一蓮托生

伊吹山中で息を潜めていた行長が捕らえられた。
そのような報が熊本の地に伝えられたのは、関ヶ原の役から幾日かが経ったころのことだった。
はじめは城下に住む一部の町人たちが噂する程度のものだったのだが、やがてそれは多くの人々の間で話題にされるようになり、ついには城につとめる家臣たちにもたちまち広まった。
城内に出入りする者にまで伝わったのだから城主である清正の耳に入るのも、そう遅くはならなかった。

家臣のなかで噂をする者が出たころには、彼もその話を数回は聞いていたのである。
いつ、どこで、誰から聞いたとは清正は言わなかった。おそらく城内を歩いているうちに立ち聞きでもしたのであろう。
彼の口から行長が捕らえられたことについての話が出たときは皆、一番知られてはいけないことを主君に知られてしまったと思い、あわてたが既に遅かった。
このようなことを信じてしまったら、殿はさぞかし悲しまれるだろうと思う者も少なくはなかったが、清正はさほど悲しむ様子もなく平然としていた。

「よもや殿は、小西どのが内府どのによって、どうされようとかまわないなどと思われているのではなかろうか」

あるじの意外な態度を見た家臣たちの中にはそんなことを言う者もいた。
しかし行長のことについて、清正がなにも思っていなかったわけではなかった。
長い間、肥後という一つの国を二人で一緒に治めてきた仲である。
思い返せば、顔を合わせるたびに激しい口論をしてばかりいたが、なかには仲睦まじく一夜をともにした日もあった。
そのような仲である行長をこのとき、清正がなんとも思わない方がおかしな話だった。

彼は家臣たちに悟られぬようにしながらその日は一日中、行長のことをどうしようかと考えていたが捕らえられてしまった以上は、なにもできなかった。
できることなら、今すぐにでも助けにいきたい。
けれど、行長がいるという東軍本隊の陣屋はあまりにも遠い。急いで行っても、おそらくは間に合わないであろう。もはや諦めねばならぬか。そう思うと、くやしくて深夜になっても眠れなかった。

そんなときであった。
つかの間ではあったが、清正はたしかに見たのである。助けてほしいと頼む愛しい男の幻を。たった一度きりのことだったがそれを見た清正は心を突き動かされ、すばやく身支度をして宿直の家臣を呼びつけた。

「すまないが早急に馬を用意してくれ」
「なにゆえに」
「大事な男を迎えに行くのだ。内府どののところへな」

家臣は一瞬、清正が寝ぼけているのかと思った。
こんな夜更けに、遠い地にいる男のもとへむかうなどと言うのは普通では考えられないからである。

「恐れ入りますが、殿。それは本気でございまするか」
「本気でなければなんだというのだ」

清正は、やや厳しい口調で言った。
家臣はそれ以上のことはなにも言わず黙って馬を用意し、颯爽と駆けていく主君の姿を見送った。

それから清正は昼も夜も休むことなく、ひたすら東へむかった。
間に合わないかもしれない。不安は消えたわけではなかった。しかし、もうそのようなことを考えていられる暇はない。なんとしてでも助けたい。ただ、その一心だった。
そして行長の無事を祈りながら地を駆け、海を渡った清正が東軍本隊の陣屋がある大津へ着いたのは、九月末日のことであった。

なにやら話し声の聞こえる本陣から、ずいぶんと離れたところに、牢のような建物がいくつか存在した。
そのなかには関ヶ原で敗れて捕らえられた将たちの姿がある。もちろん、そこには行長もいた。
幸いにも牢番はちょうど離れているようだ。建物には簡単に近づくことができた。
ひやりと冷たい鉄格子のむこうを覗き込むと、すでに彼らは深い眠りについている。
その寝顔はこれから処刑を待つ者とは思えぬほど、とても穏やかなものだった。清正はそれを見ながら、愛しい人のいる建物の鍵を叩き壊した。すると、鍵の壊れた音で目を覚ましたのか行長がおもむろに鉄格子へ近づいた。

「おれのことがわかるか」

清正は鉄格子の隙間から手をいれ恋人の頬に触れた。
不意に伸びてきた片手に、ぴくりと体を動かした行長であったがそれが清正のものだと知ると、少しだけ安堵した表情を見せた。

「キヨ……?」
「遅くなってごめんな。寂しかっただろ」
「ううん、全然。僕……キヨのこと、ずっと待ってたさかい」
「それより、こんな夜更けにどないしたん?」
「決まってるだろ。お前を助けにきたんだ」
「助けに……って、まさか」

長年の付き合いがあるだけに行長は清正の言いたいことのすべてが、わずかな時間に交わされた言葉でわかった気がした。

「キヨ、それはあかんで」
「どうしてだ」
「だって僕は内府どのに逆らって敗れ、捕らえられた身やろ。このように捕まれば、いずれ斬刑に処されるは必定。そんな僕なんかを助けたら」

そこまで言って、行長はぽろぽろと涙を流した。
どうやら、自分のせいで清正の命まで危なくなることをひどく恐れているらしい。だが、清正はそれでもいいと思った。愛しい男を助けようとして殺されるなら、それもまた宿命である。
もし、そのようなことになってしまったのなら、おれは変えられぬ運命にあらがわず潔く刑を受けよう。そう決心した。

「行長。お前はそんなことを考えなくてよい」
「で、でも」
「いいから。すぐにでもここを出よう。そして、熊本でともに暮らそう」

ともに暮らす。それは行長にとっても、清正にとっても危険なことに違いなかった。もしも東軍の将や家康に知られれば、二人の命は絶対に助からない。
けれども、清正にはどうしても行長を見捨てられなかった。ここで行長を見捨てれば、後悔するのは目に見えている。それならば、いっそ命をかけて助け出そうと思ったのである。
考えとしては愚かであるかもしれない。しかし今の彼には、これ以外にできることがないのであった。

「行長、頼む。おれと一緒に肥後へ帰ろう。そしたら城の一角に屋敷をやる。そこで、自由に生きろ」
「……」
「俺のことは心配するな。この先、東軍に捕らえられようともお前だけは守ってみせる。必ずだ」

その言葉で行長の心は変わったのであろう。
先ほど清正が鍵を壊した戸をみずから開け、以前よりいくらか痩せた体を目の前に現した。

「ついてきて……くれるのだな」
「当たり前や。キヨになら、たとえ地獄にだってついていったる。だから、必ず二人で生きて肥後まで帰ろな」

清正は短く返事をすると行長の小さな体を背負い、夜の明けぬうちに西へと駆けた。
追っ手がくるのではないかという恐怖心もいだいてはいたが、家康はそれから数ヶ月が経っても刺客を肥後にむかわせてこなかった。

2010.6.24 了
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