fall in love

あれはいつのできごとだったのであろうか。
その日はやけに蒸し暑く、外に出るのもおっくうになるほどだったことを今でも覚えている。

小西行景はその日で兄、行長の使者として隣国に出向いたのであった。といっても、急ぎの用ではないから馬には乗っていない。うだるような暑さゆえに服装も軽めのものを着用し、腰には水の入った竹筒を携えている。
武器や防具といえば、衣服の下に着込んだ鎖帷子と懐にしまった短刀、それに脇差くらいである。
行長は弟のその無防備さを心配した。しかし今回の用事は危険をともなうようなものではなく、目上の人に拝謁するようなものでもないため、これくらいの軽装でも問題はない。行景はそのように判断したのである。

だが、ひとつだけ気がかりなことがあった。
それは山道を通らなければいけないということだった。
目的地につくためには、避けて通れない場所である。
比較的に足場がよい山道ではあるが、なにしろ木や草がうっそうと生い茂っていて、昼間でも通行人はほとんどいない。そのうえ、最近では賊もたびたび現れるという。このような軽装で入っても大丈夫だろうか。
行景はみずからの服装を見て不安に思ったが、もはや引き返すことなどできず山に入った。

やはり、周囲に人の姿は見当たらず鳥や虫の声だけが山全体に響き渡っている。実に薄気味悪い。こんなところは、早く抜けてしまおう。行景は足早に歩きはじめた。そのときだった。背後になにかの気配を感じた。いや、背後だけではない。辺りのすべてを、なにかにかこまれている。いやな予感がした。

「誰だか知らんけど、道開けてくれへんか。そこ通りたいねん、おれ」
「人のすみかにずかずかと入ってきて、なんだその生意気な態度は」
「すみか?誰のや」
「おれたちのだ」

その瞬間、ガサガサと音がしたかとおもうと数十人もの山賊があらわれた。
みな、手に鈍器をもち今にも襲いかかってきそうな様子である。
そのうちの一人が行景の方へ歩み寄ってきた。どうやら、この賊の頭領らしい。
がたいのいい男で、腕力は少なくとも行景の倍以上はあるであろう。しかし行景はひるまなかった。お前ごときの男なら、戦場で幾人も見てきた。そんな気持ちで男をにらんだ。

「お前、ずいぶんと肝がすわってるな」
「当たり前や。おれは武家の人間やで。自分らのような賊なんぞ、怖くもなんともない」
「なんだと!」

男が行景の胸ぐらをつかんだ。それでも、行景は動じない。

「おい。お前、死にたいのか」
「もとよりその覚悟はできている」
「ならば、お望みどおり地獄へ送ってやるよ」

胸ぐらをつかみ地面から浮かせた状態のまま、男は鈍器を振りかぶった。まさにそのときだった。
男の背後から、なにか尖ったものが勢いよく飛んできた。短刀である。飛んできた短刀は、頭領らしき男の背中に深く突き刺さった。
どさり、と音をたて男が倒れる。同時に行景の体も地面についた。男は即死だった。辺りが騒然となった。そして、周りにいた山賊たちも次々と倒れていく。行景にはなにか起きたのか、まったく理解ができない。最後の一人が倒れると、木の陰から小柄な男があらわれた。

「ご無事ですか」

男が行景に言った。優しげな口調であった。
あれだけの山賊を斬ったにもかかわらず、男の顔や衣服はほとんど汚れていない。それなのに行景を取りかこんでいた山賊は、みな息絶えている。神業だと行景はおもった。
男は小柄なだけでなく、顔つきも少年のようだった。

「このあたりは近ごろ、賊が住み着きはじめたと聞きまして。それを退治するよう殿に命じられて山に入ったところ、あなたが襲われているのを見たのです」
「お恥ずかしいところを見せてしまい、申し訳ないです」
「そんなことありませんよ。あれだけの人数にかこまれても、すこしも動じないお姿。立派でございました」
「このご恩は忘れませぬ。よろしければ、お名前を教えていただきたい」

