淡い恋

やつがそばにいると、胸が苦しくなる。
今まで女ばかりを追いかけていた秀吉がそんな感情をいだきはじめたのは数日前、日頃の労いもかねての小さな茶会に、半兵衛だけを招待したときのことだった。

主従とはいえ、普段はなかなかじっくり話すことができない。
というのも半兵衛には官兵衛という、れっきとした恋人がいるからである。
この日も本人は官兵衛も一緒がいいと言い出したが、それでは話にならないと断った。
だから必然的に秀吉と半兵衛は二人きりになる。
しかし、このような機会に慣れてないせいかさすがの半兵衛も緊張しているようでなにもしゃべらず、ただ下をむいているだけである。
そんな沈黙を先に破ったのは秀吉の方だった。

「半兵衛」
「は、はいっ!」

不意に名を呼ばれた半兵衛は、驚いた顔で主君を見上げ返事をする。
秀吉はそんな顔を見つめながら口を開いた。

「半兵衛。
今日はお前に少し話があるのだが」
「秀吉さまのお話とあらばこの竹中重治、なんでも聞きましょう」

半兵衛はほほえみながら、それを快く引き受けた。
その笑顔に今まで迷っていた秀吉の腹は決まった。
このとき、初めてみずからの部下を我がものとすることを決意したのである。

「秀吉さま?」
「半兵衛。わしはお前が好きじゃ」

一瞬、なにを言われたのかがわからない半兵衛は数回瞬きをした。
そして秀吉がその腕に抱くと今度は少々困ったように、

「おやめくだされ」

と言うのである。
半兵衛は私には官兵衛がいますと言おうとしたのだが、途中で言葉を遮られてしまった。

「半兵衛はなにゆえ、そこまで官兵衛だけを想い続けるのだ」
「申すまでもなく官兵衛が私を愛してくれているからです」
「どうして、そう思う」
「それは……」

半兵衛はそれ以上、しばらくなにも言い出せなかった。
私が彼を愛しているからですというのは、理由にならないと思ったからである。
なにも言えぬ悔しさに思わず膝に乗せた手を強く握り締めた。
それから数十分後、ようやく半兵衛はみずからの心境を話し始めた。

「私も秀吉さまのことは好きです。
付き合いも長いですので、それなりの想いはいだいております。ですが秀吉さまと官兵衛へのそれは、また違うものなのです」
「ほう」
「秀吉さまは、あくまでも上司として主君として好きなのです。一方、官兵衛は私にとってはかけがえのない最愛の人。私が官兵衛を愛する深い理由などありません。ただ純粋に、こんな私を愛し守ってくれる人だからです。でも、秀吉さまも私の大切な……」
「もうよい。半兵衛」

その腕から半兵衛を解放すると、秀吉はなにも言わず静かにその場から立ち去ろうとした。

「どちらへ」
「用事を思い出した。しばらくここにいるがよい。じきに官兵衛も、こちらへくるらしいからな」

そう言って、手を振りながら部屋を出ていった。
そして部屋の外で官兵衛とすれ違う。
そのとき、秀吉はぽつりとつぶやいたのであった。

「おまえ、幸福者よのぅ」

刹那、言われたことの意味がわからなかった官兵衛だが、あとあと半兵衛から告白されたことを聞いて知った。
そのときに初めて、主君がすれ違いにつぶやいた言葉の意味が理解できた。
秀吉はその後も、何度か半兵衛を誘ってはそのような話をしたのだが、いずれもことごとく断られた。
そのたびに彼は知ったのである。
二人の仲は自分のいだいたような想いでは引き裂けぬことを。

2009.5.10 了
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