うたかたの恋 あるじの官兵衛が恋人を屋敷に連れ込んだときに、又兵衛の中に特別な感情が生まれた。 それは生まれて初めていだいたものだった。あの方を想うだけで、なぜか胸が痛んで苦しくなるのである。それがなんなのかわからず、不安になってあるじの弟に聞くと恋心というものだということがわかった。 そこで又兵衛は知ったのだ。 自分があるじの恋人、竹中半兵衛という男を好きになってしまったことを。 半兵衛は官兵衛の屋敷に頻繁にやってきた。 見たところ二人の仲はとてもいいようで半兵衛は滞在中、いつも官兵衛から離れなかった。その様子を又兵衛は、いつも陰から見ているばかりだった。 あの方に近づきたい。 そう思ったことは幾度もあったが、なにせ相手は一回り以上も年上だし、あるじの恋人ということもあって話すどころか直接会うことすらできない。 まさに高嶺の花といったところであった。 ところがそんな折。官兵衛は話があると言って又兵衛と子の松寿を呼び寄せた。 どんな話かと胸を踊らせながら松寿とともに部屋で待っていると、やがて官兵衛が入ってきて二人の前に座るやいなや、思わぬことを口にした。 「明日、ここで半兵衛に会わせてやろう」 その言葉に又兵衛は耳を疑った。 「孝高どの。それは誠にございますか」 「これが嘘だとでも思うのか。又兵衛よ」 「い、いえ。めっそうもない」 又兵衛はあわてて頭を下げた。 官兵衛はその様子を見ながらほほえみ、 「では二人とも、明日を楽しみにしていなさい」 とだけ言うと部屋を出ていった。 松寿も父を追いかけるかのように、足早に退室する。 二人がいなくなった後も、又兵衛は部屋に残った。 やっと憧れの半兵衛どのに会える。彼の心はさらに踊るばかりであった。そして、早く半兵衛に会いたいがためにこの日は夕餉もとらずに寝てしまった。 翌日。 言われたとおり、居室で松寿と二人で待っていると、官兵衛に連れられて半兵衛が入ってきた。 初めて近くで見る半兵衛は、やはり綺麗な顔立ちで優しいまなざしであった。その上、ゆったりとした口調で穏やかな性格の持ち主でもある。 これほどまでに美しく人柄がよいのだから、官兵衛がたびたび話題にするのも無理はないのだろう。 孝高どのはこのような方と付き合っているのか、と思うと又兵衛はなんだか羨ましくなった。 松寿は半兵衛にたくさんのことを聞いているが、又兵衛はそれができずにいた。 勇気が出ないわけではなかった。なんと声をかけてよいのかが、わからないのである。 それを見かねたのか官兵衛はなにも言わず突然、松寿を外に連れ出したまま戻ってこなくなった。 部屋に残された又兵衛は当然、半兵衛と二人きりになったため、ますます緊張して声が出ない。 そんな又兵衛に、半兵衛はゆったりとした口調で語りかけるのであった。 「そう緊張なさるな。気を楽にして、お話ししましょ」 「は、はい」 「可愛らしい子。あなたのお名前は?」 「後藤……基次。又兵衛と呼んでくださってかまいませぬ」 「又兵衛どの……ですか。初めまして、竹中半兵衛重治です。これから仲良くしましょうね」 そう言って半兵衛は又兵衛をぎゅっと抱き締めた。 半兵衛が己を好いてくれてるわけではないとわかっていても、又兵衛はこの抱擁が嬉しかった。 「は、半兵衛どの」 「なんですか」 「おれはそ……その、ずっと前から半兵衛どののことが」 そこまで言いかけて、又兵衛は黙り込んだ。 「いかがなさいました」 「……なんでもありません。それでは失礼します」 半兵衛に一礼し又兵衛は部屋を出た。 自室へ戻っても、まだ又兵衛の胸は緊張して強く脈打っている。 好きなのに、想いを伝えたいのに。伝えることができない。あの方は孝高どのの大切な人だから。おれが手を出していい相手ではない。そんな気持ちが心の中で渦巻く。 その後も幾度となく半兵衛は屋敷にきたが、又兵衛は彼に会おうとしなかった。 それから一年半が過ぎた、ある日のこと。 又兵衛は半兵衛が病に倒れたという話を耳にした。 官兵衛から何度か見舞いに行かないか、と誘われたが又兵衛はその度に丁重に誘いを断った。 結局その後、半兵衛がどうなったかということは又兵衛が知るよしもない。ただ、たしかなのは彼がこのときはすでに半兵衛への思いを捨てていたということだけであった。 2010.1.13 了 |