行景が名をたずねると、男は困ったように笑った。

「名乗るほどの者ではございませぬ。私は、ただの通りすがりの侍です」

じつに謙虚な物腰だった。
そのうえ、武勇にすぐれ性格が穏やかなのである。
行景がこのとき、男にますます惹かれたのも無理のないことだった。

「しかし、それでは貴殿に恩返しができません。せめて苗字だけでも」

その言葉を聞くと、男は行景の横を通りすぎていった。
だが、しばらく歩くと足をとめた。そして、

「熊本の城下で飯田覚兵衛という名をおたずねください。そうすれば、貴殿の知りたいことはすべて明らかとなります」

と言い残して行景のきた道を駆けていった。

後日、任務を終えた行景は言われたとおりに熊本の城下で聞き込みをした。すると町人たちが教えてくれたのは、一軒の武家屋敷だった。行景はその門を叩いた。
数回叩くと門が開き、一人の侍が出迎えてくれた。
山の中で命を救ってくれたあの男だ。この男こそ屋敷のあるじ、飯田覚兵衛であった。

「お待ちしておりました」
「なにゆえ、今日だとわかったのですか」
「ふふ、単なる勘ですよ。さあ、どうぞお入りください」

覚兵衛に導かれるまま、行景は屋敷に入った。
町人の噂では、覚兵衛はこの加藤家の中でも地位の高い武将らしいのだが、衣服にも住まいにもそのような雰囲気が感じられない。
覚兵衛は質素な生活を好んでいるようだ。
変わったお方だ、と行景は思った。
そのようなところにも強く惹かれるのであった。
屋敷の中に入ると、覚兵衛は静かな一室に行景を案内した。まもなく二人の談話がはじまった。

「さて、まずは貴殿のお名前を伺ってもよろしいでしょうか。先日は急いでいて聞けなかったものですから」
「小西行景いいます」
「小西というと、宇土の城主さまのご親戚ですか」
「はい。城主、行長の弟です」

覚兵衛は驚いた。山の中で偶然、知り合った男がまさか主君と険悪な宇土の領主の弟だとは、思ってもいなかったからである。

「ま、まことにございまするか。小西行長どのといえば、我があるじと宿敵関係にあるとの噂がございます」
「存じております。ですが、それはあくまで主君同士の話。我らには関係のないことです」

まったく関係がないというわけではなかったが言われてみると、そのとおりであった。
二人の主君は宿敵ではあるが、両家の間でいくさがあったことはない。領主同士の性格や宗教的な点などで、いくらか違いがあるため口論になる程度だ。
当然ながら、行景や覚兵衛には敵だという認識は互いに存在しない。だから、こうして談話していても問題はないと行景は言った。覚兵衛は少し安堵したようである。

「それならば、なにも心配はいりませんね」
「ええ。ときに、覚兵衛どの。本日はあのときのお礼を持ってまいりました」

行景は恭しく小箱を覚兵衛の目の前に差し出した。
その箱を開けると、見たこともない美しい深紅の髪飾りが入っていた。

「珍しいもんですやろ」
「西洋の品でございますか」
「はい。数年前に貿易で入手したんです」
「このような貴重なものを、私にくださるのですか」

髪飾りを持ち上げたその両手がふるえた。
嬉しい反面、恐れ多い気持ちになった。覚兵衛は両手をついて深く礼をした。

「行景どの、まことにありがとうございます。この品は我が家宝といたします」

覚兵衛はさっそく頭の片側を結ってみた。
鮮やかな紅の中心に鈴がついていて、頭を動かすたびに音色が響く。
行景は覚兵衛の嬉しそうな表情を見ているだけで、幸せな気分になった。
このことをきっかけに、二人は急速に親密になり、やがて恋に落ちた。行景と覚兵衛が付き合うようになり、互いの屋敷を行き来しはじめると主君同士の溝も、すこしずつ埋まってきた。
いまでは人目を気にせず手をつないだり、城下を歩いたりするため、両家の誰もがうらやむ仲になっている。
その覚兵衛の頭には行景からもらった髪飾りが常についており、道行く人の目を引くのであった。

2012.4.16 了
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