10th.一期一会?


オープンキッチンのカウンターの向こうに見える、白いコックコートを纏い慣れた手つきで調理器具を扱う彼に目を奪われてから、早数ヶ月。
暴走気味のオーナーの高杉さんをさり気無くフォローして、多種多様なお客様が過ごす空間を居心地の良いものにしてくれる彼の存在。
高杉さんとは普通にお喋り出来るようになったものの、彼には自分から話しかけるキッカケも勇気もなくて。
高杉さんに『小五郎』って呼ばれてるから名前は小五郎さんなんだろうけど、苗字さえ分からない。
勿論、彼が私の存在を覚えてくれてるとも思えない。
それでも、このまま今まで通り月に何度か通っていれば、その内、常連客の一人として名前と顔くらいは覚えて貰えるんじゃないかな。
そう、ただの客の一人として、ちょっと仲良くなって、顔を合わせたら笑ってお話して。
恋と呼ぶには余りにも幼稚な願望・・・だけど、それ以上の事なんて、望むべくも無い。





「おや。いらっしゃい。この時間においでになるのは、珍しいですね」

平日の夜。
・・・と言っても、美味しいお酒で大人の時間にしけこむには、まだ少し早い時間帯。
カランカラン・・・とドアベルを鳴らして足を踏み入れた店内には、お客の姿は殆ど無かった。
ただ、視線を向けたカウンターに、一人の男性客が座っていて。
そこにいつもいる筈の、ちょっと意地悪げに持ち上がった眉と何もかも見透かしてるみたいな琥珀の双眸をもったオーナーはおらず。
代わりに、来店前にいつも頭に思い浮かべる彼がこちらに向かって微笑んでくれていた。

(・・・こ、小五郎さんっ!?)

思わず何度も目を瞬かせた。
今日もその姿をカウンターから時々眺める事が出来れば幸せ・・・と、たった今、入口の赤い扉を開く前は確かにそう思っていた筈なのに。
まさか、その彼が私の入店と同時に声をかけてくれるなんて。
吃驚して、でも嬉しくて。
だって、『この時間に〜』って事は、いつも来店する時間帯を覚えてくれてたって事で。
何コレ、何の御褒美!?的な展開に私の心臓はバクバク、頭の中では何て答えようかって色んな台詞がグルグルしていた。
なのに。

「・・・・・・あ、あれ?高杉さん、いないんですか?」

間抜けに開いた口から出てきたのは、全然気の利かない一言で。
それでもニッコリと整った微笑を崩さず答えてくれる彼に、私は焦って更にどもってしまう。

「ああ、ちょっと今出掛けていてね」
「そ、そうなん、ですか」
「晋作がいなくて残念かい」
「え!いえいえ、決して、そういう訳では!」

やっぱり勘違いさせちゃってるーーー!!
慌ててブンブンと顔の前で両手を振りながら否定するものの、彼の表情は変わらなくて。

「晋作ならすぐに戻ってくるだろうから、とりあえず・・・」

此処に座りますか、とカウンターの空いている席に促されてしまった。
ああ、私が何を目的で此処に来ていようと、彼にとっては大して関心の無い事で、どんなに否定してもあんまり意味無いんだろうな・・・なんて肩を落としてすごすごと椅子に座りかけた時だった。
私がすすめられた席の隣、空席を2つ挟んで座っていた、質の良さそうなスーツを着た妙齢な男性が、クッと肩を震わせたのは。

(・・・・・・な、なに、この人、今、笑った?・・・まさか、私の事を??)

一瞬、ピクリと反応してしまったけれど、その人は何事もなかったかのように飲みかけのワイングラスを傾けている。

(・・・・・・気のせい、だよね?)

こんな風に小五郎さんと2人で会話出来る事なんて、もう二度とないかもしれない。
だから、私は今、カウンターの向こうの小五郎さんの事だけ考えていれば良い。
そう思うのに、何故。
なんだか妙に洗練された仕草で食事をしながらワインを口に運ぶ、長い前髪に隠されて表情さえ殆ど分からない男をこんなに気にしているのか。

「今日はお食事は?」
「・・・あ、えっと、まだなんです」

小五郎さんの声にハッとして前を向くと、「どうぞ」と目の前にメニューを置いてくれた。
普段はもう少し遅い時間に来る事もあって、おつまみ程度しか頼まないフードメニューをチラリと見ると、目に入る『シェフおすすめ』の文字。

「・・・あ、あの・・・・・・こっ、こっ」

『小五郎さん』と、心の中ではもう何度呼びかけているか知れない名前を口にしかけて。
だけどやっぱり躊躇って、何度も言葉を詰まらせる私に、小五郎さんの視線が向けられる。

「・・・『こ』?」

不思議そうに、ニコリと微笑まれたら・・・。

(そ、その笑顔は反則ですーー!!)

