またね。

最愛の人を亡くしてから三年の月日が流れた。
あるじが仕えていた織田信長はすでに亡き人となり、信長を倒した明智光秀も秀吉に滅ぼされ今の世はおおかた、秀吉と信長の遺臣たちが中心となって動いている。
数年前に旧主、小寺政職も織田へ反旗を翻したために官兵衛は小寺姓を捨てて、もとの黒田姓を名乗っている。
その政職も、もう世に亡い。
若年の頃より仕え初めて主君と慕った政職に裏切られ、主家が密かに己の命を狙ってると知ったときは、涙を流さずにはいられなかった。
悔しくて、悲しい思いでいっぱいだった。
でも、それ以上に悔しかったのは……。

「半兵衛」

唯一、本気で愛した男を亡くしたことであった。
もう三年も経つというのにいまだ忘れられずにいるのである。
治療薬のない不治の病に冒され、痩せ衰えていくばかりの恋人に、なにもしてあげられなかった己を一番に憎んだ。
結局、懸命な看病の甲斐なく彼は官兵衛の知らぬ間にこの世を去った。
それからというもの、毎年六月がくるたびにゆううつになった。
そして当然のように、今年もその時期が来た。

いい加減、忘れないといけないな。
そう思いながら床についたある晩のことだった。
珍しく夜中に、ふと目が覚めた。
起き上がってみると部屋の中は六月とは思えぬほど、ひんやりとしている。
そればかりか幻聴なのか、どこかで聞いた懐かしい声が名を呼んでいる気がする。

「官兵衛ー」
「半兵衛? どこにいるんだ」
「こっちだよ」

声のする場所を探して辺りを見回すと、部屋の隅に青白くすけて光るものが座っているのを見つけた。

「本当に半兵衛だよな」
「そうだよ。
なんなら近くにきて見てみなよ」

半兵衛にうながされ、官兵衛は近くに寄ってみた。
間違えない。
たしかに三年前に亡くした半兵衛本人である。

「お久しぶり」
「あぁ、久しぶりだな」
「元気にしてた?」
「少し病気になったりもしたけど、今は大丈夫だよ」
「それならよかった」

どうやら彼は官兵衛が心配でしかたなかったようだが、その言葉を聞いて胸をなで下ろした。

「寂しかった。
でも、こうしてまた会えて嬉しい」
「えへへ。私もだよ」

生前と変わらぬ笑顔を見せる姿を見て、官兵衛は半兵衛の体に手を伸ばした。
触れられないことくらいわかっている。
そして案の定、その手は半兵衛の体を通り抜けた。

「やはり、もう触れられないだな。半兵衛の髪にも体にも。なにもかも、できなくなってしまった」
「できるのは」

わずかな時間での会話だけ、と官兵衛が続ける。
それを言えば、今まで笑顔で話していた半兵衛が急にうつ向いて黙り込んでしまった。
言うまでもなく今の二人にできることは極端に限られている。
だが、それでも半兵衛は生前のように官兵衛と一緒の夜を過ごしたいと思っているのである。
しかし、そんな思いは先走るばかりで、なかなかよい案が浮かばない。
もはや、これまでかと諦めかけたそのときだった。

「一緒に寝よう」

官兵衛が思いがけぬことを口にした。

「一緒に、寝る?」
「そう。昔みたいに同じ布団で」
「でも、私は」
「わかってるよ、それくらい。だからこそ一緒に寝るんだ。君がむこうの世界に帰っても、寂しくないように」

そう言って布団にもぐり込み半兵衛を手招きした。
彼は初め少しとまどっていたが、それが官兵衛からの最後の贈り物と知って嬉しくなった。
けれど誘いは断った。

「ごめんね。すごく嬉しいんだけど私にはできない。このまま昔みたいに一緒に寝たら官兵衛はきっと、私を一生忘れられなくなっちゃうから」
「……気づいていたのか」
「うん。それに今夜、私がこっちに戻ってきたのは、これを機に私を忘れてほしかったからでもあるんだ」

だから気持ちだけもらっておきます、と言ってにこりと笑った。
やがて、朝も近くなり半兵衛の体は少しずつ消えかけてきた。

「お別れの時間だね」
「そう……だな」
「そんなに寂しそうな顔しないでよ。
また、もうすぐ会えるんだから」

官兵衛がそれはどういう意味か、と聞いても半兵衛は教えてくれない。
ただ彼は、

「次は官兵衛のもとに」

と言っただけであった。
そして最後に秀吉さまをよろしくお願いします、と頼むとすっと消えていった。
それからほどなくして臨月だった妻が男児を産んだ。その誕生により官兵衛は、半兵衛が最後に残した言葉の意味がなんとなくわかったような気がした。

2009.6.13 了
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