愛の虜


アニメや漫画みたいに勇者として召喚されたわけでもなく、神様のミスだとか子供をトラックから助けたとかで死んで異世界に転生したわけでもない。
お約束な展開を踏んでいない以上これまたお約束な最強チート能力が備わらなかったのは当然のこと。
おそらく大仰な理由など何もなくただただ偶然ファンタジー世界に迷い込んだ俺が最強チートではないにしろ生き延びるための手段となりえる能力を手に入れられたのは不幸中の幸いというものだろう。
わかっている。
わかってはいるがそれでも思わずにはいられない。
なんでもうちょっとマシというか、世間に受け入れられやすい能力を得ることができなかったのかと。

魔物が跋扈しエルフやドワーフなどの亜人が実在する剣と魔法の王道冒険ファンタジーな世界にある日突然着の身着のまま放り込まれた俺が手に入れたのはユニークジョブの『調教師』とユニークスキルの『愛育』だった。
いかにも社会倫理的にまずそうな名前に反して能力の内容は『愛育契約を結んだ獣人のレベルアップ時の成長率を引き上げる』――愛育というのは愛をもって育成する、つまり可愛がりながらレベルアップやスキルアップに協力するという意味なので、まあ悪くないものだ。
対象が獣人に限られるうえ俺自身が強くなることは出来ないが逆に獣人のパートナーさえ見つけられれば冒険者として身をたてられる。
その場限りの強化ではなく永続的に能力を底上げできるというのは相手にとってもいいメリットのはずだし契約相手は簡単に見つかるだろう。
そう思っていた俺は、はっきりいって常識知らずの甘ちゃんだった。
まず第一に獣人は人間を嫌っている。
これは獣人は魔物と同じものだとされていた昔の名残で世界に獣人差別が根強く存在しているせいだ。
第二に、獣人はプライドが高い。
純粋な強さに価値を見出す獣人は自分たちを差別する人間を個人では何もできない劣等種と見下し、蔑んでいる。
第三に、獣人はケモノ扱いされることを嫌悪する。
俺だって猿扱いされていい気はしない。
嫌がって当然だ。
理解できるからこそ頭を抱えるはめになった。
これらの問題全てが俺にとっては最悪だった。
スキル『愛育』を発動するためには対象の獣人を半ばペットのように扱わなければならない。
つまり自ら最前線に立って戦おうとしない弱くて憎い人間の愛玩動物という立場に甘んじてくれる獣人が誰一人としていなかったのである。
パートナーになってくれないかと話をもちかけた中には俺を殺そうとしてくる者までいて、これは契約してもいいという奇特な獣人が見つかる前に死んでしまうと悟り、それでもパートナーを見つけなければこの世界でまともに生きていくことができないのは明白だったので俺は数秒だけ悩んで倫理観を捨てることにした。
この世界に来てしまったときに付けていた時計がかなりの高値で売れたとはいえそれだけで今後ずっと生活できるわけでもなし、宿代や食費で手持ちの金が消えていけばそのぶん選択肢は少なくなる。
どうせ同じ結論に至るなら決断は早い方がいい。
覚悟を決めて冒険者ギルドを後にした俺が向かったのは陰惨でありつつ妙な活気がある奴隷市だった。
広場の至る所にテントが張られ、檻が置かれている。
目的は当然奴隷購入だ。
全財産を使ってでも獣人の奴隷を買う。
ここにいる獣人なら、少なくとも話の最中激昂して殺されるということにはないだろう。
昔祖母に連れられて行ったサーカスを思い出しながら奴隷商に話を通すと手持ちの金では奴隷の購入はかなり厳しいが一匹だけ格安の奴隷がいると言われ、小さな檻の前に連れていかれた。
筋肉の発達した大きな体を無理やり押し込めるようにして、男はそこにいた。
黒々とした毛皮にぞろりと生えそろった立派な牙を持つ狼族の男、ザジはレベルこそ平均程度だが精神力が並外れており命令に逆らうと耐えがたい苦痛に襲われるという奴隷の首輪をつけていながら前の主人に大きな怪我を負わせたらしい。
買い取られた直後の事件とあって客側が殺処分することなく店に返金を求め店側もこれに応じて返品という形になったらしいが噂が流れてしまったせいでその後買い取りたいという客も現れず持て余しているのだと。
奴隷とはいえ最低限の食費はかかる。
売れる見込みのないごくつぶしのわけあり品がいくらかでも金になるならそちらのほうがいいというわけだ。
店の事情を理解した俺はギラギラとした目でこちらを睨みつけているザジの前に膝をつき、その場で包み隠さず全ての事情を説明した。
文化も常識もなにもかもが違う地に突然一人で放り出されたこと、故郷に戻る術も分からずたぶん二度と帰れないだろうこと、一人では生きていけないこと、ユニークジョブとスキルの内容。
そして生活基盤を得るために協力してくれるなら依頼の報酬は完全折版にしてザジが稼いだ報酬額が市民権を得るための金額に達したあかつきには即座に解放、自由にすることを誓うと胡散臭そうに金色の目を細めていたザジは話した内容をそのまま契約書に記すのを条件に愛育契約に応じることを了承してくれた。