もうなんだか色々堪らない気持ちになって、思わず下唇を噛んで変な声が漏れそうになるのを必死で堪えた。

「・・・っシェフの!おすすめ!・・・お願い出来ますか?」
「お腹は減ってるかな?」
「は、はい、結構・・・・・・っあ!えっと、その・・・」
「ふふ。それじゃあ料理は私に任せて頂こうかな。飲み物はどうします?」
「・・・えっと何にしようかな・・・あ、でも高杉さんいないんですよね」
「食事に合わせて、ワインなんてどうです?」

会話を重ねていく内に、少しずつ緊張でガチガチだった表情も緩んで、小五郎さんの笑顔に応えるように私も笑顔を作った。

「あ、私、ワインってよく分からなくて・・・」
「良ければ、テイスティングしてみますか」
「それが、何度か飲んだ事もあるんですけど・・・実はあんまり美味しいと思ったコトな」

「それは、聞き捨てならんな、小娘」

私の台詞は、唐突に、やたら威圧感のある声に遮られて。
反射的にビクッと声の方を見やると、2つ空席を挟んで隣に座っていた、あのワイングラスの男が前方に視線を向けたままグラスを傾けているのが目に入った。

何、今の、『小娘』って、この人が言ったんだよね?
そ、そりゃあ、私もワイン飲んでる人の隣で言うべき台詞じゃ無かったな、と今更ながら思うけれど。
っていうか、そっちから絡んできたくせに、何、平然とワイン飲み続けてるの?

余りの驚きに言葉を失ったまま、じっとその横顔を見つめていると。
不意にグラスを置いた男の視線が此方に向けられた。

「良いか、小娘。ワインは人間と同じで日々育っていくものだ。瓶詰されたその瞬間から、瓶の中で育ち老いていく。香り、酸味、渋み、うま味、そのどれもが、同じ名前のワインでも生産者やヴィンテージ、飲むときのシチュエーションによって変化するのだ。言ってみれば二度と同じ物には巡り会えない・・・そんな唯一無二な代物を『よく分からない』『美味しいと思った事がない』などと言って過去の経験から敬遠してしまう・・・全く、なんと愚かしい言い分だと思わないか」

目の前の男が顔色一つ変えず、淡々と、だけどマシンガンのように繰り出した台詞に、頭がついていけず呆然と固まってしまう。

「小娘はワインだけでなく言葉も理解出来んと見える。これ以上の講釈は無駄なようだな」

(・・・・・・・・・・・・は?)

放心状態だった私に向かって、男はこれ見よがしに長々と溜息を吐いてみせる。

(な、なにこの人!!)

怒りに任せて言い返そうと口を開きかけた、その時。
私の気持ちを鎮めるかのように、小五郎さんの穏やかな声が割って入った。

「まったく、大久保さんは相変わらずですね」
「君も相変わらずだな」
「どういう意味でしょう」
「そのままの意味だ。ところで桂君、君はこの小娘に何を作ってやるつもりだ」
「はい?」

目の前で、妙に親しげに交わされる会話をただじっと聞いているしか出来なかった私は、『大久保さん』の唐突な台詞の意図が掴めず、小五郎さんと同時に首を傾げた。

「メニューに応じたワインを出す。長々と講釈を聞かせてやるより、実際に飲ませてやった方が小娘には有効だろう」
「ああ、なるほど」

何?
なんでそんな私がワイン飲む事が当然の事のように話が進んでるわけ?
大体この人さっきから『小娘小娘』って!
私の事、一体いくつだと思って!

脳内で駆け巡る怒りはどれも言葉にならず、ただ口をパクパクさせていると。
不意に此方へ視線を寄越した『大久保さん』は更に失礼な発言で追い討ちをかけた。

「例え脳みそが足らなくても、実際に飲めば、その身体に染み渡るやもしれんからな」

なっ!!!?

「そういうことでしたら、厨房へ入って材料から見ていただくのが良いかもしれませんね」

ちょっ!小五郎さん、さっきからその男の暴言、華麗にスルーし過ぎです!

「ふん。まさか客として来た日にまで働かされようとはな」
「貴方が言い出した事でしょう」

私の心中など気にも留めてない様子で、席を立った『大久保さん』と小五郎さんが何やら話しながらカウンターから離れていく。

「あ、あのっ・・・!?」

置いてきぼりをくらった私がなんとか声を振り絞ると、小五郎さんだけが立ち止まり振り返ってくれた。

「・・・ああ、失礼しました。彼はこのバーのソムリエなんですよ。しばらく買い付けと称した旅に出ていた為、此処に来るのは数ヶ月ぶりなんですけどね」

小五郎さんはニコリと微笑んでそう言うと、呆気に取られている私をカウンターに残して、既に姿の見えない『大久保さん』を追って厨房の奥へと消えてしまった。






「シャンパンもワインなんだ・・・」
「今の一言でお前の知識の乏しさが窺えるな。これはシャンパンではない、が、まぁ今夜は些細な事は気にせずに楽しめば良い。食前酒に丁度良いだろう」
「え?コレ、シャンパンじゃないんですか?」
「これ以上、己の無知無学を露見したくなければ、黙って飲め」
「・・・・・・・・・頂きます」

