約束ではあるがこの男は、約束をやぶるような人間ではない。いつになるかはわからないが、待ってみよう。太兵衛は義兄の言葉を信じることにした。

2013.4.20 了
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