線香花火 城下の小さな町から、にぎやかなお囃子が聞こえはじめた。 ちょうど黄昏のことである。この日は、年に一度だけ行われる夏祭りの日。町に住む人々はもちろん、羽柴家に仕える武士たちにも楽しみにしていた者が少なくない。そのため、朝から家臣の間でもその話で持ち切りだった。なかには、城での仕事を終えてから参加している者もいるほどだという。 おそらく、よほど楽しいものなのであろう。 半兵衛はそういった人々がうらやましくなった。 本当ならば、半兵衛も祭りに参加する予定であった。愛しい人と一緒に。しかし、前日から高い熱を出して寝込んでいるため、とてもじゃないが外へ出ることはできない。そのため屋敷に一人で残って囃子を聞きつつ、祭りの様子を想像しているのである。それは退屈以外のなにものでもない。 こんなことになるならば、無理なんてしなければよかった。みずからの行いを後悔しながら、少し眠りにつこうとした。 そのときだった。 突然、屋敷の中に人の気配を感じた。驚いて起き上がると、室内にはまだ自分しかいない。しかし、足音は確実に一歩ずつ近づいてきている。いま、屋敷には他に誰もいないはずなのに。半兵衛は怖くなって、思わず布団の中へ隠れた。それからしばらくすると、足音が部屋の前でぴたりと止んだ。襖が静かに開く音が聞こえる。 布団をかぶり、背中を丸めた半兵衛はがたがたと身を震わせた。足音のあるじが、半兵衛のそばに腰をおろした。 「どうしたんだ。頭から布団かぶったりして」 布団の上から背中をそっとなでられた。 その声はまぎれもなく、愛しい人のものだった。 半兵衛は布団からゆっくりと顔を出した。 「ただいま。驚かせちゃってごめんな」 「な、なんで、ここに」 「半兵衛のことが、どうしても気がかりになってね。そんなことより、具合はどうだ。よくなったか」 「うん、少しだけ」 その言葉に、官兵衛は安堵した表情をみせた。 「よかった。半兵衛の具合が朝より悪くなってなくて。ずっと心配だったんだ。もし、熱が下がらなかったらどうしようって思って」 「もう、おおげさなんだから」 「ところで半兵衛、これがなんだかわかるか」 官兵衛が懐から出したのは、細長いひらひらとした紙のようなもの。それを半兵衛は、すこし触ってみた。 「こより?」 「正解。でも、普通のこよりじゃないんだよ。それを今から見せてあげるね」 官兵衛は半兵衛を両手で抱き上げると、縁側まで運んだ。まだ病が完全に治っていない半兵衛の体は、わずかに熱い。官兵衛はそんな半兵衛を縁側に、そっとおろした。その体が夜風で冷えないように一枚はおらせると、みずからは庭先で火をおこした。 そして、おこした小さな火をこよりの先端につける。 すると先端から火花が散り、パチパチと盛んに音をたてた。 「わあ、すごい。綺麗だなあ」 「これは線香花火っていうんだよ。この先端に火薬が入ってるから火をつけると、こうして燃えながら光を放つんだ」 「へえ、面白いね。私もやりたい」 「いいよ。火つけてあげるから、落とさないように持ってて」 そして、再びこよりの先端に小さな火がつけられた。 勢いよく火花が散ってパチパチと音がしていたが、それもはじめのうちだけ。しばらくすると、勢いは徐々に弱まり、やがて地面に落ちて消えた。 その様子を見ていた半兵衛は、どこか悲しげな表情になった。 「……消えちゃった」 「線香花火はそういうものなんだよ」 「そうなんだ。なんだか切ないね」 半兵衛は先ほど、線香花火が落ちた場所をまだ見つめている。 「でも、私そういうの嫌いじゃないよ」 かたわらに腰をかけた官兵衛に寄り添い、半兵衛はつぶやいた。そのとき、遠くで不意に大きな音がして、なにかが空高く打ち上がった。 「わっ」 大きな音に恐怖感をいだいた半兵衛は、ひしと官兵衛にしがみついた。よほど怖い思いをしたのだろうか。体はまたひどく震えている。 そんな半兵衛の背中を、官兵衛は優しくさすった。 「怖いものじゃないから目開けてごらん」 言われたとおり、うっすらと目を開けると瞳に映ったのは空に浮かぶ数多の美しい花。その見事なさまに、半兵衛は心を奪われた。 「きれいだなあ。ねぇ、もしかしてあれも」 「そうだよ。打ち上げ花火っていうんだ。この国での歴史は、まだ浅いみたいだけどね」 「やっぱり、官兵衛はそういうことに詳しいなあ。 そうだ、次にお祭りをやる日には二人で町に行ってみようよ。私、いろんなものが見てみたいんだ」 「いいよ。連れて行ってあげる。某も半兵衛と行きたいし」 「約束だよ」 そう言って、再び夜空を見上げた。 夏の空に浮かんだ大輪の花は、一瞬の光をはなって散っていった。 2012.7.24 了 |