5th.清流なヒト


言ってしまえば、一目惚れだ。
彼も、彼の印象とよく似たカクテルも。

何も知らない。
名前さえ知らないくせに、一瞬で、完璧に心を奪われた。





入り組んだ路地裏にひっそりと、両脇の壁に包まれるように伸びる階段を抜けると見える赤い扉。
OPENと書かれた札の掛かった扉を開けて、隠れ家のようなその店内に足を踏み入れると。
地上の騒がしさとは別の、騒々しいながらも温かい空間で、店の雰囲気とアルコールに酔わされて、気付くと夜が更けている。

ココは、私のお気に入りの場所。

すっかり馴染んだカウンターに一人腰掛けて、同じ空間で時を過ごす知らない客をぼんやり観察したり。
オーナーの高杉さんが暇そうにしてる時は、カウンターを挟んで他愛も無い事でダラダラと喋りながら呑むのが好きだった。

一応言っておくが、私は友達も恋人もいない寂しい女な訳では決してない。(まあ、今はフリーなんだけど)
ただ、この空間で一人の時間を過ごすのが好きなだけ。
そう、今夜、この瞬間までは、私はコレ以上ないくらいにココでお一人様を満喫していたわけで。
この店に友人の誰かを連れてきて一緒に呑みたいと思った事も、ましてや、偶々居合わせただけの見知らぬ客に自分から声を掛けようなんて想像もしていなかった。





「随分と酔ってらっしゃるようですね」

『一緒に呑みませんか』と、突然、カウンターの隣に座っていただけの見知らぬ女に声を掛けられた彼は、一瞬訝しげな視線を寄越したものの。
直ぐにその表情を巧みに仕舞いこんで、薄く口を開いた。

参った。

その整った唇から放たれる声も、紡がれる丁寧な口調までもが、断然私好みだ。

「全然!酔ってなんかいませんよ」

大袈裟に顔の前で両手を振って嘯いてみせると、彼は無表情のまま「酔っ払いの常套句ですね」と一蹴した。

「そいつは素面でも酔っ払いみたいな女だから気にしなくて良いぞ」
「なっ!そんなことは・・・!」
「無くは無いだろう」

出端をくじかれて怯んだ私の隙を狙ったように、カウンターの向こうから飛んできた高杉さんの台詞で、一瞬グッと押し黙る。

見るからにサラサラとした濃紺の髪のように、流れるような所作で。
つい今しがた、私の隣の席に腰掛けたキラキラと神々しい程の光を放つ彼に見惚れて、うっかりカウンターに二人っきりのような心地で話しかけたけれど。
彼が現れる前からカウンターには他の客も座っていたし、カウンターの向こうには他でもない高杉さんがいたわけで。
その存在が突然消えてなくなる事も、ましてや面白い事大好きな高杉さんが私の一目惚れに気を利かせて二人っきりにしてくれるなんて事もある訳がないのだ。

「・・・・・・とにかくっ!」
「否定はなさらないんですね」
「・・・っ!ひ、独りで呑むより、二人の方が楽しいじゃないですか!だから」
「一緒に?」
「はいっ!」
「貴女と、僕が、ですか」

私は無表情な男が好きだ。
簡単に自分になびく男より、断然落とし甲斐があるというもの。
だから、彼の反応がどれ程そっけなくとも構わない筈だ、普段の私なら。

「だ、駄目、でしょうか」

それなのに、計算なんかじゃなくて、ちょっと声が震えて上目遣いになってしまうのは何故だろう。
自分が自分じゃないみたいで、無性に恥ずかしい。
無言でこちらを見つめる彼の視線に居たたまれなくなって、俯きかけた時だった。

「ふっ・・・・・・いいえ。確かに、独りゆっくりと呑むのも良いが、貴女のような女性と呑むのも趣がありそうだ」

彼が初めて見せた微笑に目が眩んだ。
こんなにも心臓ど真ん中、直球ドストライクな微笑みに、私は未だかつてお目にかかったことが無い。
きっと、私はお酒ではなく、彼に酔っているんだ。

「えっと、お、おも、むき・・・ですか」
「ええ。日本酒はお好きですか?」
「あ、はい、寧ろお酒なら何でも呑みます」

つい事実をそのまま告げてしまった。
駄目だ、彼を前にすると、何も考えられなくなる。

「それは頼もしい台詞だが、女子としてはあまり好ましくないな」
「えーーっと、すみません、アルコールはお猪口一杯で真っ赤になります」
「その空のグラスは何杯目だい?」
「5杯目だな」
「ちょ!高杉さんっ!」
「うおっ?!なんだよ、本当の事だろうが!」

全く!
なんてことだろう。
これじゃヘタなお笑い芸人みたいじゃないか。
あああ駄目だ駄目だ駄目だ。
このままじゃ完璧に私は彼の中で色気とはかけ離れた存在として定着してしまう。
なんとかしなければ!