ムカムカしながらも、目の前に置かれたグラスをそっと持ち上げると、間接照明に照らされてグラスの中で上昇している気泡がキラキラ煌めく。
その光に誘われるように口を付ける。

「・・・・・・あ」

・・・美味しい。
シャンパンと似てるけど・・・
うーーん、うまく表現する言葉が思い浮かばない。
だけど、小五郎さんが作ってくれた前菜とすごくよく合う。

「ワインは50ヶ国以上の国々で造られていて〜〜〜〜〜各々土地の気候風土、土壌の特徴が品質に影響する事は勿論、毎年葡萄の出来具合によってワインの評価も価格も変動〜〜〜〜〜赤・白・ロゼ・発泡酒・甘口・辛口、と他の酒と比べてはるかに香りや味わいのバリエーションが豊富で〜〜〜〜〜特に香りの複雑さとバラエティーは他にない特徴で、〜〜〜〜〜同じワインでもワインの年齢によって変化が〜〜〜〜〜」

講釈は無駄だとか言ってた割には、食事を進める私の傍らで語る彼は饒舌だと思う。

(かなりムカつくし、変な人だけど・・・・・・ただ本当にワインが好きなんだろうな)

話の半分以上は聞き流しながらそんな風に思うと、なんだか可笑しくて笑いが込み上げてきた。
美味しい料理とワインに酔ってきてるのかもしれない。

「これも飲んでみろ」
「・・・あ、こっちはちょっと酸っぱい・・・けど、後味が爽やかで・・・このお料理と合いますね」
「ワインを楽しみたいのであれば、余計な先入観を捨てることだな。だが、膨大な数のワインの中で好みの物に出会いたければ知識も必要だ」

・・・うーーん、なんで私がワインを楽しみたいと思ってる事が前提で話が進むんだろう・・・
でも、ソコをいちいち突っ込むのも大人気ないか。

黄色みを帯びた白ワインと魚介のカルパッチョを口に運びながら、そんな事を考えつつ。
コクンと飲み込んだところで、おずおずと口を開いた。

「・・・や、やっぱり、私にはちょっと難しい気が・・・そんなに熱心にワインについて勉強する気にもなれないというか・・・」
「誰が小娘に知識を習得しろと要求した」
「・・・え、だって、知識が必要って、今・・・」
「知識ならば、小娘が今後の人生を全て注ぎ込んで学んだとしても到底及ばないであろう事柄が、私の頭の中に既に刻まれている」
「・・・・・・は、はあ・・・・・・」

何、自慢?
もう、この人、頭良いんだろうケド、言ってる事ワケ分かんない!
頭のこんがらがった私の反応を、チラリと一瞥して『大久保さん』は続けた。

「そこらの品質管理もろくに出来ていない店に行くくらいなら、此処へ来て私が勧めたものを何も考えず飲んでいれば間違いない、と言っている」
「・・・・・・・・・え」

(えーーっと、それって、つまり・・・)
脳内で『大久保さん』の台詞を反芻しながら、遠回しで難解な彼の言いたい事をどうにか理解しようとしていると。

「おや。随分と仲良くなられたようですね」

不意に、小五郎さんが顔を覗かせて。
いつもの微笑を湛えながら、言われた台詞に一瞬目が点になった。

「・・・っ!?ち、違います!仲良くなんて」

慌てて否定しようとした私なんてお構いなしで、『大久保さん』は平然と言ってのけた。

「そうすれば、美味いワインも飲める上に、小娘のお気に入りにまで会えるという訳だ。正に一石二鳥だな」
「なっ!?何言って・・・!!」

アルコールの所為だけではなく、一気に紅潮した頬を押さえて声を上げると。
カウンターの向こうで、小五郎さんが不思議そうに小首を傾げた。

「・・・『お気に入り』?」
「桂君は料理の腕は確かだが、鈍感な所が相変わらずだ」
「・・・っっ!!!」






その後は、どこからか戻ってきたオーナーの高杉さんまで加わって。
バレバレだったらしい私の淡ーい恋心をネタに、弄られからかわれ続けた気がする・・・。
あれだけ言われ放題で全く気付いてない様子の小五郎さんはやっぱり鈍感なんだろうか・・・それとも敢えて気付かないフリをしてくれてるダケ??

とりあえず、この夜分かったのは・・・
ずっと知りたかった小五郎さんの苗字と。(『桂さん』なら、次に会った時、そんなに気負わず呼べるかな・・・)
あのバーには私を玩具扱いする男が高杉さんだけじゃなくもう一人いたって事。(それもかなり嫌味で偏屈で垂れ目な、多分一流のソムリエ)




10th.一期一会?
20110701
style/トモ



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