02 | ナノ





「最優秀賞おめでとう!」

 掛け声とともに多くのグラスがカツンと瑞々しい音を立てて当たりあう。この場に居るみんなの顔は晴れ晴れとしている。穏やかで、激しくて、それでいて幸福な笑い声が響く。

「あんなに喝采を浴びるとは思わなかったな」

 ライナーがつくつと笑い、その隣に居るベルトルトまでもが苦笑している。「まさかあの配役でね」と言いながら。
 続々と運ばれる肉をクリスタ、ユミルが受け取り奥の席へ渡していく。「サシャ、あんた食べ過ぎ」とユミルが顔をしかめる。サシャはそんな事ありませんよ! と笑っていた。クリスタがそれを見て、たくさん食べてねとほほ笑む。自分に言われたわけでもないのに、思わずうなずきそうになる。はあ、とユミルのため息がこちらまで届く。先日の文化祭の打ち上げと称して、私たちのクラスは焼き肉屋の食べ放題に来ていた。人数が多いので、お座敷を貸し切りにしての大騒ぎだ。お座敷という事もあり、すでにみんなはくつろいでいる。

 「ほらッ、主役二人から挨拶はないのかっ」

 ジャンの言葉に、大勢の視線が主役二人である、ミカサとアルミンへ注がれる。ミカサはいつもの澄ました顔で、みんなを一瞥したが、それだけであった。そんなミカサの態度か、それとも周囲の視線を一身に背負ったせいか、アルミンは困ったように笑う。ミカサとアルミンの隣に座るエレンが、アルミンの肩を軽く叩く。アルミンはエレンを見て、頷き立ち上がる。その表情は形容しがたがったが、観念したような、顔だった。

「えーと……最優秀賞おめでとう。これも皆のおかげだよ」
「それだけか! ジュリエット〜」

 コニーが囃し立てるなか、サシャが肉を網へ乗せて行くので、コニーが慌てて「それ俺の肉な!」と声をあらげる。ユミルがお前もか! と諦めの声を上げるが、サシャはこれは私のですう! とコニーと火花を散らせているので、また溜息を吐いていた。アルミンはそんなやり取りを笑ったのち、また座る。座ったアルミンと目が合い、どちらともなく、目を逸らした。今回の功労者は、もちろんナマエだよなッ、とエレンが白い歯を見せて笑う。そうだねえ、と隣のアニが小さく笑った。サラダを小皿によそっていたなか、突然名前が出たので、驚く。

「私?」
「そうだよ。二人を主役に抜擢したのは、ナマエだし」

 アニが玉ねぎを網に乗せながら言う。アンタからも何か言ったら? とすでに焼けている肉を私のお皿によそってくれた。抜擢というか、案を出しただけなんだけど……と口ごもる私にアニはどかどかと野菜もよそっていく。

「ええと、みんなお疲れさまでした〜……」

頭を下げながら、みんなに聞こえるよう大きな声で言うと、お前もそれだけかよ! とコニーが肉を口に運びながらツッコミを入れてくれる。私は肉を咀嚼しながら、劇のことを思い出す。

 数か月前に私はクラスの文化祭実行委員となった。文化祭実行委員という権限を利用して、文化祭の催し物を劇にするためである。私はクラス分けでこのクラスになり、クラスの面々を見てからというもの、文化祭の催し物についてずっと思い描いていた。作品は、王道のロミオとジュリエット。そして、ロミオとジュリエットを演じる人間の性別を反転することだった。文化祭の話し合いで、自分の意見を伝えたところクラスの面々の反応は、上々だった。文化祭で劇をやる事は決まった。そして演劇するものは、ロミジュリ。性別を異なるキャスティングで、という案には性別を変えるのは面白いけれど、誰を起用するの? という質問に、私は少し悩んだ。けれど、このクラスに入ったからこそ、性別を反転した人間を起用しようという考えが、浮かんだのである。口にしたら、怒られるかもしれない。そう思いながら、ええいままよと私は口を開いた。

「ロミオ役は、ミカサがいいと思う」

 あーと皆が口にした。女子たちは、たしかにピッタリかもしれない! とはやくも黄色い声が聞こえる。じゃあジュリエットは? という男子の声に、私は小さく息をはく。本人は、傷つくかもしれない、と思いながら彼以上のキャスティングはないだろうと思っていた。

「ジュリエット役は、アルミンがいいと思いま……す」

 ええっ、という驚きの声は、もちろんアルミンによるものだろう。アルミンがどのような表情をしているか確認する事が怖くて、顔を見れなかった。女装させたら化けるかもしれないね、と誰かの声が上がり、見てみたい! という女子の声。内心申し訳ないと思いつつ、多数決を取ると、その二人に決まった。
 ミカサをロミオ役に起用したのは、ミカサファンの集客を狙って、という理由もあった。この学校に入学して以来の秀才として、入学当初から話題を浴びていたミカサである。劇の主役を務めるというだけでも注目だというのに、男装ともあれば、男女ともに支持を浴びているミカサの事で、噂は瞬く間に広まった。「ミカサ先輩が男装ですって!」「しかもロミオ役!」校内ですれ違う下級生たちの会話を耳にするたび、口角が上がりそうだった。
 掲示に張り出される成績表の順位は毎回一位というだけで、目を見張るものがあるというのに運動神経も抜群というから、驚かされる。決まった部活に所属していないにもかかわらず、運動部の試合の補欠として駆り出され好成績を叩きだすのは常なため、学校の華として、ミカサを知らない者は居ない。そんな経緯もあり体育部から勧誘の声が掛かるけれど、彼女は帰宅部に勤めている。それでも助っ人として頼まれると断れないらしく、様々な部活に顔を出しては、そのたびに各方面で女性のファンを獲得していた。本人はその事に無自覚で、ミカサ先輩お疲れさまです! と補欠として参加したテニス部の試合後に大勢の女子生徒からタオルを渡された時は困惑したという。彼女たちはどうして私にタオルを渡してくれたのだろう、と首を傾げていた。また、ファンの声にも無頓着で、黄色い歓声が自分の物であるとまったく気付いていない。
 そして一部の生徒は女装するアルミンで話題だった。アルミンは入学してすぐ同性の上級生に「君の儚げな表情が好きだ」と女生徒と間違われ告白されたらしい。男です、と半ば泣きたい気持ちを堪えながら伝えると(そもそも制服で気付いて欲しいものだが)、上級生は泣き出した。この話は今でこそ笑い話だが、当時はアルミンのトラウマで、告白という話題が上がるたび、彼は眉を顰めたのである。それほど、アルミンは可愛らしい顔をしていた。実際、廊下で彼とすれ違うと皆振り返り、制服に気付き溜息を吐くらしい。だからこそ一部の生徒はアルミンが文化祭に女装するというニュースに喜んだ。当の本人は、だいぶ神経が図太くなったのでもうどうにでもなれ、と顔に書いてあった。いざ稽古が始まると、さすが成績優秀者ということもあり、すぐに台本を暗記し練習に挑んだので、実はノリノリだったのでは、と噂されてもいるが、真相は彼しか知らない。それでも、やはり男性を女装させる事に負い目を感じていた。女性に間違えられた経緯のあるアルミンを女装させる事自体、申し訳ないと思いつつ、それでも役にピッタリなのは彼しかいないという確固たる自信が、あった。
 文化祭準備にしたって練習風景にしたって、意図的ではないがアルミンと長く会話する機会が無かったし、なにより発案者である私を快く思っていなかったらどうしようと、そればかりが怖く、本音を聞く事が出来ずにいた。

 マルコが、ジャンはミカサの相手を演じたかったんだよねと笑い、ジャンがばっかそれは今言う事じゃねーだろ、と顔を赤くするのを横目に見ながら、気分はどんどん沈んでいく。せめて、練習中、本番が終わるまで、にアルミンに謝らなくてはいけないと思っていた。それがずるずると、ここまで伸びてしまった。本当に最低だと心は沈む。

 稽古中は、ほとんど体操着を着ての練習だったので、衣装が出来上がり出演者に着せた時の感動は今思い返しても、心を震わせた。
 衣装が出来ました! と駈け込んで来たのはミカサのファンで演劇部に所属する衣装担当のミーナだった。早速着付けよう! と女生徒たちは更衣室へ主演たちを押しこんでいく。ほどなくして髪を結わき、ロミオ役の衣装を着るミカサが出てきた。凛とした立ち姿に(平常運転なのだろうが)、ミーナがふらふらと頭を押さえ完璧よ、と床に突っ伏す。それをアニが笑いながら見ていた。それほど、ミカサの男装はかっこよかったのである。切れ長の目が私を捉えて、「似合う?」と事もなげに訊ねられてしまったので、私は頭を上下にぶんぶんと振った。
 いっぽう、きゃあ〜という歓声をあびながら、着替え終わったアルミンが長いドレスを引きずりながら、現れた。まだウィッグを着けてはいないものの、期待できそうな風体だった。アルミンは恥ずかしいなぁ、と頭を掻いており、私は申し訳なさでやはりろくに見ることができなかったのである。
 本番前日までの稽古は、文化祭実行委員の仕事で走り回り、なかなか見る事が出来なかった。友人に稽古の進行具合を聞いては、無事に進んでいる事を知り、当日を楽しみにしよう、と仕事に専念したのである。余談だが、稽古の時間には、女生徒がミカサの演技を見ようと多く集まっていたらしい。本当にミカサの人気には驚かされる。
 本番当日、文化祭実行委員の仕事の関係で開演前間近になって控室に入った。控室へ来る途中、廊下ですでに着替えていたミカサと遭遇するが、廊下が撮影会になっていたので、舞台が無事成功するようあやかりながら、駆け足で控室へ向かう。勢いよく控室へ入る と、女子たちが集まって騒いでいた。近づいてみると、集団の中から綺麗な桜色のドレスが垣間見れた。アルミンの、ジュリエットの衣装だと気付いた時にはもう、アルミンが私を見て、「ナマエ」と顔をほころばせている。アルミンを見た瞬間、思わず言葉が漏れてしまった。

「アルミン、あなた、とっても綺麗……」
「えっ」

 ウィッグを被り、化粧を施されたアルミンはどう見てもジュリエットだった。目がちかちかするほど、輝いていた。そのまばゆさに、心が晴れ晴れとしていく。男性なのに、女性よりも女性らしい美しさに、心臓がどきどきとした。
 そんな真顔で言われると、照れるなとアルミンが長い髪の毛を揺らして笑う。クリスタが「本当にきれい、お姫様みたい」と目を輝かせているので、私も相槌を打つ。クリスタと並ぶアルミンは、姉妹のような気品をたたえている。そこへユミルが「スタンバイしな!」とかっこよく入ってきた。暗幕から観ようと思っていたが、アルミンが「せっかくだし客席から観なよ」と言ってくれたので、頷く。何か言わなくてはいけないと思いながらも、言葉がすぐに浮かばない。

「……頑張って」
「うん」

 アルミンが真剣なまなざしで、こくりと頭を下げた。控室から出るアルミンの後ろ姿が華々しく、ああ本当に彼がジュリエット役でよかったと一人思いながら、私は客席へ向かった。客席には、エレンの両親とミカサの両親が談笑している姿を見掛けた。後からおそらくアルミンの両親も合流していたので、あの三人は家族ぐるみで仲が良いのだな、と思いながら少し離れた所に座った。しかし客席はもう人でいっぱいで、私が座れたのはクラスメイトが席を取って置いてくれたからに他ならない。後ろを見ると、女生徒たちが立ち見をしているのが見えたので、いよいよ始まるのだと震えてしまう。
 結果として、舞台は完璧だった。主演の演技力は凄まじく、ミカサが何か喋るだけで黄色い歓声が上がったり、アルミンの女性らしい立ち振る舞いには男性陣の心をもつかんだ―脇役たちの少しのアクシデントもあったが―ミカサの迫真の演技によって感極まり泣き出す女生徒(隣の女生徒は「ミカサ先輩がその場に居るだけで、場面が華々しい」とごちていた)も居た。終盤には、悲愴なロミオの表情だけでも心が痛むのに、死んでしまったロミオの体の上に短剣で自らを刺すジュリエットことアルミンの儚げな演技に、観客は息を飲み震えた。間違いなく観客は一体化していた。幕が下りたあと、拍手の波が舞台を包んだのは言うまでもない。私も立ち上がり拍手をしたい程だったが、手が痛くなるほど拍手をした。見事、我がクラスは優秀賞を手に入れてしまったのである。

 舞台が終わった後、主演たちの周りに人がごった返したのは、大変だったよね。とマルコがしみじみ呟く。ウーロン茶を片手に言うものだから、しんみりしてしまった。ジャンが、まあ良い結果になったけどなあ、と笑う。
 それから、私たちは練習中の大変だったこと、本番のアクシデントなどについて語り合った。皆が面白おかしく話すので、喉が痛くなるほど笑った。



 お開きの時間になり、焼肉屋から出る。思いのほか、外は暗くなり肌寒い。
 焼肉屋の前で邪魔にならないよう、私たちは自然解散をした。それじゃあ学校で! と皆が朗らかに言いあい、家の方向が同じ者や、いつも一緒にいる友人とで散り散りになっていく。夜空を見上げると、星がきらきらと輝いている。もう冬なのだ、とぼんやり思う。
 ナマエは帰らないの? と、アルミンの声がした。ちょっとぼんやりしてただけ、とアルミンに言うと、そっかと彼は笑う。いま、ちゃんと見るとやっぱりアルミンは男の子だった。私の視線に気付いたアルミンは苦笑しながら何? と首を傾げる。首を振りながら、私たちはなんとなく歩幅をそろえて、歩く。

「アルミン、ごめんね」
「え、何が?」
「……ジュリエット役、やらせちゃって」

 ああ、と合点がいったようにアルミンは頷き、それからあははと楽しそうに声を上げる。アルミンを見ると、口元に手をあてて、笑っていた。その丁寧なしぐさに、はっと息を飲む。

「びっくりしたけど、嫌ではなかったよ。いい経験になった」

 女装なんて、なかなか出来る事じゃないからね。としっかり言うアルミンに、彼の性格の良さが見えて、すごいなぁと感心してしまう。それでも納得のいかない顔をしていた私にそんな顔しないでよとアルミンは優しく言うのである。

「ナマエは、どうして僕を選んだの?」
「一番似合うと思ったからだよ」
「きっぱり言うなぁ。どうもありがとう」

 本当にきれいだった、と呟く私に隣を歩くアルミンはふふ、と楽しそうに笑みをこぼす。でもね、と彼は続ける。

「やっぱり、ロミオ役とかも、いいなぁと思ったかな」

 呆けた声を出した私を見つめるアルミンは、何かを決断するときのしっかりとしたまなざしを向けている。
 その視線に押されながら、私は「じゃあロミオやってみせてよ」と口を開いていた。アルミンの驚いた顔に私も自分で何を言っているのだろう、と心がハラハラとする。わざとらしく咳をしたアルミンはじゃあやるよ…と決心したように呟くので、私はなんとなしに頷く。するとアルミンは私の頬を両手で支えたので、思わずぎゅっと目を閉じた。彼は、やさしく私の前髪を掻き分け、額に唇を落とす。
 ジュリエットが死んだと勘違いをし、悲しみにくれながら口づけを落とす場面だ、と頭で理解しながらも、唐突な彼の行動にしばらく呆然としてしまう。ゆっくりと目を開くと、アルミンと視線がかち合った。そして、だいぶ近くにアルミンの顏があるので、緊張からか顔が熱くなっていく。彼がどうして突然こんな行動をしたかと言うと、私の発案によるものだが、それにしてもほかにロミオの演技はやりようがあるのではないか、と考え出すと、あのねとアルミンは切り出す。

「僕、ナマエの事が…」

 目をしっかり見つめてアルミンは言った。アルミンは、ためらいがちに私を見る。伏せるまなざしに心臓が早鐘をうつ。
 彼の言葉を待っていたその時である。
 押すなって! という、聞き慣れた誰かの声がし、エッと後ろを振り返ると、少し離れた露路から見慣れた人たちがどっと出てきた。私と目が合った、ベルトルトは「いやこれは……」と目を逸らすあたり、一部始終を見られていたらしい。というより、最初から見られていたのではないだろうか。先ほどとは違う、恥ずかしさがどっと沸き、私がその集団へ走って行こうとすれば、アルミンに腕を掴まれた。驚いて振り返ると、彼は、困った顏をしている。

「待って。まだ続きを言えていないんだ」

 アルミンに掴まれた腕が、熱を帯びているような気がした。そして、その腕はたくましく、私は再度確信する。彼はあの儚げなジュリエットでもなんでもなく、ただ一人の男子学生であるということを。

 「ナマエの事が、好きなんだ」

 そして、紡がれた言葉に私は瞬くしかない。光のように、まばゆく感動が押し寄せる。どうして、だとか、私でいいの、だとか訊ねたい事はたくさんあったけれど、私は自分の心を確認していく。だから、指名された時、頑張ろうと思ったんだよとアルミンの続く言葉に、私はただぼんやりと頷くしかない。そして、堂々と言う彼の力強さに惹かれている自分に気付く。
 遠くで、クラスメイトたちの囃し立てる声を聞きながら、私はなるべく丁寧にアルミンの手を握った。恥ずかしくて、彼の顔をまともに見れなかったが、真っ赤になりながらも、私はアルミンの目をしっかり見る。アルミンがにっこり微笑んだ。よく見れば彼の頬も赤く染まっている。
 今夜は長い夜になりそうだ、と思いながら私たちはクラスメイトの方へ手を繋いだまま歩いて行った。

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