01 | ナノ





 「学校」という場所ほど弱肉強食な世界を、私は他に知らない。
敷地内の覇権のすべては強者に握られ、弱者はそれにおとなしく従うしかないという独裁自治区だ。そこで強いられる規則は国家が定めた法律などではなく、自然発生的に生まれるローカルルールだからこそかいくぐることは難しかった。

「なに難しい顔してんの」
「今、この学校で生き抜くための術を考えてる」
「はあ?」

 訝しげな顔で聞き返す友人は、危機管理というものが全くなっていない。うっかり三年生の縄張りに単独で踏み入って死ぬタイプだ。

「……何を大げさな。死ぬってなによ、あんた高校三年生をなんだと思ってるの」
「精神的にだよ! 高三舐めてかかると痛い目見るよ? 例えばいつも電車で一緒になるあの目つきの悪い先輩、新宿駅の地下街を仕切る不良の一人で、ミロード最強の名を欲しいままにするヤバイ人なんだから!」
「なんで不良がミロード仕切ってんのよ。ルミネと戦争でもするつもり?」

 詳しいことはよく知らないが、高校三年生ともなれば地下街の一つや二つ牛耳れるのが世の中である。なんせ筋トレと早弁だけしていればいいのが男子高校生という生き物だ。怖いものなどない。
 私がそう力説していると、彼女は呆れた顔をしてどこかへ行ってしまった。愚か者め、トイレの階を間違えて死ぬがいい。

 委員会で使っているこの棟は、進路相談室や自習教室の連なる別館、いわば三年生の領域だ。階を選ばないとトイレでたむろする女子先輩方に囲まれて、非常に肩身の狭い思いをすることになる。
 彼女のいなくなった教室で帰りの支度を始めていると、突然パチンという音がして教室が明るくなった。私はびくりと振り返る。

「そのミロード最強って、俺のことじゃねえだろうな」
「……はい?」

 そう呟きながら入ってきた一人の生徒を見て、私は死を覚悟した。
 上履きの色は緑……間違いない、三年生だ。それ以前に、彼は私のよく知る男である。毎朝電車で斜め前あたりに立っている先輩、つまりそう、ミロード最強とは彼のことだ。

「ごめんなさい、ルミネばっか行って。悪気はなかったんです」
「そこじゃねえよ」

 彼の目つきは記憶の中のそれより悪い。ツッコミなのか殺意なのか判断できないほどだ。

「よくわからねえが、おかしな噂を流すな。迷惑してんだよ」
「……噂? 地下街仕切ってるって、嘘なんですか?」
「お前、高校三年生なんだと思ってんだ。ついでに早弁もしてねえ」

 彼の迫力は凄いものがあったが、私が思っていたよりもだいぶ落ち着いた人間のようだった。後輩のたわごとに切れるでもなく、何故かは知らないけれど机中の消しゴムのカスを払って回っている。綺麗好きか。

「どけ」
「え?」
「汚しやがって。委員会活動はいいが終わったらちゃんと使う前に戻せ」
「すみません」

 教室を整える先輩はなんだか生徒というより教師のようだ。

「先輩、美化委員かなにかですか?」
「いや、自習室遅くまで使うかわりに戸締まり任されてるんだよ。学年主任に」

 そういえば、学年主任のスミス先生と彼が話しているのを何度か見かけたことがある。もしかしたら先輩は目つきが悪く雰囲気が尖っているだけで、別に不良でもなければ新宿の地下を統べる番長でもないのかもしれない。彼はこんな時間まで自習をしていたのだ。高三といえばなにをおいても受験じゃないか。私は高校三年生というものを誤解していたのかもしれない。
 ありふれた日常から目を逸らすため、誇大妄想を膨らませていた自分が急に恥ずかしくなった。冴えない性格、パッとしない容姿、振るわない成績。しかしスクールカーストの底にいる自分にとって、上の人間が絶対でありルールであり、自分の想像力の及ばない生活を送っていることは確かだった。学内で目立っている上級生など、それこそフィクションの域だ。

「帰らねえのか。電気消すぞ」
「……先輩、私毎日がつまらないんです」
「……あ?」

 なにを口走っているんだと思いつつ、私の口は止まらない。相手がフィクションじみているだけに、本音を言うのが憚られないという謎の心理状態だ。私は現実と空想を隔てる仕切りのようなものを、どこかへ忘れてきたのだろうか。

「いつも考えるんです。目が覚めたら違う世界になってればいいのにって。ベタな少女漫画みたいにいきなり違う世界に飛ばされて、死と隣り合わせの生活でもいいから、刺激のある人生を送りたいって」

 恥ずかしげもなく突如夢見がちな発言を垂れ流す私を、置いて帰るかと思いきや、彼はこちらを向いて口を開いた。

「馬鹿かてめぇは。平和なのが一番だろうが。俺は御免だぞ、いつ死ぬかわからねえ世界なんざ」
「……そうですか?」
「そうだろう。そりゃ。自分が死ぬのも周りで人が死ぬのも、できれば避けてえな」
「……そっか。……そうですよね。考えてみたら死と隣り合わせなんて、すごく疲れそうですよね」
「だろ」

 予想を上回る真っ当な意見を返され、私は昔から抱いていたしょうもない願望が一瞬で消え去るのを感じた。よく考えれてみれば今でさえ冴えない私が、そんな殺伐とした世界で楽しくやっていけるはずがなかった。先輩の言うとおり、平和万歳である。

「なんか私、明日から幸せに生きていけそうです」
「……そうか。なんだか知らんが良かったな」
「はい」
「浮かれて夜遊びするんじゃねえぞ。近頃ここらも物騒だからな。一回シメなきゃわからねぇような連中がうようよしてやがる」
「……先輩、やっぱりこの辺仕切ってるの本当なんじゃないですか?」
「…………あまり言うなよ。内申に響く」

 どうやら、私の想像力も捨てたものではないらしい。
 彼のような人がいるのなら、違う世界になど行っている場合ではない。

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