ザジは粗野で無口でぶっきらぼうな男だった。
言うと機嫌を損ねるから絶対に口にはしないが、犬に例えるなら愛想はないが無駄吠えせず従ってくれるいい子というところか。
撫でて褒めてたまに叱ってという行為も嫌がりはしたがスキルのためだと伝えれば渋々ながら納得してくれた。
狼族は家族で寄り添って寝るのだという話を耳にしてからは毛布にくるまって二人で床に寝るようになった。
初めてブラッシングをしたときだけは本気で怒鳴られ牙を剥かれたけれどそれでもめげずに続けたら諦めてじっと耐えてくれるようになった。
体躯が大きいぶん頭も俺の知っている大型犬よりずっと大きく人間の頭なんて簡単にかみ砕けるんじゃないかと思うような牙の並んだ顎はもはや狼というより鰐に近い気がするが可愛がられているときばかりは普通の犬みたいだ。
プライドや精神的に受け入れ難くても身体的には心地いいのか、ぱたぱたと揺れる尻尾を微笑ましく感じながら俺はザジを可愛がった。
全てうまくいっていると思っていた。
それが、めきめきと力をつけたザジのおかげで俺たち二人が有名冒険者として名を知られるようになった今になって間違いだったとわかるとは。


「すまない……すまない、許してくれ、す、捨てないで……」
「捨てない捨てない。大丈夫だから、ほら落ち着いて」

獣人差別家として有名な依頼者から話を聞くために渋るザジを借家に置いて一人で出かけたのだが、三時間ほどして帰ってきた瞬間ザジは我を失って俺に襲いかかってきた。
襲うといっても扉を開けるやいなや飛びつかれ押し倒されひゅんひゅん鳴きながら縋りついて顔やら首筋やらを舐めまわされただけだが、恐慌状態の獣人が力加減もなしに抱き付いてくるのだからそれはそれは大変だった。
恐怖や寂しさに耐えるために鼻を突っ込んで噛み付いたのだろう毛布や枕はズタズタのボロボロ、留守番を任せると言われて俺の後を追うことができなかったせいか扉の内側はひっかき傷だらけになっていて俺がいない間に起きたであろうことを考えると溜息が漏れた。

「分離不安障害ってやつだな」

昔実家で飼っていた犬がそうだったから症状を見てすぐ思い当たった。
これまで昼も夜もずっと一緒に行動していたから気がつかなかったがザジは俺から離れるとパニックになってしまうらしい。
契約のために従ってくれているとはいえ誇り高い狼族の獣人、それも子供や人懐っこい性格ならまだしもザジのような大人の男がそんなふうになるとはにわかには信じがたいが現実に起きている以上認めざるをえないだろう。

「俺、ザジには嫌われてると思ってたんだけど」

ザジからは必要最低限しか話しかけてこずスキンシップも俺が一方的に行うばかりで求められたことは一度もない。
関係が関係だからしかたないと半ばあきらめていたぐらいなのに、それがどうして分離不安障害になんて。

「…………あんたが」
「俺?」
「っあんたが、やめろっていうのに毛づくろいしたりするせいだろうが!ああいうのは番同士でしかやらないもんだって言ったのにあんたが聞こうとしないから!」

ようやく調子が戻ってきたのか、グルルと不機嫌そうに唸り声をあげたザジが俺が軽い気持ちでやっていたことを最低の所業だと咎めてきた。
契約通り奴隷の身分から解放されて首輪が外れたら殺してやろうと思っていた。
スキルを利用して強くなって人間に復讐してやるのだと、だから辱められても我慢していたのに、愛され甘やかされ番のまねごとのような行為を毎日毎日繰り返されて頭がおかしくなってしまったのだと。
人間の常識に当てはめた場合奴隷と主人という立場を利用して嫌がる相手にキスだのペッティングだのを繰り返して洗脳したのと同じだと思うと、なるほど、鬼畜の所業である。
でもそうしていなければ殺されていたところらしいと知った以上申し訳なさ半減どころかやっておいてよかったまであるからなんとも言えない。
というかさっきの物言いでは俺がザジを依存させずに解放していた場合少なくない死者が出る羽目になっていたみたいだし、これは結果オーライなのではないだろうか。

「あー……とりあえず、ブラッシングは続けます」
「おい、話し聞いてたなかったのか!?」
「聞いてた聞いてた。恋人ならしてもいいって話だよな?」
「あ゛!?」

本当なら話し合ってきちんとした信頼関係を築いたうえで障害を克服できるよう行動を変えてやるべきなのだろうが生憎と真っ当な倫理観は奴隷を買うと決めたときに捨てている。
ザジの本能がバグって憎いはずの人間に番としての好意を抱いてしまっているというなら好都合だ。
このまま完全に依存させて間違っても俺を害そうなど思わないようにしてやろう。

「恋人になってもっと甘やかします。毎日今よりもっと可愛がって、えっちなこともします。ザジを一人にはしません。でも悪いことしたら、捨てます」
「だ、誰が人間の恋人になんか……っ、ちがう、お、俺は、そんな……や……すてないで、いやだ、捨てられるのは、いやだ、こわい……!」
「うん、こわいな。俺もザジのこと捨てたりしたくないよ。だから殺すとかはなしで仲良くしよう?な?」

耳と尻尾を立てたり伏せたり忙しいザジの鼻先にキスをして分厚い毛皮に覆われた首筋に力一杯噛り付くとヒャンと甘い声があがった。
ザジはもう奴隷の身分から解放されても俺から離れられないだろう。
『調教師』のジョブにかけて俺がそういうふうにするからだ。
騙したみたいで悪いが一生かけて目一杯『愛育』してやるから、諦めて素直に可愛がられてくれ。

[ 3/9 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -