02 | ナノ


買ったばかりの缶コーヒーをぶちまける。
口をつけていないそれは地面に到着すると小さくはねて、その中身を撒き散らした。
缶コーヒーに限らずコーヒーは嫌い、苦いから。
これは私のことを好きだとほざく隣のクラスの男子に、帰り際に買ってもらったものだった。
ちなみにそいつとは一応、恋愛の関係にある。
もったいないなとは思わなかった、だって私買ってないから。
この光景を見たらあいつはどんな顔をするのだろうかというナノレベルの興味は、すぐに頭の中から消えていった。

一方的に冷え切っているこの関係をバッサリと終わらせてやりたい。
友人らに冷やかされると突然堪忍袋の緒が切れる可能性があるので、恥ずかしいというベターな理由で学校内では干渉しないという条件を提示したら、じゃあ放課後は俺に頂戴ねだって。
「君の言うことを聞く代わりに俺の言うことも聞いてね、そうじゃなきゃフェアじゃない」
憎たらしい、勝ち誇ったような顔。
なに調子に乗ってるんだか。
そういうところが、嫌いではないけど、受け付けられない。
あいつの評価を簡潔に表すと、“生理的に無理”。





「お前なんで付き合ってんだよ」
「知らない。告白されて、その時は断る理由もなかったからオッケーしたら、付き合うことになった」
「そりゃそうだろ」
「今はすごく後悔してる」

そんな沼みたいにどろどろ汚い私の恋愛に関する相談相手は、決まってコニーだ。
今日も彼氏と別れた後、コニーをファミレスに呼び出して愚痴を延々聞いてもらっている。
こういう時私が注文するのも決まっている、濃厚バニラアイスクリーム。
濃いバニラが好きなのだ。
甘ったるくて舌に染み付いてなかなか消えない甘さがすごく、好き。
ついでにコニーはいつもバラバラ、好き嫌いしないからなんでも美味しそうにペロリと食べてしまう。
一昨日はスパゲティだっけ、お子様だと笑ったらお前のアイスも子どもっぽいと怒られた。

「いつも言ってるけど、マジに別れるってのは考えてねえのか?」
「考えてる、し、この間言ったんだけどね。でもちゃんとした理由が欲しい、ないなら別れないって言われてさ」
「なんて言って別れようとしたんだよ」
「なんか無理だわって」
「……まあ、そりゃ無理だろ」
「えー、じゃあ一緒に理由考えてよ」
「いや俺お前の彼氏知らねえし」

とりあえずまあ好きなだけ愚痴れよって、コニーはグラスに入った氷をガリガリ食べた。
店内のクーラーは節電中という張り紙の命令を忠実に守っており、肌に触れる微弱な冷気は猛暑日の今日には物足りなかった。

「ところで、コニーは彼女作らないの?」
「……お前の話聞いてたら、いらねえとしか思えねえよ。希望なさすぎんだろ」
もう少しオブラートに包もうか?」
は? いいよ別に。今更なんだよ」
「私の話聞いて彼女に夢見なくなったんなら、悪いなと思って」
「別に……彼女いなくても死なねえだろ」
「まあ死なないけど」
「つーかよ、なんで俺に相談すんだ? 何の参考にもなんねえだろ」
「まあ、参考にはね。でも結構いいとこ突くのよ」
「ふーん。よくわかんね」

首を傾げる彼はきっと一生わからない。
私がコニーを頼る理由。

コニーはほんの少しも恋愛に興味がない上にすこぶる馬鹿だけど、馬鹿だからこそ、恋愛の常識や先入観にとらわれることなく非常に純度の高い疑問や意見を述べてくれる。
その八割は的外れだが、時々、目の覚めるようなことを何の計算もなく撃ちだしてくるのだ。

それにこんな最低な愚痴を連ねる私を、彼はこれっぽっちもマイナスに思わない。
むしろいつも大変だなと心底労ってくれる。
決して傷付きたくない私は、透明なコニーに濁った心を優しく浄化してほしいのだ。
最低な私は綺麗な人間にすがらないと、汚いものがどんどん溜まって足をとられ、前に進むことができないから。

甘党な私はいつまで経っても甘いものが好きなのだ。
溶けかけのアイスを口に含むと口内の熱ですぐに液体化した。
濃厚ミルクはいつでも美味しい、だから大好き。

「コニーもお腹空いてるでしょ、なんか頼みなよ。今日は奢る」
「マジで? じゃあ俺スパゲティ」
「なに気に入ってんのよ」
「いいだろ、結構美味かったんだぜあれ」

彼が店員を呼んで注文を済ませている間、私は鞄から携帯を取り出してメールを確認した。
彼氏からの鬱陶しい内容のメール、ハートマークが食欲を激減させる。
あいつは私を苛立たせる天才だ。
どんな言動も私の神経を逆なでする。

機嫌取りに何かくれると思えば、趣味の悪いピアスだったり苦いコーヒーだったり。
私が自分のことを詳しく話さないのが悪いのだけれど、イメージでこういうのが好きだろうと想像してプレゼントされるのは迷惑だ。
一応は好意だからという罪悪感から正面切って断れないのがもどかしい。
貰ったって困るだけなのに。
だから見えないところで処分しているのだが、その時の自分の卑怯さにはほとほと呆れるから出来るだけ何かを貰うことは避けたいのだ。

そして一番困るのがメール。
電子文字で好きだといわれても、どう返事をしていいのかわからない。
処分できない分、こちらはもっと厄介だ。

「……お前、すげえ顔してんぞ」
「あ、ごめん。今彼氏からメールきたから」
「お前マジで別れろよ……」
「私の頭がもっと達者だったらね、上手いこと別れられるんだろうけど」

恥ずかしくないのそれ、とぽちぽち気だるげに打ち込んで送信。
飽き飽きした薄っぺらいキザな台詞に胸焼けする。
バッサリ言えたらどれだけ楽かとは思うが、幾ら私の性根が腐っていても直接的な攻撃は口でも文字でも出来ないため、いつも言葉を選んでやんわりと嫌悪を臭わせる。
こんな面倒な関係が恋人というのなら私はこの先一生恋人となんか要らないと断言できる。

だけど例えばコニーみたいな奴が恋人なら、かなり楽に付き合っていくことが出来るんだろう。
私と彼氏みたいな気持ち悪い関係じゃなくて、もっと学生らしい、清流みたいに透き通った快活な関係。
飾らない笑顔と学生服が似合う健康的なお付き合いが出来たら、きっと毎日幸せなんだろうなあと。
想像しただけで楽しくなってくるなんて、いかに今の生活が不健康かということが浮き出てくる。
ショーケースの向こうのアイスクリームを眺めながら苦汁を舐める私は、何より誰より苦いものが嫌いなのに。

「あの……ナマエさあ、」

不味い妄想の口直しにアイスを、と思ったらコニーがちょっと真剣な顔をしていた。
多分茶化したら怒られるだろうから、一旦スプーンを置いてコニーと目を合わす。
目つきは悪いが純真な彼の瞳に映る私は、彼ほど目つきが悪いわけでもないのに、とんでもない悪党のように見えた。

「なによ」

もごもごと何か言いたそうな彼の様子をじっと見つめる。
言いたいことをズバリと、時には空気を読まずにすぐさま発言するコニーにしては珍しい間だった。
右手の携帯がまた震えだしたけど、そんなことで彼の喉に引っかかっている言葉を押し戻すわけには行かない。
あまり威圧感を与えず、時々目線を外しながら彼の発言をじっと待つ。
あ、でもあんまり待ってると、アイスが完全に溶けちゃうな。

「お前、お、俺と付き合ってみねえか?」
「……は?」
「だっ、だから俺とっ」
「ちょっと待って待って、聞こえなかったわけじゃないの、でも待って」

背負い投げを食らわされたような気分だった。
脳を揺らされたかのように、一瞬で激しく思考が混乱した。

彼氏と別れるために理由を、コニーなりに考えた結果なのか。
それとも眉間にしわばかり寄せる私の気を緩ませるための冗談なのか。
または本気なのか。

その答えは彼の貴重なマジ顔とやらを見れば、一目瞭然だった。

「……本当は別れたら言おうと思ってたんだぜ。でもなんか、無理っぽいみたいなことお前が言うから」
「変なこと聞くけど、……いつから私のこと好きだったの?」
「さあな、でも多分、ずっと前から」

まじですか、と絶句せずにはいられなかった。
嘘吐けお前と無理に茶化そうとしても上手く言葉が出てきてくれない。

コニーはといえば、落ち着かない様子で馬鹿みたいにスパゲティを頬張っていた。
その耳は少し赤い。
照れ隠しの仕方もよく分かっていないこいつが恋した相手が私。
それは何だかひどく不恰好に思えた。

「……あんた、私の話聞いて彼女要らないと思ったとか、いなくても死なないとか言ってたじゃない」
「よく知らねえ奴ならな。でもお前は別だろ。もー知ってるし」

色々とな、コニーはニヤリと笑った。
間違いなく知っているという私の色々は、彼が思っているより大分浅いと思うが、それでも今の彼氏よりは随分知り尽くしているのだろう。
それに、何より彼はちゃんと知っている。

「じゃあ。ねえ、聞かせてよ、告白」
「はあ!? さ、さっきしたじゃねーか!」
「付き合ってみないか、じゃ響かないの。私はお高いよ、ちゃんと聞きたい」

試しに俺と、なんていう安っぽいセールス文句は受け付けられない。
例えばあいつが私の心をくすぐったのは、この腐った現実には美しすぎるキザったい台詞だった。
普通の女ならドン引きして一蹴といった対応が正しいそれに、私は乗った。
だからあいつは私のことをイブニングドレスが似合う女のような扱いをしたのかもしれない。
だけど生憎私は真っ赤なワインやビターチョコのケーキは嫌いだ。

「……あー、」
「なによ」
「いや、なんか改めて言うの緊張するよな」
「私に同意を求められても……。でもコニー、あんた冷静じゃない」

至極自然に私と会話する彼は至って平静だった。
付き合ってみようと提案した時は、身を乗り出して目を強張らせていたというのに。
私はてっきり帰るまでガチガチに緊張したままかと思っていたけど、意外と普段通りで拍子抜けした。
そうやって意地悪そうに笑って、今度は何を言うつもりだろうか。

「だってお前、割とまんざらでもないだろ」

待ち構えていたそれは閃光弾のようだった。
予想だにしない弾けた輝きに、簡単に視界を支配される。

こんなに心が揺れ動いたのはいつぶりだろうか。
友達と同じクラスになれた時より、修学旅行の前日より、新しい本を買った時より、誕生日プレゼントの包みを破く時よりもっと、肩が震えるぐらい喉の奥が熱い。
実はホントはそうなんでしょでしょ! とはしゃぐ心臓を抑えようとするが、それは叫ぶことをやめない。
言いたいことが、たくさん見つかる。

「俺、ナマエのこと好きだ。だから、あいつから奪ってやるよ」

いつぶりなんて、嘘だった。
初めてだった。

目頭が熱い。
そっと彼がその部分に手を伸ばして軽く触れると、僅かにその指が濡れたのが見えた。
やだ、私まさか泣いてるなんて。
慌てて両手で顔を隠す。
人差し指を目頭に当てると、ああ、うん、確かに泣いてる。
だけどちょっとだけだからね。

「……ばかコニー」
「な、なんでだよ!」
「うるさいっ。……さっきの告白、まだ返事しないから」
「べっ……別に、いいけどよ」
「はぐらかすわけじゃないから。ちゃんと考える」

おう、と彼は返事をして、またスパゲティを食べだした。
私はといえば、もうすっかり溶けてしまったアイスクリームを眺めながらぼんやり、ちくちくする胸の声を聴いていた。
あいつのことを頭の中に浮かべても、ちっとも胸はうずかない。
でもそれがコニーになるともう駄目だ、だめだめだ。
きっとこれが健全な恋心というものなのだろう。
サイダーの粒々みたいな、生まれたてのくすぐったいそれ。
だけどまだまだ汚いものがたくさんしがみついている私にそんな綺麗なものは似合わない。
このままコニーと付き合ったら、恐らく私は彼の眩しさについていくことが出来ないだろう。
それじゃあ、駄目なんだ。

「ねえコニー」
「あ?」
「私、コーヒーが好きそうに見える?」

コニーは唐突な質問にキョトンとした。
当然だ、脈絡もないし意味不明。
多分その意図も彼は知りえない。

だけどそんなコニーだから私を受け入れてくれる。
私を奪ってくれる。
私の心を無意識に洗い流してくれる。

「全然。お前甘いの好きじゃん」

そんな彼に私は、これから恋をしていこうと決めた。
甘いものが好きな私を知っている彼に。
私を甘美に溺れさせてくれる彼に。
私の心臓を手のひらでそっと抱きしめた彼に。

私はいつか、そう遠くない未来で初恋を贈ろうと決めたのだ。





(君の心に触れさせて)

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