恋歌 摂津の荒木村重は和歌が上手いという噂がある。 長年の友人である黒田官兵衛は、それを人から聞かされた。 亡き母の影響で幼少から和歌を好み、よく詠んでいた官兵衛はその噂を聞くとさっそく、村重のいる有岡城へ足を運んだ。 官兵衛がこの城を訪れたときは必ず村重が直々に出迎えてくれるのだが、この日は違っていた。 「村重どのー」 官兵衛は、彼の名を呼びながら武家屋敷の周りを歩き回る。そしてひときわ大きな館の前まできたときであった。 不意に後ろから口をふさがれ、声が出なくなる。苦しまぎれにもがいていると、その人物は低い声で官兵衛に話しかけた。 「官兵衛。この辺りで、あまり大きな声で村重と呼ぶな。おれとお前が恋仲だということは右近や瀬兵衛にはもちろん、だしにだって言っていないんだ」 「申し訳ございません。失礼いたしました」 愛妾や家族、重臣にも内緒にしている仲だと知って官兵衛はわずかにと顔を赤らめた。 「……あがるか?」 「はいっ!」 官兵衛が目を輝かせて言うと、村重はその手を引いて館の中へと導いた。 「なにもないが、ゆっくりしていってくれ」 そう言って、彼は縁側へ腰かけてこちらへ背をむけたまま黙り込んだ。 官兵衛の目には、その姿がなにやら考え事をしているように見えたが実際のところはよくわからない。 しかし村重の傍らには硯箱があることから勘の鋭い官兵衛は、それがただの考え事ではないと悟った。 邪魔をしたくないと思い、静かに近づいたつもりであったが、村重は官兵衛の気配に気がついたらしい。 特にあわてる様子もなく筆を置き、官兵衛の方へ振り返った。 「すみませぬ。邪魔をしてしまいましたか?」 「いや、かまわんよ。ちょうど気分転換がしたかったところだ」 「なにをなさっているのですか」 「歌を詠んでいる」 村重は上の句を書いた短冊を官兵衛に見せた。 「これは恋歌でございますかな」 「そうだ。でも、なぜわかった」 「某も幼少のころより歌を詠むことを好んでいたゆえ、多少の知識は持っております」 「それは奇遇だな」 「ところで、どなたへの恋歌ですか」 「えっ」 官兵衛はもともと色恋沙汰に疎い上、人の恋の話には全くと言っていいほど興味がない。 その上、恋愛に関しては奥手で鈍感だった。 だが、このときばかりはなぜか興味がわいた。 それは相手が村重だからなのかもしれない。 「教えぬ」 不意をつかれた村重は短冊を官兵衛の手から取り返すと、再び背をむけた。 「村重どの」 「しつこいぞ、官兵衛。お前には関係ない」 意地を張って絶対に見せまいとする村重に、官兵衛は最後の手段を使った。 村重の背中に、ぴたりと頬をつけて後ろから抱きついたのである。村重が徐々に冷静さを失っていく。 その動揺を肌で感じた官兵衛は、追い討ちをかけるがごとく口を開いた。 「今日は……ずっと某を避けてばかりですね」 「そんなつもりでは」 「思えばいつもはしてくれてたお出迎えもなかったし、館にきてもまったく相手してくださらない。村重どのは、某がお嫌いになられたのですか」 某はこんなにも愛しておりますのに、と官兵衛は悲しげに言う。さすがにここまでされては村重もたまらない。 懐に隠した短冊にすらすらと下の句を書くと、そっと官兵衛に手渡した。 「これは先ほどの」 「黙っていて悪かったな。それ、実はお前にあてた歌なんだ」 周りの者が口を揃えて言っていたとおり、村重の歌は上手かった。 その上、なかなかの達筆である。 官兵衛は手渡された短冊を見つめた。 まさか村重が自分に恋歌を詠むだなんて思わなかったため、嬉しくなった。 だが、その反面でなんだかこの友人の愛妾に申し訳なくなってしまった。しかし、せっかく詠んでもらった歌を返すのは村重に悪い。そう思った官兵衛は大事そうに懐へ短冊をしまい込んで話を続けた。 「なるほど。たしかに、村重どのは歌がお上手ですな」 「なんだ。急に」 「某が今日ここへきた理由は村重どのが、どんな歌を詠んでいらっしゃるのかを知りたかったからです。貴殿は、まことによい歌を詠まれると噂になっておりますので」 「ほほう、そうか。そんな噂をされるとなんだか嬉しいな。でも、できればこのことは誰にも言わないでほしい。おれと官兵衛、二人だけの秘密だ」 村重は官兵衛の手の甲に唇を落とした。 ふと、顔を上げれば官兵衛と視線が合った。 しかし彼は先ほどのことでふてくされているのか、すぐに目をそらした。 「おれの顔を見ろ」 「嫌です」 「まだ怒っているのか」 「怒ってなどおりませぬ」 「なら、こちらを向いてくれぬか。話がしたいんだ」 不機嫌な顔をしながらも、官兵衛は村重の方を向く。 その瞬間を逃すまいと彼は両手で官兵衛の頬を押さえ、顔を動かせないようにした。 官兵衛は必死でその手をどかそうとしたが、力では村重に及ばずなす術もなくなり、とうとう諦めた。 「官兵衛。おれは本気で愛した人間にしか歌なんて送らないんだ」 「それでは、貴殿は某がお嫌いなわけではないのですね」 「当たり前だ。おれがいつ、官兵衛を嫌いになったというのだ。おれはお前が好きだ。この想いは、ずっと変わらん……これまでも、これからも」 それを聞くと不機嫌だった官兵衛の顔は、ぱっと笑顔になった。それにはどことないあどけなさがあり、村重の顔は瞬時に赤く染まった。 「どうした。急に機嫌がよくなったものだから驚いたぞ」 「嬉しかったんです。村重どのに嫌われていなかったことが」 これまでにないほど甘える官兵衛に村重は遂に白旗を上げ、彼を抱きすくめた。 小柄な軍師は村重の腕の中で安堵したのか、穏やかな寝息を立て始める。 「……負けたよ」 やっぱりおれごときではお前にかなわない。そうつぶやくと村重も共に眠りについた。 数日後。官兵衛は姫路へ帰った。 秀吉や家臣から摂津守のもとでなにをしてきたのか等と聞かれたが彼はいっさい口外にせず、その薄くやわらかな唇に人差し指を当てる身振りをする他は、なにもしなかった。 2009.11.22 了 |