不本意 主君の様子がどこかおかしい。 利安がそのことに気がついたのは、官兵衛に仕えるようになって十三年目の冬だった。 官兵衛に名付けられた「善助」という名で忠実に仕えてきた少年も、今や立派な青年に成長し、数々の合戦で活躍をみせてきた。そのたびに官兵衛を喜ばせ、若年ながら家中でも頭角をあらわしつつある。まさに今の利安は順風満帆。しあわせの絶頂期にいる。 ただひとつ、気がかりなのは官兵衛の態度であった。 このところ、官兵衛は利安と他の重臣たちでは態度を変えている。それがどういうつもりなのかはわからない。 ただ、官兵衛を不愉快にさせる言動などはしていないため、冷遇されているわけではないことはたしかである。むしろその逆だった。官兵衛はやさしい。とりわけ、近ごろ利安に対してはそれが顕著だ。 他の重臣にも同じようにしているならまだしも、自分だけ必要以上にやさしくされることに、利安はすこしばかり嫌気がさしていた。 この日も官兵衛の妙な態度は続いていた。 普段、官兵衛は利安の屋敷までくることはめったにないのだが、この日はなぜか突然たずねてきた。 「いったい、いかがなさったのですか。官兵衛さまが拙宅にこられるなんて珍しい」 「時間ができたからな」 「今日はおひとりなのですか」 「まあね」 官兵衛は利安の点てた茶を口にする。 「それも珍しいですね。普段は竹中どのとご一緒なのに」 「今日は用事があるとかで、早くに出かけていったんだ。このような日もあるさ」 「おひとりで出かけたことを、心配なさらないのですか」 「善助」 元服してからも官兵衛は利安を善助とよぶ。急に名を呼ばれ、利安は目を丸くした。 「今、某と善助は二人きりなんだぞ」 その言葉にこめられた意味を、利安はなんとなく察した。今だけは、半兵衛のことばかり話してほしくない。官兵衛の思いをくみ取り、利安は頭を下げた。 「申し訳ございませぬ」 利安は床に頭をつけて心から謝った。 その姿を見た官兵衛は、すっと立ち上がり利安のそばに寄る。恐怖感のせいなのだろうか。体がひどく震えている。すると、官兵衛が利安の頭を優しくなでた。 「官兵衛さま?」 「善助、顔をあげて。もう気にしてないから」 うながされて、利安はゆっくりと顔をあげた。そのときである。官兵衛は利安の唇に、みずからのそれを重ねた。ふたつの唇が重なり、気がついたときには利安は官兵衛の腕の中にいた。 「おやめくだされ」 逃げるように、官兵衛の腕からすり抜けた。その瞳には、いつの間にか涙があふれていた。 利安は本意で官兵衛から離れたいのではなかった。本当はもっと濃厚な口づけもしたかった。そのまま、官兵衛に抱かれたいとも思っていた。 だが、利安はその欲望を押し殺した。わかっていたのである。官兵衛も本意ではないこと。 そして、主君がこのような行動に出た理由も。 いま、官兵衛は寂しいのである。 たった半日とはいえ、普段は片時も離れず一緒にいる恋人がひとりで、どこかへ出かけてしまったことが。 その寂しさに耐えきれなくなり、たまたま近くにいた利安に、つい、手を出してしまったのだろう。 官兵衛の寂しさをまぎらすために、体を捧げてもいいと思った。しかし、それでは半兵衛があまりにも不憫である。それに、いっときの感情で子飼いの家臣と交わっては官兵衛も後悔するであろう。 利安は主君とその愛する人を思い、あのような行動に出たのだった。 「官兵衛さま、ごめんなさい。おれ、いやじゃなかったんです。しかし、官兵衛さまと竹中どののことを思うと」 「できない、か」 「はい」 うつむく利安の頭を、官兵衛は再びなでた。 「昔と変わらず、そなたはまことに正直者だな。某はそんな善助が好きだよ」 好きだよ。官兵衛はきっと、その言葉をなにげなく口にしたのかもしれない。 だが、それだけでも利安は十分に嬉しかった。 2013.2.9 了 |