そう思うものの為す術無く浮かんできた涙をなんとか堪えて、ギロッと高杉さんを睨みつけた瞬間、私の隣に座る彼が空気を揺らした。

「・・・くっ、はははっ。高杉さん、彼女にアレを頼めますか」
「ん?・・・ああ、アレか?」
「・・・・・・アレ、って・・・・・・?」

さっき見た完璧な微笑とは違う、けれど、その思わず吹き出してしまった事を少し照れて隠すようなその仕草も、ああ彼の一挙一動はなんて魅力的に輝くんだろう。
完全に彼に見惚れて夢心地だった私は、2人が言うアレとは何なのか、ぼんやりとした頭の片隅で想像を膨らませていた。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・


次の日。
昨夜はどうやって自宅に帰ったのか、今朝目覚めた時には全く記憶に無くて。
私はどうにも腑に落ちない気分のまま、再びバーの赤い扉を押し開き。
昨夜と同じ時間、同じカウンターの椅子に座ると、口を開いた。
隣には誰もいない。

「・・・・・・ねえ、高杉さん。・・・私は、幻を見たんですかねえ・・・」
「・・・はあ?なんだ、藪から棒に」
「・・・・・・私、昨夜、ココで呑んでたじゃないですか」
「ああ、こんなトコで2日続けて女一人で呑む奴なんざ、お前くらいだ」
「ええっ!や、やっぱり、昨夜見たのは幻・・・・・・?」

昨夜はしこたま酔っ払っていた。
自覚はあった。
そうか、やっぱり、あんなにも私の好みド真ん中な彼が現れたのも何もかも夢だったのだ。
アルコールの見せてくれた一夜の幻影だったのだ。
そりゃあそうだ・・・・・・あれ程完璧な・・・・・・見目麗しく現実離れした人間がいる訳がないのだ。
相応に納得は出来たものの、受けたショックは大き過ぎて。
思わずカウンターに突っ伏した私の頭上から声がかかった。

「・・・・・・ったく、お前が言ってんのは、コレの事か?」

呆れた声で高杉さんが手にしていたグラスを私の目の前に差し出す気配がする。
カウンターとグラスの脚が触れた音を合図に、のそのそと頭を動かして顎をカウンターに乗せた。
生首状態で生気無くグラスの中身を見やると、目に映ったのは青い透明な・・・

「・・・こ、これっ!」
「うお!危ねぇ!」

思わず掴みかかるように手に取ったグラスの中身が、ポツポツとカウンターに飛び散って。
高杉さんがブツブツ文句を言いながら片付けてくれていたけれど、もうそんなの私にとっては瑣末な事で。

見ているだけで清涼感漂う、コレを勧めてくれた彼の瞳の色を滲ませたような綺麗なカクテル。
柑橘系の少し酸っぱいような、さっぱりした爽やかな香りは、私を軽くあしらう時に纏っていた彼の雰囲気そのもので。
日本酒を使ったカクテルにしては、その香りはあまりしないけれど、ほんのり残る甘い味わいは、まるで普段は無表情で隠しているあの完璧な甘いマスクに浮かべた微笑みを思わせる‥‥
彼の為に作られたかのようなカクテルだ・・・!!

「た、高杉さん!コレ、このカクテル、名前教えて下さい!」
「ああ?あー・・・『清流』」
「『清流』!!?ピッタリ!!!」
「そ、そうか?良かったな・・・けどお前」
「ふふ、ふふふ‥‥清流・・・清流、か・・・」
「・・・・・・あいつは、『清流』と呼ぶには行き当たりばったりで頑固で口煩い上に、昨夜は偶々いなかったがやっかいな腰巾着までくっついてる男だぞ・・・・・・って、それよりお前、普通は酒じゃなくて男の名前を先に聞かねぇか・・・・・・?」

既に心ココにあらずな状態の私に、高杉さんの忠告混じりな呟きが聞こえている筈も無く。
いつ訪れるやも分からない男女の再会を祈りつつ何度も同じカクテルをオーダーしては、昨夜見た彼の笑顔を思い浮かべて緩む口元にグラスを運ぶのだった。




5th.清流なヒト
20110607
style/トモ


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