いつでも微笑みを

こほこほと小さく咳をすると、半兵衛はきまって身を隠す。
樹木の陰や屋敷の裏など、人目につきにくい場所へ移動するのである。この日は庭の低木の後ろだった。
以前は咳をしても、身を隠すことはなかったが近ごろ、そのようなことが頻繁にある。
一度や二度ならまだしも、あまりにも回数が多いため、官兵衛は不審に思い半兵衛の様子を見に庭へおりた。
低木の後ろに身を隠したまま、半兵衛は戻ってこない。
声をかけてみたが返事もない。
詮索してはいけないとは思いつつ、官兵衛は低木の後ろを覗いた。そこにはたしかに半兵衛の姿があった。しかし、様子がすこしおかしい。
官兵衛が近くにいるにもかかわらず、地面に腰をおろしたまま背を向けている。

「そんなところで、なにをしているんだ……?」

官兵衛の言葉に、ようやく半兵衛が反応した。
くるりと振り返った顔は血の気がひいていて、見るからに具合が悪そうである。よく見ると口元が紅く染まっている。口元だけでない。薄紅色の服も、手の甲も、半兵衛の周りもすべてが紅い。

「半兵衛、これは」
「心配ないよ。たいしたことないから」

半兵衛はそう言ってほほえみ、なんでもなかったように立ち去ろうとした。しかし、そのような体で歩けるはずがない。ふらりとよろめいて、官兵衛の腕の中に倒れ込んだ。

「大丈夫だから。ほんとに」
「これのどこが大丈夫だと言うんだ。そんな体で、動けるわけないだろ。すこし休んだ方がいい」
「ありがとう。優しいね。でも、私はまだ休まなくてもいいんだ。もうすぐ楽になれるから」

楽になれる。その言葉が半兵衛の口から出てくるのを、官兵衛は恐れていた。
それはすなわち、死を意味する言葉だった。

「そのようなことを、口にしないでくれ。某はまだ未熟者だ。近いうちに半兵衛を失ったら、きっと」
「もう十分だよ、官兵衛は。秀吉さまへの助言や献策も上手いし、なにがあっても臨機応変に動ける。申し分ないよ。その才能は」

半兵衛はそう言って、再びにこりと笑った。
死期が近いと悟っても、このようにほほえんでいられるのは、おそらく半兵衛くらいなものであろう。
できることなら、死病に蝕まれた友を救ってあげたい。
心では思えども、現実にはならない。なんとも嘆かわしいことだ。官兵衛は、ため息をひとつついた。

「どうしたの。ため息なんかつくと幸せが逃げちゃうよ。ほら、笑って」

ずいぶんとやせ細った手のひらで、官兵衛の頬にそっと触れた。この人と過ごせる時間が、あとわずかしか残されていないのであれば、今を大切にしなければいけない。官兵衛は半兵衛の手に、みずからの片手を重ねた。
その顔にはいつの間にか、小さな笑みが浮かんでいた。

2012.6.18 了
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