つよくなりたい ひやりと風が冷たい月夜である。 たまたま、忠之の部屋を警護していた大膳は、静まりかえった主君の部屋から聞こえる忍び泣く声に気がついた。 時刻は丑の刻。周りはすでに寝静まっている。 起きている者などいないはずのこの時刻に、忍び泣く声とはなんとも不気味である。 まさか、忠之さまの部屋になにかがいるのだろうか。 大膳は恐怖心をいだきつつも、襖越しに耳をたてて様子をうかがった。室内からはまだ、かすかに泣き声が聞こえる。 「忠之さま」 大膳が主君の名を呼ぶと、泣き声はぴたりとやんだ。 「だいぜん、か」 静かに襖を開けた。嗚咽のまじった声で返事があった。泣いていたのは忠之だった。 「なにを泣いてらっしゃるのですか」 忠之は答えない。だが、おおかた理由はわかっている。 父、長政のことだ。 天才軍師とよばれた黒田如水を父にもち、武勇にも知略にもすぐれた藩祖である。 その長政は元服したばかりの忠之を、ひそかに疎んでいる。 理由は忠之の暗愚さと体の弱さだった。 疎んでいるというだけでは、忠之も気にはしない。 だが、それだけではなく長政は忠之を廃嫡して三男に家督を譲ろうとしている。 まだ年端もいかぬ弟だが忠之とは違い、明るく利発なところを父に気に入られているのである。 忠之は当然、それがおもしろくない。 気がつけば彼を一方的に憎むようになっていた。 もちろん、忠之も負けじと父に気に入られ、なんとしてでも家督を継ぎたいと思っている。 しかし、長政はそんな忠之に見向きもしない。 辛酸をなめて築き上げたこの藩を継ぐ者は、有能でなくてはならない。その考えが長政から消えない限り、忠之が黒田家の次代を担うことはできないのである。 認められたいと思う気持ちは、日に日に強くなっている。だが、父や祖父ほどの才をもたぬ己では、家督を継ぐことなど夢のまた夢。思い通りにならない現実に、忠之は夜な夜な枕を濡らしていたのであった。 「忠之さま」 「ほうっておいてくれ。一人になりたいんじゃ、ぼくは」 「このように泣いてる主君を、ほうってはおけませぬ」 背をむけようとした忠之を優しく抱きしめる。 けれど、すぐに頬に平手打ちをされ突き放された。 「一人にさせろ言うとるのがわからんか!どうせ、大膳も父上と同じやろ!?こげん暗愚な主君、はよ見限るがよかっ」 口調を荒げ、怒ったように忠之は言う。その瞳からは再び涙が溢れ出していた。ああ、またはじまった。この男の悪い癖である。根が暗いためか、悲観的になりやすく泣いているときは本当に手がつけられない。 大膳はため息をひとつついて、忠之のそばをはなれた。 一人になれたと思った忠之は、頭から布団をかぶり、あいかわらず泣いている。 見かねた大膳は布団を勢いよく払いのけ、覆い被さるように忠之の上になった。 「わたしが忠之さまを見限るなんて、できるわけないじゃないですか」 「だ、大膳…?」 「忠之さま、好きです。ずっと、ずっと昔から。あなたさまだけを」 愛していましたと耳元でささやく。忠之が頬を赤く染め、目を見開いた。おのれを好いてくれている人が、まだこの世にいた。それもこんな近くに。 忠之は嬉しくなり、大膳の背中にそっと腕をまわした。 「ぼくも大膳のこと……ちかっぱ好いとうよ。 大膳のためにぼく、もっとつよかなるばい。父上や爺さまよりも。だから、これからも」 愛してほしいと言った。 大膳は返事をするかわりに、若きあるじの唇に口づけをした。 忠之の胸が自然と高鳴る。 まだ、男どころか女さえ知らないこの若者にとっては忘れられない経験となったであろう。涙は既に乾いていた。 2012.4.21 了 |