生き甲斐

半兵衛にはすでに時間がない。
不治の病は体を蝕み、いつまた倒れてもおかしくない状態だった。そのため、秀吉の勧めである名医の離れを借りて療養している。
この日は天気もいい上に珍しく体調もよかったので、ほんの少しだけ庭に出てみることにした。
だが、とっさに冷たい風が吹き、蝕まれた胸が刺激されて音を立て息苦しさを感じた。そのときであった。背後から、愛しい人の声が聞こえた気がした。

「半兵衛」
「官兵衛……きてくれたんだね」
「君が心配になったからな」

官兵衛はそう言って半兵衛の隣に寄った。

「なにをしているんだ。体は大丈夫なのか」
「今日は体調がよくてね。こうして空を見上げたり、風景を眺めたりしてるんだよ」

もうすぐ確実に自分は寝たきりになる。
そうなる前に、この景色を目に焼きつけておきたいのであった。

「私、こんなに早く死ぬとは思わなかったな」
「半兵衛、そういうことは」
「いいの。もう長くないってわかってるし」

半兵衛はとても病人とは思えないほど、くすくすと笑って明るく言ってのけた。
やはり彼の死生観は常人とは、まったく違うものなのである。

「でもね」

先ほどに比べて表情が暗くなり、一つだけ心残りがあると言う半兵衛。官兵衛はどんな言葉が返ってくるか分からないが、それについて詳しく聞くことにした。

「興味あるの?」
「半兵衛のことだし」
「ふふ、じゃあ官兵衛にだけ教えるね」

これから真面目な話をするというのに、半兵衛は病に冒される前と変わらぬ調子で話す。
さすがに体へ負担がかかるので、立ち話をやめて日陰へと半兵衛を導いた。

「私の心残りは官兵衛なんだ」
「某?」
「そう。今までずっと一緒にいたのに、急にいなくなったら寂しいでしょ。でもね……私、はっきり言って死ぬのは怖くないんだよ」
「えっ」
「本当に怖いのは官兵衛とお別れすること……なんだ」

こらえていた涙がその瞬間、一気にあふれ出た。
肩を震わせて泣く半兵衛に官兵衛はただ、なだめることしかできない。
半兵衛があまりにも泣き続けているために、気がつけば官兵衛の胸の辺りがひどく濡れてしまった。

「少し落ち着け、重治」

諱を呼ばれると半兵衛は泣き止んで顔を上げた。
官兵衛は、その涙をふいて背中をさすってやった。

「安心して。まだ君は生きてるし、某もそばにいる。一人じゃないんだよ」
「……うん」
「言っただろ。なにがあっても、某が半兵衛を守るからって」

半兵衛は目を見開いた。
付き合い始めたあの日に交わした約束を、官兵衛が忘れずにいてくれたことがなによりも嬉しかった。

「ありがとう」

病がうつるのを恐れているために口を吸うことはできないが、せめてもの礼として官兵衛の頬に軽く口づけをした。

「官兵衛は私からはなれないでいてくれる?」
「もちろん。いつでも某は半兵衛の味方だ。絶対にはなすものか」

半兵衛の手をぎゅっと握り締めて官兵衛は誓った。
その日から官兵衛は毎日、半兵衛のもとを訪ねては元気づけた。それが半兵衛の生き甲斐となり、徐々に病状もよくなってきた。官兵衛も元気を取り戻しつつある恋人の顔を見るのが嬉しくなり、休むことなく通い続けた。
しかし、そんな日も長くは続かなかった。

ある日突然、官兵衛がこなくなった。
半兵衛は何日も待っていたが、いっこうに来る気配はなかった。このころ、織田家中では官兵衛が旧友の荒木村重に捕らえられたと騒ぎになっていた。
けれど、遠い地で療養中の半兵衛がそんなことを、まだ知るよしもない。

2009.9.5 了
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