03 | ナノ





 ざり、とローファーが砂利を踏み潰す心地の良い音が鼓膜を震わした。少し踵が高いこのローファーは高校に入学する際、祖母におねだりして買ってもらったものだった。紺色で傷一つ無かった少々値の張るこのローファーも、履き潰しすっかり角が擦れ汚れてしまった。何時からだろう、大切にしていたはずのこの靴をぞんざいに扱う様になったのは。しゃがみ込み、白く汚れたその部分を撫でてもそれを思い出す事は出来なかった。

 「……おい、何してんだ帰るぞ」
 「リヴァイ。なんでもないよ、帰ろう」

 後方から聞き慣れた声がして立ち上がりざまに振り向くと、既に見慣れた彼の顔が視界に映り私は少し駆け足で彼に歩み寄る。その距離を少し縮めた所で歩き出すリヴァイに追い付こうと足の速度を速めると思ったよりも早く彼の隣に並ぶ事が出来た。当時、着ているというよりかは着られているという表現が似合ったグレーのブレザーもしっかりと板につき、隣で歩く仏頂面の彼も同じ事が言えた。

 16歳から、18歳へ。人生の中では何分の一にも満たないであろうその時間の殆どを、私は彼と共に歩んできた。背はそれ程までに変わったとは言えないが、あどけなさを残していた表情もどこか大人びて、たった3年間でひとつ、またひとつと人生経験なるものの場数を踏んできた。身体つきももう殆ど大人と変わらないのだ。

「……ねえ、リヴァイ」
「あ? なんだよ」
「……将来の夢ってある?」

 18歳。其れは、殆ど誰もが通る人生の大きな分岐点が存在する歳であり、私とリヴァイも例外無くその分岐点にぶつかる時がきた。敢えて口に出す事のなかった話題を、避けてきた話題を口に出したのはもう、其れ程時間が無いからだ。

「……急に、何の話だ」
「私はね、あるよ。小児科のお医者さん。沢山の夢を見る子供たちの夢を叶えさせてあげたいの。少しでも多くの子供の命を救ってあげたいと思う。夢見る年頃の子に、死なんて言う絶対的な現実を目の当たりにさせたくない。だから、私は小児科のお医者さんになりたいの。……ねえ、リヴァイは?リヴァイにもあるんでしょう?」
「……俺は、俺の夢は――」

 ざり、とローファーがアスファルトの上に転がる小石を踏み潰す音がした。リヴァイの進み続けていた足が止まり、視線がかち合う。口を開きかけた所で、リヴァイが再度口を閉じた。目の前は、私の家だった。

「――じゃあな、明日、遅刻すんなよ」

 そしてとうとうリヴァイの夢は聞けずじまいだった。もう私達は、夢見る子供ではなくなってしまうのだ。辛い現実を見据え、先に進み続けなければならない。希望する職業に就く為に死に物狂いで努力をしなくてはならない。

 ――その為に、私達はお互いが邪魔だった。ただ、それだけだったのだ。

 明日は高校の卒業式だ。三年間という長い様で短い期間を過ごしてきた学び舎と別れ、私達はそれぞれの選択を信じ、先へ進む。私は実家から少し離れた医科大学へ進学する事が決まった。大学近くで一人暮らしも決定した。私は確実に夢へと近付いている。

 寝て夢から覚めれば、もうそれは直ぐそこ。



「……リヴァイ」
「……はっ、泣きそうな顔してんじゃねえぞ。柄にもねえ」
「……ひ、ど!」
「……冗談だ」

 そして遂にその日がやってきた。卒業式を無事終え最後のHRを終えた私達は下駄箱から近い階段で座り込み話をしていた。くしゃり、と髪を撫でられ私は涙を零した。その雫は頬を伝い、三年間履き続けたローファーへとぽたりと落ちる。何時もの様に、泣いても拭ってくれる親指はもう何処にも無い。こうして、髪を撫でられる事も、見慣れたブレザー姿の彼を追いかける事も、軽口を叩く事すら、叶わない。

 リヴァイは、海外へ旅立つ。


 それを知ったのは、最終進路希望調査が行われた日だった。聞いたのはリヴァイからの口ではなく、担任の先生から。

『進路っつうのは分からねえもんだな。お前は医大だろ、リヴァイは留学。三年も一緒に居たのに、ここを卒業しちまえばバラバラになる。寂しいな』
『ま、待ってよ!私、リヴァイから何も聞いてない。留学?留学って言った?』
『……あ? ……あー……しくじったな……知ってるもんだとばかり……』

 ばつが悪そうに頭を掻く先生の言葉はそれ以降耳に入らなかったのは記憶に新しい。その後、リヴァイと激しい口論になり最終的に元の形に戻ったはいいがこんなすぐにバラバラになってしまうだなんて、誰が想像しただろうか。お互いが口に出さないだけで、卒業後、もう会うことはない、というのは明確で、日本と海外で何年になるかもわからない遠距離恋愛が出来るほど、私達は大人ではなかったのだ。


「……俺にも夢がある。何なのかは言わねえ。叶ってからのお楽しみだ」
「……待ってろ、とか言わないんだね。リヴァイらしいや」
「もうこっちには戻ってこねえ。分かってんだろ、それくらい」

 ぼろり、とまた大粒の涙が零れる。また、リヴァイが拭ってくれるかもしれない、という小さな期待も悉く裏切られ深い悲しみに暮れるが、リヴァイの表情もまた強い意思の向こうに悲しみが見え隠れしていて私はぎゅ、と拳を握った。私とリヴァイ。そのふたつの道は今後重なることなく、いつかはこの別れさえ乗り越え次の恋をする。だって、私達には、夢が、あるんだ。

 温かい手にもう一度触れたい。抱き締めて、どこにも行かないでと言ってしまいたい。だけど、それをしてしまえば私もリヴァイも先へ進めない。分かっているから、私は握っていた拳を緩め、自分の頬に伝う涙を少し乱暴に拭った。

「……もう、大丈夫だな」
「……元気で、リヴァイ」
「……お前もな」

 す、とリヴァイが背を向ける。見慣れたグレーのブレザーを、私は追いかけなかった。段々と離れて行くその背中を見送り、私も歩き出した。私とリヴァイ。別々の道を歩む事に後悔はなかった。振り返る事は、もうない。

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